爪の先まで神経細やか

物語の連鎖
日常は「系列作品」から
http://snobsnob.exblog.jp/
へ変更

当人相応の要求(41)

2007年12月15日 | 当人相応の要求
当人相応の要求(41)
 
 例えば、こうである。
風に揺れる襟。ボタンで留めてしまえば、そんな不自由から解放されるのではないか? ある種類のシャツの起源。
ヘンリー・サンズ・ブルックスという人物。その人から流れる系譜。そして、生まれてしまう発想と信念。
あるクオリティの高い製品を作り、そんなに莫大に売れなくたとしても、価値あるものを理解する人は、その値段に合ったものとして、購入してくれるだろう。
人間は、洋服に包まれて暮らす。その服装の判断によって、ステータスや人間性や趣味や思考が分類されていく。
彼が青春期をむかえる1980年代には、デザイナーズ・ブランドというものが流行しだす。セール期間になると、そのような店舗がぎっしり詰まった建物の外周には、大勢の男性たちも列になって並んでいた。彼も、その後方に一人たたずんでいる。
そして、ある袋を持って、ウキウキした感じにもなったり、タンスに長くしまわれ脚光を浴びることもなく服の生涯を終えるものたちもあった。
それから、大人になり、ネクタイのお世話になる。まともな人間の証し。社会に適合している人物だという仮の証明。その時になって、ボタンダウン・シャツというデザインに傾倒していく。あんなに完璧なシャツやフォルムはないのではないだろうか?
もちろん、日本でも買う。買っては着る。着ては洋服ダンスの奥の方に場所は移り、ハンガーに飾られたまま、袖を透す機会も減り、引退間近のピッチャーのようにグラウンドに出ることも少なくなっていく。
彼は、外国に行く。それぞれの国で、それぞれの洋服の着方を教わる。ポロシャツと半ズボンで過ごす人たち。3、40年かけて、自分に合った服をきちんと見つけられた人たち。相変わらず、はじめて服をもらって、身に着けている感じが否めない人たち。なにかしら、学習することがある。
服装で判断することはないが、(本当か? 建前か)彼は、気に入った服を着て、晴れた青空のもと、町中を闊歩する幸福を知っている。というか気づいてしまっている。
それで、外国でもボタンダウンのシャツを探している。彼に話術巧みに勧めようとするラテン気質の店員たち。自分の仕事ぶりや、製品を非常に愛し、声高にではないが自信をもって、気に入ってくれたらお買い上げしてくれればいいですよ、と横柄にならずに、そうしたスタンスで接客する店員たち。
そして、その分、着ない服も増えていく。過去に夢中になってしまった思い出だけが残り、現状の自分につりあったものになる。本当の自分を探して。内面も、また外見も。
きれいな女性がいる。なぜか服装の趣味が、というより自分自身の良さと服装がアンマッチしている人がいる。彼は、なぜか、そうした女性をセクシーに感じたりする。また逆に、そんなに美人というわけでもないが、その服装と放つ魅力に、はっとさせられたりする人もいる。そうした人に、自分の当時の恋人の服装も選んで欲しいな、と彼はちょっとだけ考えたりもする。
それらのことを、服装ではなく車に求める男性もいる。そのエネルギーを室内のインテリアに注入しようとする女性たちもいる。でも、彼の考えは、社会と和合することならば、服と会話と、軽い酒のようなもので彩っていきたいと思っている。
世の中は、どんどん軽薄なものになっていく。一生、突き詰めて研究者のような姿で人生を取り込めなくなっていく。その反対に、世の中はどんどん殺伐となっていき、険悪になっていく。素敵な靴と、コートを着込み、その殺伐とした社会や満員電車に放り込まれる。彼も、いつの間にかそうした大人になっていたのだ。自分でも、気づいてはいなかったが。だが、コートの内面と、自分の周辺だけは、甘い快適なにおいを発したいと思っていた。思っているだけなのかもしれないが。
洋服をデザインする人がいる。その代わりに似合う人に着てもらいたいと思っているのだろうか? 彼は、その代償として、最低限の身体のデザインを維持したいと決めている。マネキンのような完璧なスタイルは望めないとしても、それ相応の年代にあった体型を。今日も、風が吹いている。襟は、風に揺られることもなく、ボタンでしっかり留まっている。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿