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当人相応の要求(37)

2007年11月10日 | 当人相応の要求
当人相応の要求(37)

例えば、こうである。
 それぞれの見本。展示会。親の職業により受け継ぐ、それぞれの考え方の差異。商売人の家には、広告代というある種の損害を受け入れる器量が出来上がるのだろうか。
 世界的な商売の展示とアプローチ。万国博覧会。
 第一回は、1851年のロンドンで開催とされている。クリスタル・パレスという建物。 
 さらに、そのイベントは続き、1867年のパリに至る。明治になる前の日本の藩主たちも、威信をかけて、見本を持ち込む。その中には、浮世絵がある。誤解されるイメージ。卑猥なものとして、いまだに一部の人は考えているのだろうか。
 しかし、パリには絵描きがいる。印象派、という一種、奥行きを無視していくような技法。その、考え方にインパクトを与える、日本の浮世絵。絵画は、やはり平面に戻ってもよいのではないか?
 二次元的なものと、三次元的なもののぶつかり合い。もちろんのように、優劣は関係なく、それでも、新しいものを求める人には陳腐化していき、立体的に対象を捉える人たちも出てくるし、物や人間自体の形状を破壊して、それでも美術に仕立て上げる才能を有する人たちも登場する。直ぐに、世の中に受け入れられなかったとしても。
 やっと、今になって「見返り美人」てきなものと、印象派のパラソルを持って絵画に閉じ込められたモデルを並列に置くことが出来るようになった彼であった。
 1900年には、世紀が変わる象徴のようにパリには、エッフェル塔が存在している。日本のブームの熱は冷めていく。もっと、退廃的なデザインが受け入れられていく。
 急に、時代は飛び、1970年の大阪。そびえたつ、一つの塔。その人の言葉。芸術家の狂気。
「わたしは、自分の父親でもあり、自分の子供でもあるのだ」ものを、創造する人の野心ある言葉。そのぐらいの考えがないと、創作などに打ち込むことは出来ないのだろうか。
 彼は、大阪という町を知らない。そこには、リアルな人生がありそうだし、排他的な考え方もあるかもしれないが、数年暮らしてみたら、人生に対して、違った価値観を学べそうな気もするが、それは、実行できるのだろうか。仮りの体験として、『水曜の朝、午前三時』という美しい小説で、その一部を味わえるような気もする。
 つくばという学園都市。リアルさの希薄な街並み。1985年。日本の経済的なピークの外面への漏れ。彼も、二度、学校の行事の一環として、そこを訪れる。科学技術の結晶。もしかして、科学の力で、この世の中は良くなる、改善されていくのではないか、というまったくの幻想。日本のその頃に育った人間の、機械や小さなメカへの憧れ。新製品の数々。
 彼は、「松下館」という所に設置されていた似顔絵を描くロボットに、自分の肖像を描いてもらいたかった。一体、ロボットにどこまで出来るのかという、具体的な証拠としても。しかし、抽選にあたったのは、彼のクラスメートで、その描かれた紙を、彼は羨望の眼差しで見ることになる。そして、「良く描けているな」という感動も持つことになる。
 それぞれの会社の方針。ある企業は、そこに駐在しているコンパニオンを自社の社員に勤めてもらった、という記録も残っている。会社という、日本てきな仮初の家族の在り方。
 それぞれの、電器関係の企業は、そのようなアピールをしなくても、世界的に広まっていくのは、時間の問題だったような感じを受ける。ジョギングをしながら、耳に音楽を詰め込む人たち。テレビという自分の実人生より、加担してしまう等身大の他人を写す受像機。世界のどこにでも表れる、それらの会社のロゴ。広告と、実際的な商品の性能。
 2005年の愛知。地球への賛歌。壊れゆくもの。その土地を土台にして、優秀な車を世界に運び続ける企業。
 会社員であること。商売人であること。表現者であること。それぞれの受け分と、能力と、惑わされるこころがある。しかしいくつかのことは、誇大になっても、自分をアピールしなければ負けだよ、という社会の風潮。人に知られず、山奥の片隅で、陶芸を作っているという浅はかなイメージ。
 世界は、一つになりつつあるという一種の希望と幻想。短期間のアピールの場。一人ひとりの人間にも突然に訪れる、短時間のアピールの場。それを、力ある人は、掴んでいくのだろう。


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