「視界がぼやけ、涙が頬をつたうけど、ずっと微笑んでいられる」
遺伝子の疾患で、人とは異なる顔で生まれたオギー(ジェイコブ・トレンブレイ)。度重なる手術のため、自宅学習を余儀なくされたが、両親(オーウェン・ウィルソン、ジュリア・ロバーツ)は、10歳になった息子を、学校に通わせることを決意する。オギーは学校でいじめや裏切りといった試練に遭うが、やがて彼の存在が周囲に変化をもたらしていく。
この映画は、オギーの姉ヴィアの友人ミランダ(どちらもチャーミング)が語る「オギーという太陽の周りの家族という惑星の物語」である反面、『スミス都へ行く』(39)ならぬ「オギー学校へ行く」の物語でもある。
チャプターとして、オギー本人、ヴィア、友のジャック、ミランダと、それぞれの視点から多角的に見せるところがユニークだ。特に子供たちの世界、心情が、自然かつ丁寧に描かれているので、いじめっ子ですらいとおしく見えてくるところがある。
そして最後は、校長が語る「オギーは見た目を変えられない。私たちの方が見方を変えなくては」ということに思い至る。
話が出来過ぎだと批判するのは簡単だが、この場合、映画を見て、久しぶりに、温かさ、優しさ、清々しさ、真の悪人が出てこない気持ち良さを感じたことの方を、素直に喜びたいという気になる。適度なユーモアも効果的。だから「CINEMABLEND」の批評のように、映画を見ながら「視界がぼやけ、涙が頬をつたうけど、ずっと微笑んでいられる」のだ。
ディテールとして、『スター・ウォーズ』好きのオギーの前に、本物のチューバッカが現れるいい場面がある。また、宇宙飛行士に憧れるオギーに向かって、ミランダが「メジャー・トム」と呼び掛けるシーンがあるが、これはデビッド・ボウイの「スペース・オディティ」からの引用だろう。『LIFE!』(13)『ワンダーストラック』(17)『ヴァレリアン千の惑星の救世主』(17)と、最近この曲の引用が目に付く。ちょっとしたブームといったところか。
ウィルソンとロバーツが夫婦役と聞いて「随分年上の女房だな」という印象を持ったのだが、実際はほぼ同い年だった。
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