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拒絶の歴史(124)

2010年11月13日 | 拒絶の歴史
拒絶の歴史(124)

 一筋縄では行かないというのが人生の真実であるならば、やはり真実は、ぼくにも当然のこと当て嵌まった。

 いま考えると、ぼくは自分の考え出した結論や決断に依然として悩んでおり、それを見かねた雪代はわざと自分に冷たくするよう決めていたのかもしれない。ぼくらの関係は徐々にぎくしゃくとし出し、潤滑油のない機械のように軋み出した。そして、何度も彼女が放った言葉、

「ひろし君は、前のような情熱でわたしを愛してくれているのかしら?」を何度も連呼し、確認を求めた。そして、最後には、「あのような状態に戻るまで、わたしたち少し距離を置きましょう」と小さく言った。さらに、「将来、それでも、わたし、ひろし君とまた会うことになると思う」と自分のこころに告げるように、それまで伏せていた目を上げて、ぼくに言った。
「将来また会うんだったら、このまま継続していくのと、違わないと思うんだけど」と未練を含んだ言葉を自分は発した。
「違う。大違い」と子どもをたしなめるような口調で彼女は答えた。「ひろし君の問題でもあるし、わたしのこころの問題でもある」

 それは、ぼくらにとって大事件であった。ぼくは、こころの支えを失おうとしていることを実感した。そして、ぼくは何度も彼女が放った言葉を考えている。仕事中、車の運転をしながら、信号で停まると、その言葉を丁寧に雪代の口調でなぞった。そうしていると、信号で停まるたびにその言葉を思い出すことが癖のようになってしまった。段々と、ぼくは自分の反省点も探すようになる。やはり、以前のような情熱で、ぼくは雪代を愛することを忘れてしまったのだろう、と結論を下す。しかし、それは時間という流れがある以上、仕方がないことだとも思えた。新鮮さが物事の重要な基準ならば、ぼくは合格点を取れず、成熟を判断の材料とするならば、ぼくは失敗していないことになった。

 それから、何日か経って、自分は荷物を実家に送り、自分自身も雪代に鍵を渡し、そこから離れることになった。それでも、最後にぼくらはベッドの中で抱き合った。なにが自分たちを別れさせたのか、ふたりとも分かっていなかったと思う。あのとき、ぼくは何らかの言葉を発していたら、この喪失感を味あわないで済んだのかもしれない。ぼくらは、パーフェクトに抱き合い、パーフェクトに優しさを出し合った。

 朝になり、その日はぼくは休みだったので、小さなバックに最後の残した荷物を詰め込み、家を出た。
「いままで、ありがとう」とぼくは言った。
「わたし、こんなときだけど泣かないよ」と、ほほにえくぼのようなものを見せ、雪代は言った。
「うん、元気で。また会うという言葉が本当なら、そのときまで元気でいて」
「ひろし君も」

 ぼくは玄関のドアを閉め、上空の青空を眺めた。もし、そのときをもう一度やり直すならば、ぼくは玄関をまた開けるべきだったかもしれないし、彼女もそれを開けて飛び込んでくるべきたったかもしれない。だが、ふたりはそうしなかった。そうしない以上、ぼくらは自分の未熟な判断を固く守ったことになる。

 家に着くと、親父はあまり言葉を言いたがらなかった。母は、何度か、
「それでいいの? あの子に迷惑かけていない」と念を押すように言った。
「ふたりとも子どもじゃないし」と、ぼくは答えるにとどめた。この家にいるのもあと一月半ほどなのだ。あとは、東京に行ってしまう。

 妹は、もっと直接的に、
「高校生のときの女性みたいに、お兄ちゃんはすぐに別れることができる。人間が冷酷にできているのよ」と冷たくなじった。それを、ぼくは神秘の書のなかに書かれている自分のページを探りあてたような気持ちで聴いた。
「お前らみたいに、意中のひとがひとりで済ますことができたらな」
「本当は、できたんでしょう? ただ、しなかったんでしょう?」
 と、疑問のように訊いたが、それは問いでもなかった。ただの答えであった。

 ぼくは、自分の荷物が入った段ボールを開けず、それを東京までの一時的な経由地であり、保管場所のように自分の実家のことを考えていた。ぼくは、8年ぐらいそこから離れており、ある面では家族に対して醒めていて、またこころのなかでは、それだからこそ頼っており愛していた。しかし、彼らは心配のあまり、ぼくやぼくの行動に対して辛口だった。

 ぼくは、残された仕事をし、引き継げるものは引き継ぐよう、資料を整理した。夜は、雪代の存在を忘れるかのように酒を飲んだ。飲み屋の女性と何度かそういう関係になり、ぼくらは、互いに未来のない関係を楽しんでいたが、最後には、「本気になってしまう前にやめましょう」と、冷たく言われた。情のある女性は、自分の情に対して、能動的になることを恐れていた。ぼくは、違う場所で飲むようになり、雪代を忘れたかったのか、その女性を忘れるようにしていたのか、酔った頭で判断できないようにまでなった。

 仕事は暇になり、ぼくの送別会の予定が組まれるようになった。


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