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拒絶の歴史(129)

2010年11月23日 | 拒絶の歴史
拒絶の歴史(129)

「もう最後なんで、サッカーの練習に顔を出してくれよ」と、なんどか友人の松田に誘われていたが、いろいろと片付けることがあり、本意ではないにしろ断っていた。だが、最後の週になって、それでは、あんまりだという執拗な誘いがあって、ぼくは履き慣れたサッカーシューズを持ち出した。これは、東京に持って行く荷物には、なぜだか入っていなかった。向こうで、そうした仲間ができるとも潜在的には思っていなかったのだろう。

 春は間近に迫り、ぼくは爽やかな気分でグラウンドに立っている。たくさんの少年たちがいて、思い思いにウオーミングアップをしていた。ぼくもあらゆる筋肉を伸ばし、彼らに最後ぐらいは良い印象を持ってもらって、今日を終えたかった。ぼくは、少年時代はサッカーを日が暮れるまで練習していた。高校生になり、ラグビーに種目を変えてから、そこそこの選手になったが、全国大会に出るという夢は叶えられなかった。だが、なぜだか今はそれで良かったのかもしれないと考え直している。

 ラグビーを通して、掛け替えのない友人ができ、それを熱心に追い続けている後輩もでき、彼はいずれ妹と結婚してくれるのだろう。ぼくの無様ながらの頑張りも応援してくれた幾人かもいて、そのうちの一人と熱烈な恋愛もできた。いつもぼくらが負けてしまうライバルもいて、スポーツだけが人生ではないということも彼らは教えてくれた。名前を明かせば、それは、雪代であり島本さんであった。ぼくは、その人生にもう関与することも出来ず、ただ新たな未来を作るよう模索するのだろう。だが、それも悪いことではなかった。もっと、悪いことが起こる可能性だってあったのだ。誰も、ぼくを認めず、誰もぼくをこころの底から愛してくれるひとも見つけられない人生だってあったのだ。

 しかし、ぼくは数年間、本気で愛されたらしい。そのことを手紙という形でありありと知った。その地を離れてしまうことは淋しかったが、生きるということは、こういう自分の思い通りに行かないことを含めて成り立っているのだろう。

「やっと、来てくれたんだ」と、松田は言った。彼は、高校を不本意ながらも途中で辞め、そのときから彼のサッカーのセンスを失うのをもったいなく思っていたが、彼は小さな子どもたちに教えるチャンスを与えられたことにより、その才能をまた開花させることになった。その原因となった、彼の子どももきちんと教育され、徐々に大人になっていった。その小さな命がこの地上になかったことなど、ぼくはもう考えられずにいる。ただの友人がそう考えるぐらいだから、実の親はもっと真剣に考え続けているのだろう。

 ぼくは最初のうちは自分自身の身体の動きに馴染めずにいたが、次第に自分の思い通りに身体は指令を受け、さまざまなパスや、守備を的確にこなし、その練習を楽しめている自分を発見する。もうそうなれば、さまざまな悩みや、東京への転勤など自分の頭のどこにも見当たらなかった。ただ、いまがあり、ただ、そこだけが現実であった。過去も未来もぼくの思いから消え、それはぼくが持っていないぐらいだから、誰の支配下に入るものでもなかった。

 汗を同時に流した分だけ、ぼくは認められ、不甲斐ない動きをした分だけぼくの信用は損なわれることになる。だが、その日はぼくの信用はずっと残ったままだった。

 練習が終わり、松田やもうひとりのコーチがジュースやお菓子を買ってきてくれて、グラウンドで汚れたウエアのまま食べた。
 それが終わると、もう少年時代が過ぎた子たちもいつのまにか集まり、集合写真を撮るためにわざわざぼくのために来てくれた。

 ぼくは4、50人の子たちに囲まれ、最大の笑顔でその写真の中心にうつることになる。それを東京に行く前に貰い、その写真がいずれ、ひとりの人間に影響を与えるなど、そのときのぼくは考えることもできずにいる。まあ、当然の話だが。

 ぼくは、なぜだかその後、涙が流れそうになり、トイレに消えた。そこから出ても、誰かにそのことを知られるのを恐れていた。しかし、ある一人の女性がその前にたたずんでいた。

「みんな、近藤君のことが好きみたいだね」それは、あるサッカー少年の母であり、ぼくが社長としばしば通った飲食店の女性でもあった。
「そうみたいですね。なぜか、分からないけど」
「東京に行っても、こっちのこと、忘れない?」
「もちろんですよ」
「きれいな子もいたけど、わたしみたいなひともいたことも忘れない?」
「忘れることなんかできないですよ」
「ほんとうに?」
「だって、忘れさせようとしたのは、あなたじゃないですか?」
 ぼくは、そこで彼女の唇の暖かさを知る。それは、どのようなものにも例えられないほど、信用や信頼という言葉にふさわしかった。

「これで、じゃあ、ほんとうに何年も忘れない?」
 ぼくは、洗練された返事もできず、ただ、無力な少年のようにうなずいた。また、女性への憧憬と恐怖心も同時に植え付けられていったのだろう。
 またそこを後にし、グラウンドに出ると、松田に声をかけられた。
「うちの手料理を最後に食って行ってくれよ」というセリフにぼくは何気ない現実の愛おしさを知ったのだった。


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