なんだか永遠の若武者というイメージがある。
一般的な趙雲のイメージといえば
・義に篤く
・与えられた仕事は難なくこなしてそれ以上の結果を出し
・美人を宛がわれても突っぱねて生涯妻は持たなかったし
・全身是肝っ玉
・で、絶世の美男子
だと思うのですが。
……趙雲がホモか女性だったらすごく納得がいくんですけどね。私にはどーしても趙雲から人間味がいまいち感じれないのですよ。完璧すぎてね。まぁ、義の人とか言われていてもさりげに二回ほど君主(袁紹、公孫讃)を変えているしね。
登場シーンから格好よすぎじゃないですか。
袁紹と公孫讃の軍勢がにらみ合っている中。悠然と袁紹軍の中から割って出てくるんですよ。そして公孫讃の前に来て言うのですよ。
「袁紹どのよりあなたの方がましに見えるのでそちらにお味方します」
そして大活躍ですよ。ちょうどその時、公孫讃の所に転がり込んでいた劉備と知り合う(劉備は流浪生活真っ只中)。
そしておよそ10年。公孫讃が袁紹に滅ぼされた時、すでに趙雲はいなかった。兄が亡くなったとかで喪に服すためにお暇を頂いていたらしい。
公孫讃が滅ぼされて行く当てがなく流浪生活をしていた趙雲は、同じく流浪生活をしていた劉備と二度目の出会いをする。もちろん劉備も行く当てがなかった。行く当てのない奴が行く当てのない奴の家臣になったのだ。自分の食い扶持すら危ないのに家臣にする劉備は大人物なのか、たいして難しい事を考えるのが苦手な人なのか。
劉備が同姓の劉表の世話になったことから趙雲もそこに落ち着くことになる。趙雲の働きっぷりはまさしく仕事人である。劉備が敵将の乗っている名馬が欲しいといえばその敵将を打ち倒して馬をゲット。
この時に手に入れた馬は持ち主に災厄を与える凶馬であった。劉備は「そんな事気にしていたら武人なんてやってらんないよね」と気にすることなくその凶馬に乗り続けたのだが、その頃産まれたのが、後に蜀を滅ぼす男、劉禅である。凶馬の呪いはしっかりと生きていたのだ。
張飛のような危うさも関羽のような義によって進退を誤る事も無く、粛々と与えられた任務をこなしていく。
趙雲の最も有名な働きは、長坂破の一騎駆けであろう。
逃走中の劉備を曹操軍が襲う。その時、趙雲は劉備の奥さんと劉備の子を保護したまま、曹操軍の中を突っ切って劉備の元に戻っている。人材コレクターの曹操が「生け捕りにしろ!」と厳命していたために曹操軍の攻撃がゆるかったのも趙雲が生き延びれた一因だったと思う。
劉備が蜀の国を手に入れた後も、趙雲は自分の任務を着々とこなした。
妻を娶らず、養子を取り、関羽と張飛……そして劉備が死んだ後も粛々としかし確実に仕事をしていった男、趙雲子龍。
一説には劉備より年上だったと言われている仕事人は、蜀の滅亡を見る前に病にて世を去る。
なんかもっといっぱい趙雲のことを書きたかったけど、大して思いつかなかったなあ。
一般的な趙雲のイメージといえば
・義に篤く
・与えられた仕事は難なくこなしてそれ以上の結果を出し
・美人を宛がわれても突っぱねて生涯妻は持たなかったし
・全身是肝っ玉
・で、絶世の美男子
だと思うのですが。
……趙雲がホモか女性だったらすごく納得がいくんですけどね。私にはどーしても趙雲から人間味がいまいち感じれないのですよ。完璧すぎてね。まぁ、義の人とか言われていてもさりげに二回ほど君主(袁紹、公孫讃)を変えているしね。
登場シーンから格好よすぎじゃないですか。
袁紹と公孫讃の軍勢がにらみ合っている中。悠然と袁紹軍の中から割って出てくるんですよ。そして公孫讃の前に来て言うのですよ。
「袁紹どのよりあなたの方がましに見えるのでそちらにお味方します」
そして大活躍ですよ。ちょうどその時、公孫讃の所に転がり込んでいた劉備と知り合う(劉備は流浪生活真っ只中)。
そしておよそ10年。公孫讃が袁紹に滅ぼされた時、すでに趙雲はいなかった。兄が亡くなったとかで喪に服すためにお暇を頂いていたらしい。
公孫讃が滅ぼされて行く当てがなく流浪生活をしていた趙雲は、同じく流浪生活をしていた劉備と二度目の出会いをする。もちろん劉備も行く当てがなかった。行く当てのない奴が行く当てのない奴の家臣になったのだ。自分の食い扶持すら危ないのに家臣にする劉備は大人物なのか、たいして難しい事を考えるのが苦手な人なのか。
劉備が同姓の劉表の世話になったことから趙雲もそこに落ち着くことになる。趙雲の働きっぷりはまさしく仕事人である。劉備が敵将の乗っている名馬が欲しいといえばその敵将を打ち倒して馬をゲット。
この時に手に入れた馬は持ち主に災厄を与える凶馬であった。劉備は「そんな事気にしていたら武人なんてやってらんないよね」と気にすることなくその凶馬に乗り続けたのだが、その頃産まれたのが、後に蜀を滅ぼす男、劉禅である。凶馬の呪いはしっかりと生きていたのだ。
張飛のような危うさも関羽のような義によって進退を誤る事も無く、粛々と与えられた任務をこなしていく。
趙雲の最も有名な働きは、長坂破の一騎駆けであろう。
逃走中の劉備を曹操軍が襲う。その時、趙雲は劉備の奥さんと劉備の子を保護したまま、曹操軍の中を突っ切って劉備の元に戻っている。人材コレクターの曹操が「生け捕りにしろ!」と厳命していたために曹操軍の攻撃がゆるかったのも趙雲が生き延びれた一因だったと思う。
劉備が蜀の国を手に入れた後も、趙雲は自分の任務を着々とこなした。
妻を娶らず、養子を取り、関羽と張飛……そして劉備が死んだ後も粛々としかし確実に仕事をしていった男、趙雲子龍。
一説には劉備より年上だったと言われている仕事人は、蜀の滅亡を見る前に病にて世を去る。
なんかもっといっぱい趙雲のことを書きたかったけど、大して思いつかなかったなあ。
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