爪の先まで神経細やか

物語の連鎖
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存在理由(17)

2010年11月13日 | 存在理由
(17)

 4月を終えると、5月には連休が待っていた。ひと月ほど、新たな環境で自然と精神は消耗し、それを回復させねばならず、また更にはたくさんのことを吸収しなければならない身にとっては、まとまった貴重な休みたちだ。その頃の5月の東京の空は、10代最後の着飾った少女のように輝いていた。

 遥か遠い中東の子供たちも、同じような空を見ているのだろうか。自分の周辺のことに追われていると、そのような考えは自然と頭から締め出してしまう傾向にある。だが、この時は多少なりとも違っていた。なぜならば、休みの前に雑誌社の先輩と飲むことがあり、その人は取材で2月、3月と中東に行っていた時の写真を見せてくれたからだ。

 もちろん、テレビの報道で湾岸戦争と呼ばれるものを人並みに注意をはらって見てはいたが、彼の写真を通して、本来の姿を垣間見ることが出来た。

 悲惨な写真も山ほどあった。それは、戦場にもなっていたぐらいだから。だが、兄の子供と同じ年頃の子どもの姿に、日本と場所は違うが、その年ごろ特有の快活さと他者に対する好奇心がみなぎっている1枚の写真を見て感動してしまった。

 たまたま、あそこに存在しているということだけで、彼らの教育過程や、誰かを失ってしまうことや、微かな憎しみを覚えていってしまうことなど、そのようなことまで考えさせてしまう何かが、その写真には含まれていた。同じ部署の女性の先輩が、そのカメラをぶらさげた先輩に引き合わせてくれ、とても感謝している。

 人との出会いというのは、偶然なのだろうか? その中東の少年はぼくに勇気をくれるために10年ほど前に生まれてきたのだろうか?

 みどりの両親が住んでいる長野に向かっている途中、そのことを反芻し、ぼくは無言でいる時間が長かった。車を運転しているぼくをみて、
「静かだけど、ちゃんと起きて運転している?」
 と、暖かい口調で話しかけた。
「もちろんだよ。だけど、少し先のサービスエリアで休もうか?」
「うん。熱いコーヒーが飲みたくなってた」
 彼女は、カセットテープの音楽から、ラジオ番組に変え、天気予報を気にしていた。
 コーヒーカップを手にし、ガラスの扉から出てくる彼女。その2つのカップをぼくに渡し、背伸びをした。細めのジーンズがとても似合っていた。

「それ、いつから履いているんだっけ?」とコーヒーを戻しながら、みどりのジーンズを指差し、ぼくはたずねた。
「なに言っているの、この前一緒に買いに出掛けたんじゃない」
 女性の不満。覚えられることが、男女で違うのだろうか。ぼくは頭の中の記憶を探したが、いつのことか全く思い出せないでいたが、あの時か、と独り言のように呟いた。

 コーヒーを飲み終え、運転が好きな彼女は、自分の番だということで、シートに座り、椅子の位置やミラーの角度を調整した。
 しつこいようだが、5月の空は、なんの後悔や雑念もない人の気持ちのように見事に青く輝いていた。ぼくは、うしろのシートをガサゴソ探し、自分のバックのジッパーを開けた。

「なんか、なくした?」
 ぼくは包装紙に包まれた箱を出し、みどりの華奢な手首と、白い腕に似合いそうな買ったばかりの時計をプレゼントした。
「どうしたの、これ?」
「いや、最初に出た給料で、なんか買おうと思っていたから」
「こんな、大きな子を育てた覚えはないけどね」
 と、彼女は言った。車内には、5月のさわやかな風と、古い70年代の甘いソウル・ミュージックと将来に対する希望が満ち満ちていた。

 ぼくは、中東の少年のことを忘れてしまっていた。彼らたちも、大切な必要なものを手に入れることが出来たのだろうか。その後、なんとか存在を証明できるのだろうか。
 もう直ぐ、彼女の両親の家に着く。ぼくは、下手な舞台俳優のように、その役柄にいくらか緊張し出した。

拒絶の歴史(124)

2010年11月13日 | 拒絶の歴史
拒絶の歴史(124)

 一筋縄では行かないというのが人生の真実であるならば、やはり真実は、ぼくにも当然のこと当て嵌まった。

 いま考えると、ぼくは自分の考え出した結論や決断に依然として悩んでおり、それを見かねた雪代はわざと自分に冷たくするよう決めていたのかもしれない。ぼくらの関係は徐々にぎくしゃくとし出し、潤滑油のない機械のように軋み出した。そして、何度も彼女が放った言葉、

「ひろし君は、前のような情熱でわたしを愛してくれているのかしら?」を何度も連呼し、確認を求めた。そして、最後には、「あのような状態に戻るまで、わたしたち少し距離を置きましょう」と小さく言った。さらに、「将来、それでも、わたし、ひろし君とまた会うことになると思う」と自分のこころに告げるように、それまで伏せていた目を上げて、ぼくに言った。
「将来また会うんだったら、このまま継続していくのと、違わないと思うんだけど」と未練を含んだ言葉を自分は発した。
「違う。大違い」と子どもをたしなめるような口調で彼女は答えた。「ひろし君の問題でもあるし、わたしのこころの問題でもある」

 それは、ぼくらにとって大事件であった。ぼくは、こころの支えを失おうとしていることを実感した。そして、ぼくは何度も彼女が放った言葉を考えている。仕事中、車の運転をしながら、信号で停まると、その言葉を丁寧に雪代の口調でなぞった。そうしていると、信号で停まるたびにその言葉を思い出すことが癖のようになってしまった。段々と、ぼくは自分の反省点も探すようになる。やはり、以前のような情熱で、ぼくは雪代を愛することを忘れてしまったのだろう、と結論を下す。しかし、それは時間という流れがある以上、仕方がないことだとも思えた。新鮮さが物事の重要な基準ならば、ぼくは合格点を取れず、成熟を判断の材料とするならば、ぼくは失敗していないことになった。

 それから、何日か経って、自分は荷物を実家に送り、自分自身も雪代に鍵を渡し、そこから離れることになった。それでも、最後にぼくらはベッドの中で抱き合った。なにが自分たちを別れさせたのか、ふたりとも分かっていなかったと思う。あのとき、ぼくは何らかの言葉を発していたら、この喪失感を味あわないで済んだのかもしれない。ぼくらは、パーフェクトに抱き合い、パーフェクトに優しさを出し合った。

 朝になり、その日はぼくは休みだったので、小さなバックに最後の残した荷物を詰め込み、家を出た。
「いままで、ありがとう」とぼくは言った。
「わたし、こんなときだけど泣かないよ」と、ほほにえくぼのようなものを見せ、雪代は言った。
「うん、元気で。また会うという言葉が本当なら、そのときまで元気でいて」
「ひろし君も」

 ぼくは玄関のドアを閉め、上空の青空を眺めた。もし、そのときをもう一度やり直すならば、ぼくは玄関をまた開けるべきだったかもしれないし、彼女もそれを開けて飛び込んでくるべきたったかもしれない。だが、ふたりはそうしなかった。そうしない以上、ぼくらは自分の未熟な判断を固く守ったことになる。

 家に着くと、親父はあまり言葉を言いたがらなかった。母は、何度か、
「それでいいの? あの子に迷惑かけていない」と念を押すように言った。
「ふたりとも子どもじゃないし」と、ぼくは答えるにとどめた。この家にいるのもあと一月半ほどなのだ。あとは、東京に行ってしまう。

 妹は、もっと直接的に、
「高校生のときの女性みたいに、お兄ちゃんはすぐに別れることができる。人間が冷酷にできているのよ」と冷たくなじった。それを、ぼくは神秘の書のなかに書かれている自分のページを探りあてたような気持ちで聴いた。
「お前らみたいに、意中のひとがひとりで済ますことができたらな」
「本当は、できたんでしょう? ただ、しなかったんでしょう?」
 と、疑問のように訊いたが、それは問いでもなかった。ただの答えであった。

 ぼくは、自分の荷物が入った段ボールを開けず、それを東京までの一時的な経由地であり、保管場所のように自分の実家のことを考えていた。ぼくは、8年ぐらいそこから離れており、ある面では家族に対して醒めていて、またこころのなかでは、それだからこそ頼っており愛していた。しかし、彼らは心配のあまり、ぼくやぼくの行動に対して辛口だった。

 ぼくは、残された仕事をし、引き継げるものは引き継ぐよう、資料を整理した。夜は、雪代の存在を忘れるかのように酒を飲んだ。飲み屋の女性と何度かそういう関係になり、ぼくらは、互いに未来のない関係を楽しんでいたが、最後には、「本気になってしまう前にやめましょう」と、冷たく言われた。情のある女性は、自分の情に対して、能動的になることを恐れていた。ぼくは、違う場所で飲むようになり、雪代を忘れたかったのか、その女性を忘れるようにしていたのか、酔った頭で判断できないようにまでなった。

 仕事は暇になり、ぼくの送別会の予定が組まれるようになった。