爪の先まで神経細やか

物語の連鎖
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存在理由(21)

2010年11月25日 | 存在理由
(21)
 
 バームクーヘンの薄い層を回転して殖やすように、経験やコネクションを重ねて行く。

 それらのことを通じて、本来の自分に近付いていったり、自分の核を探し当てても行くのであった。

 もちろん、忙しい時期が長く続けば、大金を掴んで、リタイアしたいという気持ちが芽生えたりもするが、まだまだ、そのような状態になってもいいのは、かなり先の話だ。それまでは経験を通して、自分にあった比喩的な羽織れるコートを見つけ出していく。

 まあまあ、忙しくなり出していたのだ。抜擢という程でもないが、いくらか文章が書けるということと、以前のバイト時代の知己があることで、経済や金融のことより好きな、メーカーの製品を紹介する部門にかわってしまった。先輩は、ぼくを育てられないことを残念がり、しかし、優秀な後釜はすぐに見つかり、そこに自然と入っていった。ある人は、好運があるとも言い、また別のある人は、正規の道を逸れたとも言った。自分としては、好きなことをして快適なことをした方が良いくらいに思っていた。まあ、試用期間内はいろいろなことがあるのだろう。

 元気をなくす前兆のようなものを、すでに企業は発し始めていた。熱を出す前の子供のように、一時的に病的な元気をみせることもあったが、それは、その後の急激な凋落の前触れでもあったのだ。しかし、それでも、自分は企業という中での無名性のさまざまな製品を愛してもいた。これこそが、日本の製品でもあるという感じで。

 音楽が、部屋の中で立派なかたちを取ったステレオの前で聴くことではなく、気軽に簡易に外に持ち運べるという形式が、ぼくの学生時代のある時期に、急に現れるようになった。あるものが発明されると、そのライフスタイルまで変わってしまうことを知った。そのことが金銭の上下として株価の変動や会社の名声につながることを知ったが、無からあるものをクリエイトする喜びの方が、それより、より一層の幸福をもたらすことを知っている。

 また、あるものと、現存するあるものとを組み合わせることによって、思いがけない連鎖反応があることも知った。友人通しのつながりなどもそうだろう。売れていく品物にも、それらが含まれているが。

 こうして、経営をする人というより、現場で何かを作り出そう、という熱気に入れることは、とても嬉しいことだった。その後、予算は減っていき、自分の思い通りのプロジェクトに入れない、なれない気持ちをもっている人も見たが、それでも、製品というのは、どういう形でも生まれたがっていて、ある人の、それぞれの熱意や経験や夜中のひと時などを利用して、なんとかこの世に生をうけようと思っているようだ。

 みどりにも、そのことを告げ、
「良かったじゃない。好きなことに戻れて」と、言われた。
「そんなに、好きそうに見えたかな?」
 自分では、意外と分からないこともある。それにしても、彼女は好きなサッカーの仕事に打ち込んでいる。時間もなく、そのことに、いくらか嫉妬の気持ちを抱く自分もいる。

 たまには、仕事帰りに一緒に食事をすることもあったが、他の人たちはどうしているのか分からないが、時間を工面して、会う時間を見つけ出すことも段々とむずかしくなる。それが、大人になるということなのだろうか。学生時代は、金銭的なゆとりがあれば、もっとあんなこともしてあげたいな、と確かに考えていたはずなのだが。

 夏の前の重苦しい空気を感じて、スーツの上着を脱いで片方の肩にかけて、歩いている。まだ、ネクタイをきちんとしていることが求められている時代でもあった。みどりも、グラウンドを廻ることが多いせいか、健康的に日焼けした肩をノースリーブから覗かせている。いまにも、雨が降りそうな気配が、湿気の多い空気に感じられる。少し、お酒が入ったせいか暑くなったと、みどりは言った。

 みどりの家のそばの川沿いを歩いていると、自分には将来、幸福なことしか待っていないのではないかとの錯覚を抱く。それぐらい、自分にとっては、そこはホームグラウンドのような場所だった。雨がぽつぽつと降り出したかと思うと、彼女のいつもの玄関が見えた。いくつかのアパートの電気が窓から光を放っていた。