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繁栄の外で(22)

2014年05月13日 | 繁栄の外で
繁栄の外で(22)

 ある日のこと、いつものようにバイトを終えると、手持ち無沙汰なすがたで山本さんが立っていた。誰かに用があるらしいことは分かったが、その相手は意外なことに自分であった。

 ぼくをつかまえると、休憩室にはいりタバコを取り出した。用というのは彼の知り合いが賃貸アパートを持っていて、そこに空室ができ安く借りることができるが興味はないか? ということだった。急に言われたので直ぐには返答のしようがなかったが持ち出された条件が良かったので、前向きに考えると言ってその場を去った。

 その翌週には、そこに入ることを決めていた。前の住人は大学時代に借り、就職が決まったあともそこに住んでいたがそろそろもう少しましな所に引っ越したいらしく出ることになった。もともと、実家が裕福らしくかなりの仕送りがあったと噂されていた。それで家財道具をそっくりそのまま置いていってしまい、不快でないならそれをそのまま使っても良いことになった。向こうとしても処分するのが面倒くさかったのだろう。

 その次の休日には当面の衣料と歯ブラシやシャンプーと数枚のCDを持ち込み、自分の移動はあっという間にすんだ。簡単なものだ。実家とそう離れているわけでもないので、必要なものがあれば取りに行けばよかった。使って申し分のない高級な音楽プレーヤーがあったことが何よりうれしかった。

 多恵子は入る日に掃除を手伝ってくれ、こまごまとしたものを整理してくれた。その後もちょこちょこ寄ったりした。ぼくは、山本さんの手前、すこし控えてほしかったが口に出しては言えなかった。

 若い男女が同じ部屋にいて監視もなければ、行きつく先はひとつだろう。ぼくらは自然とそういう形になった。ぼくの前に肉体としての女性があらわれた。それは多恵子で良かったといまでも思っている。

 彼女はある時はそこで勉強もし、家でつくった料理が残っていればたまにもって来てくれた。ぼくらは、些細なことで笑い、また小さなことで喜び合った。そのアパートの一室には幸福感がみなぎっていた。

 でも、多くのことは一人ですることも覚えなければならない。バイトから帰って洗濯をしたり、手は抜けるだけ抜いたが掃除もしないと直ぐに小さな部屋はちらかった。ホテルのように自分がいない間に片付いたりするわけもなく、戻って戸を開けたときに不快な状態を目にするのは、まぎれもなく自分であった。

 それでも、日曜には鳥が鳴き、ひとりで布団にくるまっている状態を自分は楽しんでいた。そこには限りない自由があるような気がした。

 週末には友人たちが集まった。ビールの缶を袋いっぱいに詰め込み、またある人は惣菜などを買い込み現れた。そこに、多恵子がいることもあり、彼らは最後には気をつかっていつの間にか消えるようになっていた。山本さんの意図を考え理解できないこともあったが、最終的にはただ面倒見が良い人なのだろう、というあやふやな結論で我慢することにした。それ以上、そのときは理解することはできなかった。

 たまには電話が母からかかることもあったが、そう短期間に重大な変化が起こるわけもなく、いつの間にか段々とかかってくる期間が空くようになってしまった。そして、自分からかけることも必然的に少なくなっていった。

 そのように環境は変わっても、週に2日は夜にシナリオを学ぶ教室に通った。数ヶ月は熱心であったが、徐々に形式的に自分はシナリオというものを好んでいないということを知るようになる。もっと一人称的に自分に訴えてくるものを欲していたのかもしれない。だが、表面に現れることもまた最終的な結論を下すこともせずに、ぼくは教室のテーブルにむかって座ることは辞めなかった。辞めるということが常習的になってしまうことを恐れていたのだとも思う。

 ぼくは、夜ひとりになった部屋で簡単な日記をつけた。それは、誰と会って何が起こったとか、こんな映画を観たということで終始することが多かったが、あとで振り返ってみれば役に立つかもしれない、ということも意識していたのだと思う。そうして、白い紙がなにかで埋まっていくことを実感することは楽しかった、そして、自分を客観視することにも役立ったと思う。結局のところ、自分がどんな人間で、どんな能力が内在されているかなど、あまり分からないものだからだ。それでも、そのきっかけを作ることぐらいは自分でしても良いと思った。だが、まだまだ自分が何者であるかなどは分からないものである。
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