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繁栄の外で(30)

2014年05月25日 | 繁栄の外で
繁栄の外で(30)

 自分は好かれる人間だとも、好かれるべき人間だとも一度も思ったことはなかった。ただ、何人かはぼくのことを気に入ってくれた。またそのうちの何人かとは肉体的にもそうなった。しかし、こころの問題のほうが常に重要であった。

 季節は、冬から春になろうとしていた。ウインター・シーズンも終了である。それを目的としたお客様も減っている。ちょっと前には、ぼくが配属されているところに違うホテルから移ってきた人もいた。そろそろ、見切りをつけるときかもしれない。頭の中には、そんな考えがちらほら芽生えた。

 君江さんとの関係も本気になりかけていた。それは、ぼくの方がということだ。自分は彼女を知って、女性像の変更を余儀なくされる。なんだ、女性って(人間って)こんな一面もあるのか? ということを知るからだ。

 しかし、中山さんに呼ばれ、「彼女のこと、きちんと見たほうがいいよ」との忠告をうける。年長者の意見というのは、どこかしらできいておくべきものなのだ。彼には、きちんとした結婚を考えている女性がいて、たまに別の人を知るという一般的に賢い方法を取っていた。ぼくに、そんな器用な振る舞いが出来るわけもなく、(過去にはしたかもしれない)一途になっていく。

 だが、用もなく待ち合わせもしたわけではないが、仕事が終わった夜に、ぼくがひとり歩いていると男女が楽しげに歩いている姿がみえた。背格好は君江に似ていた。もうその瞬間には、気持ちの上でも「似ている」という範疇を超えているのは感づいていたのかもしれない。だが、不確かな風船のような理性が似ている、というところにとどめていたのかもしれない。ぼくは、瞬時に木陰に隠れ、彼らを見た。そして、こちらへ近付いているころには、ぼくの愛情も手から離れ、持ち主のいない風船のように空中に跳ばされていった。残念である。

 彼女のことを悪く言う気は毛頭ないが、中山さんも大体のことはしっていたようだ。ただ、気晴らしに彼女に合わせたのだが、ぼくの方が勝手に本気になったのだ。

 それにしても、彼女の清純そうな雰囲気はいったいどこから来るのだろう。ぼくは、こうして誰かを裏切った経験を悔やみながらも、いつのまにか誰かに裏切られていたのだ。それは、自分の身に起こってしまうと、より一層ショックであったことを痛感する。身勝手なものである。

 それだけが決定的な要因ではないが、そろそろ東京に帰ろうと思う。日記も厚いページだったが、ほぼ埋め尽くされていた。この年にこの街でできそうなことは、すべて行ったのだった。女性の気持ちの一端をしり、愛情はこわれたバケツのようにいつの間にかこぼれ、自分には救済する方法がなかった。

 職場の上司にその旨を告げ、カバンに荷物を積み込み、そのまま引き出しにいれていたお札もカバンにしまい、ぼくはあとにする。読み終わった本や着古してしまった衣類を共同のゴミ捨て場にすてた。

 その前日に君江にも告げた。彼女は、
「そう、頑張ってね」と言ったが、ぼくは、頑張りえる何かを見出す必要を感じていた。

「頑張るよ」と言って、二人は別れた。彼女は本気でさびしそうな様子を見せたが、ぼくのこころの一部も本気で死んでいた。また、誰かを斜めに見ないでまっすぐと向き合えるかは自分でも不明だった。

 また、従業員が運転するワゴンに乗り込み、最寄り駅まで送ってもらう。来た時とは違い春の到来を予感させる暖かい日だった。駅の売店で、帰りまでの数時間で読めそうな文庫を探す。どれも不満だったが、それでもその中の一冊を手に取り、切符を買った。

 切符を財布にしまい、中山さんの電話番号をメモした紙切れを確認した。もう一度、会うことはあるのだろうか、と自分の未来をちょっとだけ空想した。

 到着した電車に乗り込み、窓側に席を見つけた。荷物を網棚にあげ、ぼくはジュースと買ったばかりの文庫だけを手元に置き、身体ごと座席に沈んだ。

 電車は動き出す。君江という女性のことは考えなかった。ぼくは、多恵子を裏切ったときの、彼女が感じたであろう気持ちのことにやっと自分自身で追いついた。どうしようもない間抜けなことであった。彼女と再び会わなければならないと思っているが、そのときは来ないかもしれない。この電車の中でぼくの青春と呼べそうなものも終わってしまったのだろう、といまの自分は知っている。