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当人相応の要求(38)

2007年11月18日 | 当人相応の要求
当人相応の要求(38)
 
 例えば、こうである。
 人々の熱狂を浴びること。スポット・ライト。そうした事柄の最初は、一体いつからなのだろう。
 彼の記憶の中では、フランク・シナトラという歌手のステージで女性たちが群がり、絶叫しているイメージにつながる。独占とは、程遠いものだが、彼女たちはそれに対しては、特別思い入れがないようにも思われる。男性と女性の違いか?
 人々の注目に値する声を持つこと。そのイタリア系アメリカ人は、節回しによりもう20代という若さで、人気の絶頂に達する。唄がうまいということと感動と、芸術との隔たり。
 1915年に生まれた歌手は、この世の宝を持っていくこともなく、1998年の5月14日にステージから退場。永遠ではない甘い声。
 その後、1935年にアメリカの南部にスターの資質を持った男性が産声をあげる。腰を揺らしていたかは知らない。それから、メンフィスで唄のうまいトラック運転手になる。その地域のラジオから流れる黒人のリズムの取り方を習得し、そのロックン・ロールの申し子は、独自のスタイルを作っていく。
 流行の先端を敏感に感じる女性たち。荒々しい振りと、逆に官能的なまでの甘い歌声で人気を博していく。30年も経った日本の土地で、彼もその歌声に聴き入る。しかし、上手いとは思うが(もちろん、絶対的に重要なこと)思想的な面で(音楽に必要か? 一時的な若者の迷いの隙に忍び込むもの)何やら、物足りなさを感じてしまう。
 42歳という若さで、メンフィスで歩みをとめた男性。疲れた夜中、思想などが必要ない瞬間には、(そう物事を複雑に考えこめない時)その歌声がすんなりとこころに飛び込んでくる。帰りを忠実に待っていた犬のぬくもりのように。
 音楽は、流れていく。ラジオに乗る電波は国境を越える。レコードという物資もリヴァプールという港町に流れ着く。
 音楽に、思想を持ち込む男。ビートルズ時代を経て、丸い眼鏡が似合う男性。イマジンという究極的なまでの理想主義の賛歌。そこまで、若い人間の熱狂を受け止める思想の持ち主は、当然のようにそれらの一人に撃ちぬかれるという結末が待っているのではないだろうか?
 40歳の男性が、ニューヨークに倒れている。それでも、銃になんら規制をしない国家。20世紀の宝は、いとも簡単に失われていく。
 アメリカはベトナムに行く。その行為自体にBGMが必要になってくる。この時点で、ロックスターというものに陰りと失笑が入ってくるのではないだろうか。
 その列にジム・モリソンという男性が並ぶ。その隊列に通じるドアを開けるように。その容貌と熱唱が、この一員になることに許可されていたようだ。数々の歌声と、美しい詞をひっさげ登場する。時代が、このような存在を必要としていたように。ポップソングとしては長い曲もあるが、それを聴くアジアの片隅の彼は、(生まれていた頃は、自分と同系色の人間が狙われていたにも関わらず)飽きることなく、感動に震えている。登場があれば、退場もあるように、あらしの中を過ぎ行くバイク乗りのように、27歳という若さで、あっという間に消える。もっと、やる気の失せた時代に入っていくのだ。
 1980年代に入り、アイルランドから世界へと拠点を変えていくバンド。彼は、自分の人生のBGMとして、「ヨシュア・トゥリー」というアルバムを手に入れる。世の中は、レコードからCDに代わっていた。
 20歳のときに、なぜか一枚のチケットが郵送され、東京ドームでのライブを観ることが出来た。自分と同じように、その音楽に熱狂する、他の人々と時間を共有することが不思議に思われていく。そこのヴォーカルの人は、徐々に政治的な活動を深めていき、音楽という範疇から消えていくようにも思われていき、その分だけ、彼のこころの中からも消滅していく。
 言葉による共有。自国語の音楽。1985年8月12日。飛行機が墜落する。そこにいる搭乗者。もちろん、命の価値に優劣はないのだろうが、彼にとって、そのロックというスピリットを唯一もっていた男性が消えていく。象徴的に聴こえる「見上げてごらん、夜の星を」という歌声。
 いくつかの、心の上を行過ぎる登場と退場。女性たちの熱狂と、かすかな男性の支持。それは一体、どちらが重要なのだろう。


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