スティーブ・マックィーンの人生を、3人の妻たち、息子のチャド、孫たち、友人たち等の証言を基に振り返るドキュメンタリー。
ロバート・ダウニーJr.がナレーションを務め、ピアース・ブロスナン、ゲーリー・オールドマンらがコメントを寄せている。
『荒野の七人』(60)『ブリット』(68)『タワーリング・インフェルノ』(74)で共演したロバート・ボーン、『シンシナティ・キッド』(65)『華麗なる賭け』(68)を監督したノーマン・ジュイソンの証言が心に残る。
3人の妻たち=ニール・アダムス、アリ・マッグロー、バーバラ・ミンティが、今でもマックィーンの妻であったことを誇らしく語る姿が印象的だった。
マックィーンの魅力について書いた名画投球術 No4.「男もほれるカッコいい男が観たい」スティーブ・マックィーン↓
http://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/c2d19a8408e75870e3711cd9305ab295
マックィーンのプロフィールは↓
『ほぼ週刊映画コラム』
今週は
果たして前後篇にする必要があったのか…
『あゝ、荒野』前篇
詳細はこちら↓
https://tvfan.kyodo.co.jp/feature-interview/column/week-movie-c/1126568
本書は、小学校中退、丁稚奉公、映画製作の下働き、俳優を経て監督となり、『限りなき前進』(37)や『土』(39)で名を成しながら、満州に渡り、かの地で苦労の末に生き抜き、帰国後は『血槍富士』(55)『宮本武蔵』五部作(61~65)『飢餓海峡』(65)などを監督した男の、数奇な人生を活写した評伝だ。
作者は後期の吐夢作品で脚本を担当した鈴木尚之氏。多くの場面で吐夢と行動を共にした人が書いたものだけに、自らが吐夢に寄せる愛憎と共に、吐夢が作品に込めた思い、葛藤、家族との軋轢などが、赤裸々に語られる。
そんな本書の魅力は、もちろん吐夢の人生や人柄の面白さが前提にあるのだが、いかにも名脚本家らしいストーリーテリングのうまさに寄るところが大きい。例えば、人を斬りまくる机龍之助を主人公とする『大菩薩峠』(57)の映画化に際し、吐夢は「描き様によっては、これはただの殺人鬼物語に終わってしまうのではないか」と危惧したが、悩んだ末に「ここには理屈だけでは理解できない人間の深淵がある」と気付くところ。
あるいは、吐夢は『大菩薩峠』の机龍之助、『宮本武蔵』の武蔵、『飢餓海峡』の樽見京一郎、そして自分自身にも宿る「暴」の精神、背負っている業を鎮魂させることに意味を見いだすところ…。
こうした件を読みながら、同様に殺人鬼の内面を描こうとした最近の『ユリゴコロ』には、そうした作り手の心の葛藤から生じる深みが全く感じられないことに気付いた。だから主人公に共感できないし、薄っぺらく感じるのも当然なのだ、と改めて思わされた次第。
ところで、鈴木氏は『宮本武蔵 五部作』『飢餓海峡』の他にも田坂具隆+中村錦之助(山本周五郎の世界)『ちいさこべ』(62)『冷飯とおさんとちゃん』(65)、田坂+佐久間良子(水上勉の悲恋もの)『五番町夕霧楼』(63)『湖の琴』(66)、 加藤泰+錦之助(長谷川伸の股旅もの)『沓掛時次郎 遊侠一代』(66)、沢島忠+渥美清(三遊亭歌笑の一代記)『おかしな奴』(63)、そして田宮二郎主演のテレビ版「白い巨塔」(78)…などを遺した素晴らしい脚本家だった。
実は、鈴木氏にはシナリオ作家協会で教えを受けたことがある。1982.3.30.のメモを。
今日の講師は『宮本武蔵』五部作や『飢餓海峡』の鈴木尚之氏だったので期待大であった。講義テーマが「シナリオのテーマと素材」ということで、話し様もなく、質問形式のフリートーキングとなった。
最初の内は沈黙が流れ、どうなることかと思ったが、話題が氏の代表作である『宮本武蔵』五部作に移ると、途端に質問が飛び交った。以前はこんな席ではしらけて聞いているだけだったオレも、ついつられて『Uボート』(81)と『連合艦隊』(81)の違いについてのたまってしまった。これは反響を呼んだようで、しばらく話が戦争映画についてとなり、いささか恥ずかしかった。
これまでで一番熱の入ったいい講義だったと思う。結局、人から何を聞こうが、書くのは自分であり、そこに表われてくるものは自分の持っている感性だと思うから、今日のように相手に自分をぶつけてこそ何かが生まれてくるのに違いないのだ。
【今の一言】当時は、まだ二十歳そこそこだったから、随分青いことを書いているなあ。
脚本家が主人公なだけに、凝ったセリフが楽しい映画だ。
2年前に初めて見た時は、こんなふうに感じた。↓
http://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/db442ff842e94604c29ff2ede7245bd1
身障者の性を強調し過ぎた感あり
脳性まひのため車いすで暮らす主人公と人格(パーソナル)障害を持った風俗嬢の出会いと愛を描く。リリー・フランキー、清野菜名は、まさに体当たりの熱演を見せるが、二人の間で揺れるヘルパー役の小池栄子もなかなかの好演。
身障者にも性欲はあるということ、あるいは身障者のセックス、という見落とされがちな問題を真正面から描いている。だが、いささかその点のみを強調し過ぎた感があり、見る者を選ぶ映画になったことは否めない。
身障者の性を中心に描いた実話の映画化という点では、英映画の『セッションズ』(12)と共通する部分もあるが、品性の点では格段の差がある。ただ、これはこの映画のせいというよりも、欧米と日本の社会における、身障者に対する理解度の違いなのかもしれないが…。
『セッションズ』についてのコラムは↓
https://tvfan.kyodo.co.jp/feature-interview/column/65627