TAOコンサル『市民派アートコレクターズクラブ』

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『The Cast展』で見た呉亜沙の現代美術作家としての資質

2007年05月07日 | 注目の現代美術作家と画廊散歩
 若手画家呉亜沙さんが文化庁海外派遣研修から帰国、その最初の展覧会がギャラリー椿で開催された。ニューヨークでの生活は、あらためて自己と他者とのかかわりや、自身のアイデンティティーといったことに思いがいった1年だったようだ。ルーツへの拘りもあったのだろうか、それらの思いが作品にも表れている。
 特に、案内DM掲載の『SKIN』という作品は、目に白いヴェールがかかった不思議な絵だが、そこには現在この作家が考えていることが見える気がする。「自己から他者に視線を向けても、自身と他者を峻別することができない」とは本人の談であるが、この作品には、目を開いて見ても他者の本当の姿は見えない、見えたと思ったのは自分自身に他ならないといった心情が滲んでいる。ヴェールはそのことを意味しているのだろう。なかなかいい作品である。
 私は以前から作家呉亜沙に注目、作品も何点か持っているのであるが、今回あらためてこの作家の資質を評価したい心境にある。人間は自我の形成とともに自己と他者とのかかわりにおける相克の壁に突き当たるのであるが、こういう事実に真剣に向き合おうとするのは、呉亜沙が画家である以前に人間として生きていることの証しである。 現代美術とは、この時代をどう生きるかという哲学や生き様から生まれるものであり、悩み思索することなく、感性だけでいい作品が生まれる筈もない。
 呉亜沙さんのこういう真摯な生き方は、この若い作家がいずれ現代美術の本格的作家として大きく羽ばたく時が来るであろうことを予感させるのである。(山下)

左奥作品が『SKIN』
右手前が『DISCOVERER』

この日会場で、作家藤浪理恵子さんにもお会いし、暫し歓談。『アートフェア東京2007』に作品が出品されていたが、なかなか個性的でいい作品であった。アメリカ人と結婚し、ニューヨークで生活かつ制作しているのだそうだ。ご活躍を祈りたい。


(右・呉亜沙さん)
(左・藤浪理恵子さん)