爪の先まで神経細やか

物語の連鎖
日常は「系列作品」から
http://snobsnob.exblog.jp/
へ変更

当人相応の要求(35)

2007年10月23日 | 当人相応の要求
当人相応の要求(35)

例えば、こうである。
 女性たちの書き記した文章が残っている。その中で、優れているのは、一体誰が書いたものだろう。文章というのは無名性なものだろうか、それとも個性が確立できるものだろうか。
 ジェーン・オースティンという人物がイギリスにいる。40年とちょっとの人生。1775年12月16日から 1817年7月18日までの限られた足跡。その中でも、6作ほどの小説を、それも立派な小説を残している。
 しかし、描かれているのは、田舎の中での限られた生活。アクション映画に洗脳された思考によれば、それは事件というものが、あまりにも起こらなさ過ぎるかもしれない。また、その人々の感情の揺れも表面だっては、表れにくいかもしれない。しかし、彼は、その手の作品を、大切にしているハンカチのように労わりながら読んでいる。
 もしかしたら、いや、確実に最高の文章を書く人の一人だろう。
 イギリスから、大陸に渡る。フランスに入ると、フランソワーズ・サガンという作家に出会う。場所も変われば時代も変わる。その中に現れる女性の態度も一変する。歴史の変化のポイントは、受動的なことを止めることなのだろうか。その人が18歳にして残した傑作がある。写真などを見ると、こつこつ机に向かって、文章を刻む作業になど不向きな人間のように見える。しかし、彼は似たような年齢で、その小説を読み、1954年のフランスと、そこにいる可憐でありながら、とても残酷に見えるような女性に惹かれていく。
 軽いおしゃれな恋愛をし、チープに見えながらも高性能なスポーツカーに乗り、繰り広げられる日常生活。そして、日本も迎える泡状な世の中。
 さらに場所を移動する。新大陸へ。ハリウッドに潜む成功。
 1924年に生まれた「ルック」と呼ばれた女性。眼差し、とか視線とかに訳せばよいのだろうか。ローレン・バコールという女優の自伝がある。彼は、ふとしたことで、それを手にする。都会に生まれた女性が、女優という職業に魅せられ、共演者であるハンフリー・ボガートと真剣な恋におち、やがて結婚し、そして辛い死というものが挟む辛い別れを経験する。それが、リアルに等身大で、さらにガッツある文章で書かれている。実際の作家ではなく、自分の生き様をスクリーンに映すと同じように完璧なまでの、本質を感じられる姿がそこにある。これも、彼に与えた女性への畏怖と尊敬への一歩だったのかもしれない。
 彼の生活にある、身近な女性の文章。
 男ばかりの子供に囲まれた母親がいる。彼の母もそうである。子供たちは、家事を手伝うこともしなければ、暖かい言葉をかけるわけでもなく、もちろん、そのことをわざわざ手紙に書き記すようなことも、誰一人としてしなかった。それを、当然のように考えていた生活。
 ある日、彼の隣の家の女性が、車の免許を取ることになり、彼の父親はその方面に顔がきくこともあり、さまざまな時間のやりくりや融通などを働かせてあげたみたいだった。そして、念願の免許をその女性は取ることになり、感謝の気持ちとして、彼の母親を通して、手紙をくれた。そうしたことをしてもらったことのない母親は、そのことだけでいたく感動し、また自分には男の子供しかいないことに、軽く不満をもらした。
 もう一つは、彼の交際していた女性からの手紙。ある日、食事を一緒にして、数日後によく気のきくその女性は、多分、「この前は、ご馳走になって、ありがとうございます」という文面だったのだろうと彼は、想像する。その時も、彼の母は、その女性の心配りと、(ある日、入院した母に、彼には内緒で花まで贈った。当然のように、彼は、そんなことまでしなくていいよ、と冷たく言った)きれいな文字と、文面の素晴らしい内容に胸を打たれた様子だった。それを、タンスの中にしまっていたようだが、その後のことを彼は知らない。
 ワープロというものが発明され、日に何通もメールがやりとりされ、会話の糸口はたくさんでき、コミュニケーションのツールは発達したような錯覚におちるが、一体、その中でどれほどの数の文章が、貴重なものとして残り、また人生を変えてしまうような感動を与えてくれるのだろう。
 彼は、今日もまやかしのような文章を編み出そうとしている。それは、他人への伝達ということでは、まったくないのかもしれないが、しかし、些細なつながりを夢見て、思いを綴る。
 


最新の画像もっと見る

コメントを投稿