『パーフェクト・ワールド』(93)(1994.2.24.渋谷東急3)
1963年、テキサス。脱獄犯のブッチ(ケビン・コスナー)は、逃亡中に8歳の少年を誘拐する。だが、次第にブッチと少年との間に、奇妙な友情が芽生えていく。一方、警察署長のレッド(クリント・イーストウッド)は、犯罪学者のサリー(ローラ・ダーン)らと共に、2人を追跡するが…。
『許されざる者』(92)で、監督としての評価が一層高まったイーストウッドだが、正直なところ、その作風はあまり好きではない。それは、彼の映画が総じて暗く重苦しく、曖昧なところが多いからなのだが、この映画もそこから抜け出せてはいなかった。
例えば、コスナーにいまさら極愛非道な役は演じさせられなかったという枷はあったにせよ、またもやイーストウッド独特の曖昧なはぐらかしを見せられ、われわれも善悪の境をさまようことになる。逆に、悪に徹したコスナーこそが見てみたかったし、頑固なイーストウッドならそれも可能だったはずなのに、と思うのである。
『許されざる者』以前のイーストウッド作品は、アメリカよりもむしろフランスで受け入れられていたと聞く。それはハリウッド映画の持つ分かりやすさを無視して、ヨーロッパの映画監督のように、自分の世界を強く押し出すところがあったからだろう。
つまり、アメリカ映画としてはどこか異質で邪道なのである。それ故、決してその線から外れていない、否、その集大成とも言うべき『許されざる者』が、急にアメリカで受け入れられ、高評価されたのが不思議でならなかった。そうした疑問を抱きながら見たせいか、この映画にも、妙な引っ掛かりを感じてすっきりしないものが残ってしまった。
【今の一言】この時期、蓮實重彦氏一派が監督としてのイーストウッドをえらく持ち上げていたので、それに反発した自分がいたのだ。
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