爪の先まで神経細やか

物語の連鎖
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繁栄の外で(27)

2014年05月21日 | 繁栄の外で
繁栄の外で(27)

 毎日の決まった仕事をこなしていった。忙しく身体を動かしていると、思い悩んでいる時間は比例して減っていった。それが、願っていることであった。

 それでも、夜には一人になった。同じような業務についていれば自然と仲良くなる人が見つかった。必要以上に自分のことを詮索しなければ、普通に部屋を行き来し、一緒にテレビを見たりした。

 同じ日にいっぺんに休むことは不可能なので、休日はひとりで過ごした。バスに乗って、町までくだり好きなものを食べたり、品揃えの悪い本屋に寄ったりした。夜は、ラジオを聴きながら都会での生活のことを考えた。はっきりいってしまえば自分はそこしか知らなかった。アウトドアが好きでもなかったし、気楽に一人旅に出るわけでもなかった。それよりも頭の中で、知らない知識を増やしたりする空想の旅を自分は望んでいた。

 しかし、離れてしまっても多少の暮らしの土台ができれば、あとは数人の話し相手が出来るようになれば、どこにいても楽しいものになることを知った。そして、知らないところに足を踏み入れることも、知識を増やすことと同系列であることを実感した。

 数週間して、早めに業務が片付いてしまった日、たぶんお客さんが少なかったのだろう、そこで知り合った仲間に誘われ、ある近場にビールを飲みに行った。あしの裏には雪の感触があった。数十メートルあるくとロッジ風の建物が明かりを照らしていた。彼は、社交的な人だった。この前、ここに来たときに知り合いになった子がいるといって、いつもむさ苦しい場所にいるのだから、たまには羽目をはずそうぜ、ということになった。自分は躊躇したが、執拗な誘いに断るべき言葉を呑み込んでしまった。

 中に入ると、この辺のホテルで働いている人たち用の憩いの場所であるようだった。別のホテルで働いている人たちも同じように息抜きが必要なのであろう。多少、疲れた様子の人もいるにはいたが、仕事から解放された気持ちがありありと感じられ、ぼくの体内からもそうしたものが出ているか訊いてみたい気持ちになった。

「ビールにする? 一杯目は先輩のオレがおごるよ」と、ややふざけた調子で、彼が言った。店内の様子がまだ理解できなかったので、そうしてもらった。「じゃあ、あの奥の席を取っておいて」と指差された方面にぼくはむかった。窓の外はライトに照らされた雪がきれいにうつっていた。ぼくは、多恵子にも見せてあげたいな、と一瞬だけ考えていた。

 ぼくの前に、ビールのジョッキが2つ並べられ、あとはつまらないスティック状の野菜が同じようなグラスに入れられ、そのテーブルに置かれた。「とりあえずは、これで我慢して。きちんとしたものは後で」と言って、彼はその一本を口に運んだ。

 だいたいのことは予想できた。この前、意気投合した子たちも仕事を終えやって来るのだろうと。ぼくは、まだこころを閉ざすことが習慣になっていたが、まあ普通には楽しく応対しようとも考えていた。圧倒的なまでに自分は悪い人間であると攻めてもいたが、いくらかは大目に見ても良いのではないかと自分への点数を甘くした。その結論に導いたのは、東京との距離の差や遠さであったのかもしれなかった。

 ビールは、いつの間にか開いてしまった。一緒に来た中山さんにきき、「もう一杯それでいいですか?」との答えにうなずいたので、ぼくはカウンターまで歩いた。

 ビールを両手に歩き出すと、おつりをもらい忘れていると呼び止められ、もう一度取りに行った。そのときに店内に若い女性が2人、寒そうな感じも見せず入ってきた。ぼくの気持ちの中として、その子たちが中山さんの知り合いならいいな、と考えて席に戻ると彼が会釈している姿が見えた。ぼくは、目線で「あの子たちですか?」と彼に問いかけた。彼は、小さくうなずいた。

 ぼくは、緊張した感じで席に座った。彼女らも、ビールのジョッキではなくおしゃれなグラスの細い部分を握り、こちらに来た。色もそれぞれカラフルで、それを何色と呼んでいいかは分からなかった。

 ぼくは、ひさびさの笑みをつくった。そして、当分は女性のことを考えるのは止そう、と決意してあったことをすぐに撤回する自分を情けなく思った。しかし、どうにも仕様がないことだった。自分のこころを冷やそうと努力していたことが逆にかえって、誰かに暖めてもらう機会を待っていたようなものだ。