三国志ファンの常識に「呂布最強伝説」というものがある。
三国志には数多の猛将が出てくる。その中でもとりわけ武に関して名を馳せているのが、長坂橋に立ちふさがり一人で曹操軍の追い払った張飛。その義兄で、斬り倒した武将の数はトップの関羽である。
だが、その二人が声をそろえて「あの強さは化け物だ」というのが呂布である。
関羽と張飛が二人がかり(あ、二人のおにーちゃんも一緒でしたが)で襲い掛かっても倒すことができなかったというから、その逸話だけでも呂布の強さが異彩を放っていたのは言うまでも無いだろう。
身長九尺(207cm)、ルックスだってイケメンだ。
モンゴル地区出身だからか馬術と弓術に優れ、騎兵を扱わせれば天下一品であった。何よりも「こいつに付いて行けば絶対に勝てるぜ!」と思わせる武のカリスマ。それが呂布最大の魅力であろう。呂布が馬に跨って矛を振り回し敵陣に突っ込めば、それだけで戦局が一変するのである。
呂布は并州刺史の丁原の養子となる。この丁原も呂布同様に馬術と弓術に優れていたらしい。それゆえ、彼の類稀なる才能を見抜き養子としたのではなかろうか。呂布を養子とした時、丁原は最強のボディガードを手に入れたことになる。
だが、丁原は呂布が辺境の出身ということを忘れていた。彼には儒教の教えが全く通じないのである。儒教なんて難しい言い方をしてはいるが、早い話が「おとーさん、おかーさんを大事にしよう」とか「目上の人には礼儀を尽くそう」なんて簡単な事なのだ。
「俺の方が強いのに、どうしてこいつ(丁原)に従わないといけないんだよ。それに帝ってなんだ? みんなあんなガキに媚びへつらってさ。頭を張るのは一番強い奴って相場が決まってるんだい」
儒教を主とする漢帝国の臣たちに囲まれ、一人だけ文化の違う呂布はストレスがかなり溜まっていたのではないだろうか。
そこに現れたのが魔王・董卓。彼は常識の破壊者であった。ちなみに董卓は辺境で長い間異民族と戦っており、どちらかといえば呂布に近い思考の持ち主だった。漢帝国の臣下でありながら、漢帝国に対しての敬意を全く持っていないのだ。
そんな二人が出会えば、意気投合するのは時間の問題であった。董卓は呂布を丁原の下からヘッドハンティングをするのである。
呂布は董卓に誘われるや、大喜びで丁原を殺して董卓の養子となる。自分と同じ価値観を持つ人と出会えて呂布は嬉しかったのではなかろうか。
董卓のやる事は、とにもかくにも無茶苦茶であった。
過去の皇帝の墓をあばき、墓に収められていた財宝を手に入れる。
皇族の娘を寝所に引き入れてそれはもうエライこっちゃ。
極めつけは皇帝を廃して自分の扱いやすい協皇子を皇帝に据える。おまけに前皇帝とその母を暗殺。
反董卓連合軍に追い詰められた際にあっさりと長安に遷都を決定。町民から財産を没収して、旧都洛陽に火をかける。その洛陽の復興を手がけた孫堅は思わぬ拾い物をするのだが、それはまた別の話で。
董卓の横暴には誰も逆らえなかった。董卓の後ろにはつねに呂布が控えていたからだ。
だが、董卓のこの世の春にも終わりが来る。呂布が董卓の侍女と関係を持ってしまった事から二人の仲は険悪となり、ついに董卓は呂布に殺されてしまう。
魔王・董卓がいなくなり、漢帝国の忠臣たちの一番の邪魔者は呂布となった。董卓軍の残党が都に乗り込んできた事もあり、あっさりと呂布は都を追い出されて放浪の旅にでることになる。
「漢帝国が威光を取り戻せたのは俺のおかげじゃないか。どうして恩人である俺が追い出されるんだよぅ」
と、彼が嘆いたかはわからないが呂布は各地の群雄に自分を引き入れるように頼むが断られる。それどころか追手まで差し向けられる始末。
当然と言えば当然であろう。自分の義父を二度も殺すような男だ。味方に引き込んでもいつ裏切るかわかったものではない。ズタボロになった呂布が最後に行き着いたのは徐州。そこを治めていた劉備の所だった。
呂布を受け入れようとする劉備に、義弟の関羽と張飛は猛反対をする。この二人が反対するのも当然であろう。関羽と張飛は儒教の教えである「仁」と「義」を何よりも重んじる。その二人が親殺しである呂布を受け入れるわけがなかった。
そんな二人の反対を押し切って呂布を受け入れた劉備は、天下を彷徨う呂布に何かしら自分と似た部分を見たのではなかろうか。
そしてあっさりと劉備は呂布に裏切られてしまう。偽帝・袁術討伐の勅旨を受けた劉備は留守中に呂布に城を奪われてしまうのだ。ちなみに城番をしていたのは張飛。だが、彼は劉備の言いつけを破り、酒を飲んでへべれけに酔っ払って呂布の襲撃を防ぐ事ができなかったのだ。この時の失敗が、後に法に厳格な名将張飛を生んだと私は思いたい。人は成功よりも失敗から多くのことも学ぶものだ。
城を奪われて行く当てがなくなった劉備は、なんと呂布に自分を受け入れるよう頼む。呂布も劉備と気が合ったのか受け入れている。おまけに袁術と劉備の仲裁役までかって出ているから、よほど劉備が気に入ったのであろう。劉備はこの後、呂布に反乱を起こして追い出されるのだが。
劉備を追い出したのは呂布にとって痛恨のミスだった。これを口実に曹操軍が呂布の城を取り囲んだ(劉備はちゃっかりと曹操のところに転がり込んでいます(笑))
呂布は自分に最もそぐわない篭城戦を強いられることになる。なんとか三月ほど持ち堪たが、最後は因果横暴、自分の部下の裏切りに会い曹操の下へ引きずり出され縊り殺される。
呂布の死を以て、個人の武が戦況を変える時代は終わり、軍師たちの時代となる。
三国志には数多の猛将が出てくる。その中でもとりわけ武に関して名を馳せているのが、長坂橋に立ちふさがり一人で曹操軍の追い払った張飛。その義兄で、斬り倒した武将の数はトップの関羽である。
だが、その二人が声をそろえて「あの強さは化け物だ」というのが呂布である。
関羽と張飛が二人がかり(あ、二人のおにーちゃんも一緒でしたが)で襲い掛かっても倒すことができなかったというから、その逸話だけでも呂布の強さが異彩を放っていたのは言うまでも無いだろう。
身長九尺(207cm)、ルックスだってイケメンだ。
モンゴル地区出身だからか馬術と弓術に優れ、騎兵を扱わせれば天下一品であった。何よりも「こいつに付いて行けば絶対に勝てるぜ!」と思わせる武のカリスマ。それが呂布最大の魅力であろう。呂布が馬に跨って矛を振り回し敵陣に突っ込めば、それだけで戦局が一変するのである。
呂布は并州刺史の丁原の養子となる。この丁原も呂布同様に馬術と弓術に優れていたらしい。それゆえ、彼の類稀なる才能を見抜き養子としたのではなかろうか。呂布を養子とした時、丁原は最強のボディガードを手に入れたことになる。
だが、丁原は呂布が辺境の出身ということを忘れていた。彼には儒教の教えが全く通じないのである。儒教なんて難しい言い方をしてはいるが、早い話が「おとーさん、おかーさんを大事にしよう」とか「目上の人には礼儀を尽くそう」なんて簡単な事なのだ。
「俺の方が強いのに、どうしてこいつ(丁原)に従わないといけないんだよ。それに帝ってなんだ? みんなあんなガキに媚びへつらってさ。頭を張るのは一番強い奴って相場が決まってるんだい」
儒教を主とする漢帝国の臣たちに囲まれ、一人だけ文化の違う呂布はストレスがかなり溜まっていたのではないだろうか。
そこに現れたのが魔王・董卓。彼は常識の破壊者であった。ちなみに董卓は辺境で長い間異民族と戦っており、どちらかといえば呂布に近い思考の持ち主だった。漢帝国の臣下でありながら、漢帝国に対しての敬意を全く持っていないのだ。
そんな二人が出会えば、意気投合するのは時間の問題であった。董卓は呂布を丁原の下からヘッドハンティングをするのである。
呂布は董卓に誘われるや、大喜びで丁原を殺して董卓の養子となる。自分と同じ価値観を持つ人と出会えて呂布は嬉しかったのではなかろうか。
董卓のやる事は、とにもかくにも無茶苦茶であった。
過去の皇帝の墓をあばき、墓に収められていた財宝を手に入れる。
皇族の娘を寝所に引き入れてそれはもうエライこっちゃ。
極めつけは皇帝を廃して自分の扱いやすい協皇子を皇帝に据える。おまけに前皇帝とその母を暗殺。
反董卓連合軍に追い詰められた際にあっさりと長安に遷都を決定。町民から財産を没収して、旧都洛陽に火をかける。その洛陽の復興を手がけた孫堅は思わぬ拾い物をするのだが、それはまた別の話で。
董卓の横暴には誰も逆らえなかった。董卓の後ろにはつねに呂布が控えていたからだ。
だが、董卓のこの世の春にも終わりが来る。呂布が董卓の侍女と関係を持ってしまった事から二人の仲は険悪となり、ついに董卓は呂布に殺されてしまう。
魔王・董卓がいなくなり、漢帝国の忠臣たちの一番の邪魔者は呂布となった。董卓軍の残党が都に乗り込んできた事もあり、あっさりと呂布は都を追い出されて放浪の旅にでることになる。
「漢帝国が威光を取り戻せたのは俺のおかげじゃないか。どうして恩人である俺が追い出されるんだよぅ」
と、彼が嘆いたかはわからないが呂布は各地の群雄に自分を引き入れるように頼むが断られる。それどころか追手まで差し向けられる始末。
当然と言えば当然であろう。自分の義父を二度も殺すような男だ。味方に引き込んでもいつ裏切るかわかったものではない。ズタボロになった呂布が最後に行き着いたのは徐州。そこを治めていた劉備の所だった。
呂布を受け入れようとする劉備に、義弟の関羽と張飛は猛反対をする。この二人が反対するのも当然であろう。関羽と張飛は儒教の教えである「仁」と「義」を何よりも重んじる。その二人が親殺しである呂布を受け入れるわけがなかった。
そんな二人の反対を押し切って呂布を受け入れた劉備は、天下を彷徨う呂布に何かしら自分と似た部分を見たのではなかろうか。
そしてあっさりと劉備は呂布に裏切られてしまう。偽帝・袁術討伐の勅旨を受けた劉備は留守中に呂布に城を奪われてしまうのだ。ちなみに城番をしていたのは張飛。だが、彼は劉備の言いつけを破り、酒を飲んでへべれけに酔っ払って呂布の襲撃を防ぐ事ができなかったのだ。この時の失敗が、後に法に厳格な名将張飛を生んだと私は思いたい。人は成功よりも失敗から多くのことも学ぶものだ。
城を奪われて行く当てがなくなった劉備は、なんと呂布に自分を受け入れるよう頼む。呂布も劉備と気が合ったのか受け入れている。おまけに袁術と劉備の仲裁役までかって出ているから、よほど劉備が気に入ったのであろう。劉備はこの後、呂布に反乱を起こして追い出されるのだが。
劉備を追い出したのは呂布にとって痛恨のミスだった。これを口実に曹操軍が呂布の城を取り囲んだ(劉備はちゃっかりと曹操のところに転がり込んでいます(笑))
呂布は自分に最もそぐわない篭城戦を強いられることになる。なんとか三月ほど持ち堪たが、最後は因果横暴、自分の部下の裏切りに会い曹操の下へ引きずり出され縊り殺される。
呂布の死を以て、個人の武が戦況を変える時代は終わり、軍師たちの時代となる。
でも、一月読破いたしました。
ご報告まで。