goo blog サービス終了のお知らせ 

爪の先まで神経細やか

物語の連鎖
日常は「系列作品」から
http://snobsnob.exblog.jp/
へ変更

繁栄の外で(31)

2014年05月26日 | 繁栄の外で
繁栄の外で(31)

 それで再び、東京にいる。やはり、この場所は春の季節の到来もはやかった。服装は一枚すくなくても問題はなかった。

 ぼくはこれを最後にしようと覚えてしまっている多恵子の家に電話をかけた。だが、それは通じなかった。もう一度かけなおしても結果は同じことだった。

 意を決して、家の前まで出かけてみる。その家の前で見上げるとどこか様子が違っていた。青空を背景に洗濯物がひるがえっているが、家族構成がどこかしら違っているような印象をいだく。気をつけて、玄関の表札を見ると、まったく見覚えのない名前のものと代わっていた。山本さんの会社に行けば、答えは分かるのだろうがそこまではしなかった。愛情もそこまで止まりだったのかもしれない。こうして、また一つ過去を清算することになってしまった。冷蔵庫のおくにしまわれたものの賞味期限がきれてしまったように。

 バイトしたお金はいくらか残っていたが、それを使って資格をとるとか当然、普通の人が考えそうなことはいつも自分はしなかった。ただ、何枚かのCDに化け、何枚かの新しい洋服がタンスに並び、いくつかの美術作品の知識が増えただけだった。ただ、ぼく自身は絶対的なものへの希求が残っていた。もしかして、神はとおりのあちら側、信号の手前あたりで待っているのではないかとのむなしい予感が。

 しかし、そのときも見つけられない。見つけられなければ、この命を楽しむしか方法はなくなる。

 そのとき、あらためて一般的に金銭をどれだけ普通の人が愛しているのかを知る。そういうと語弊があるかもしれないが、愛ではないかもしれない、ただこの人生の旅へのトラベラーズ・チェックという価値がそれにはあった。それで、自分もポケットに何枚かあった方が便利だな、ぐらいの認識を得る。それで、人より多目に手に入れる算段をする。しかし、そうした能力がやはり自分にはないらしく、正式な学問のルートという通行手形ももっていないので、半端な方法でしかそれは叶わない。

 ただ、好きなものは好きという理由だけで、本を読んだり音楽を聴いたりした。それも、威張った理由では当然のところない。マニキュアした爪が好きな女性が、そのことを考えるぐらいしか意味はないのかもしれない。しかし、いくらかは本物に近付いているという甘い誤解をいだくことはできた。

 またもや伴走してくれる人も見つけられず、ガイドをかって出てくれる人も現れなかった。最短距離を歩くことは意外にも難しいのだ。その反面、遠回りや遭難は手近なところにいつもあった。たまには、足をひっかけられるような状況もおとずれた。それすらも、人生を華やかにするものかもしれない、と考えることにした。

 しかし、人生を本物で満たしたいという欲求も、ただ一人の女性の笑顔と引き換えにしてしまうような弱さも当然のようにあった。そのときに、徐々にではあるが冬のリゾート地で接した君江という女性が落とした影に影響され始めていることを知る。女性には、ああいう一面があるのだな、という不思議な驚きだ。その点では、自分はいつも過保護であったのだろう。そして、過保護であり続けようとした。自分だけに気をかけないやつとは相容れないという確かな子供っぽさが、自分の核心にのこっていた。そして、いまでも残っている。

 青春は終わったと思いながらも、それからの脱皮にとまどっている時期だ。いくつかの本や音楽が次への扉を開いてくれるとは思いながらも、そのページはまだなかった。外国語への欲求もありながらも、いつもそっと先延ばしにした。誰かとコミュニケートする時間もそんなにはなかったからだ。たえず、自分の体のなかから何かが呼びかけた。それは、「まっとうな人間になりなさい」とかでは決してなく、「立派な人間になれ」というものだ。しかし、そんな言葉は、祖母が自分の孫に言って聞かすような内容だ。だが、そんなことは理解しながらも、自分の体内からは消えなかった。消えないことには意味があった。

 こういう叫びとともに20代の前半が始まっている。ある意味でいえば、暢気なものである。切羽詰ったものとはいえない。もしかして、他の国に生まれて徴兵でもされていれば、重い銃をかついで、砂漠のなかで喉を乾かしていたかもしれない。これが、日本に生まれるということかもしれなかった。世は平和であった。昭和20年以降の日本が作り上げたシステムの上に、自分もあぐらをかいて乗っかっていた。それを愛してはいなかったが、愛などいったい何の意味があるのだろう。