「マドカ、あれ旋風寺じゃない?」
満開の桜も葉桜が変わり、新入生たちもようやく新生活に慣れ、そろそろ夏服への入れ替えが始まろうという季節の頃。
戦国学園普通科一年C組、東山翔子はクラスメイトであり友達の須藤マドカと、誰もいない放課後の教室に残り、とりとめのないよもやま話に花を咲かせていた。
夏のファッションや近所の美味しいスイーツのお店の話題で盛り上がっていたが、運動場が見渡せる窓際の席で腰かけていた翔子の目に、トラックの周りをぐるぐると学ラン姿で走っている、髪を逆立てたクラスメイトの少年――旋風寺武流が飛び込んできた。
「あ゛~。ごめん、今は旋風寺くんの事話さないで」
机に突っ伏し、マドカが不機嫌そうに幼い声を出した。
「なになに! 何かあったの? もしかして告白されたとか!?」
先ほどまで手持無さた気味にシャギーの効いた自分の茶髪を弄っていた翔子は、一転して溌剌とした動きでマドカと窓の外に小さく移る少年を交互に見た。
「そういうのだったら、まだいーんだけど……さ。旋風寺くんの席ね……あたしの後ろなの」
そういえばそうだと翔子は頷く。まだこの学園に入学しておよそ1か月、席順も入学時に決められた男女混合のあいうえお順で、「すどう」の後ろには「せんぷうじ」が座っている。
「なんかね……授業中、後からものすごい嫌な視線を感じるの……背中の……具体的に言えばブラのホック辺りに……触られていないのに、触られてるようなの……怖いの」
ものすごいの部分に語気を強めたマドカは身体を持ち上げると、長くて艶のある黒髪を掻きあげ背中に手を回す。大きな胸がたぷんと揺れた。胸に恵まれていない翔子は、マドカの仕草に少しだけ神経がいらだたせた。
「どうしてそれがアイツのせいだってわかるのよ?」
「旋風寺くんが休んだ日はそんなの感じなかったもん」
マドカがぷうと頬をふくらます。年に似合わない幼い仕草だった。
しばらく前に旋風寺が休んだ日があった。次の日に登校してきた彼が、季節の変わり目になると風邪を引きやすいのだと男子連中に笑って話していたのを翔子は思い出した。
「何か、すっごく真剣な様子でグラウンドを走ってるよ。ひょっとして部活にでもはいったのかな? あ……でも、前に走ってるのは女子バレー部だし」
翔子は窓から身を乗り出す。一周400メートルほどの巨大なトラックを回っているのは、旋風寺武流とユニフォーム姿の女子バレー部の集団だけだった。少年は集団の後ろを、5メートルほどの距離を一定に保つように走っていた。
「ひょっとして二年になったら特進科に進みたいとか? 特進科って謎が多いじゃん。先生もあまり新校舎の事は話してくれないし……だから謎を解き明かすために転入する気なのかも……うおー! 燃えるっ」
翔子は両拳を握って椅子から立ち上がれば、運動場の向かい側にそびえ立つ新校舎へと好奇の眼差しを向けた。翔子は実際にお目にかかった事はないが、学園長のお墨付きをもらった人だけが普通科から特進科への転入が認められるのだという噂を聞いた事がある。
「きっと学園長のお墨付きをもらうために修行しているんだよ!」
「翔子ってしゅぎょーとかこんじょーみたいなの好きだよね」
マドカが心底興味無さそうな様子で、頬杖をついて窓の外を見る。翔子は胡坐をかいて椅子に座りなおした。短いスカートが捲れて健康的なふとももが露になるが、女二人だけなので気にもならなかった。
命が惜しかったら新校舎には近づくな。入部した合気道部の先輩が真剣な顔で言っていたのを翔子は思い返した。運動場を挟んで向かい側に建っている新校舎には特進科と呼ばれる生徒たちのクラスが集まっている。翔子たち普通科はよく言えば伝統ある、悪く言えば古い旧校舎に固められており、まだ建設されてそれほど経っていない真っ白な新校舎が翔子はちょっぴりと羨ましかった。
「人間一生修行だよ。これ、おじいちゃんの口癖」
えへん、と胸を張れば翔子は腕を組み眼を瞑る。祖父の皺だらけの笑顔が瞼に浮かんだ。
翔子の祖父は、合気道の師範だった。すでに引退して道場を弟子に任せ、普段はのんびりと縁側で盆栽をいじったり新聞を読んでいるが、たまに道場に立った時はうってかわって矍鑠とした姿を見せる。翔子はそんな祖父が大好きだった。進学先に戦国学園を選んだのも祖父が勧めてくれたからだ。
「あのさー、翔子。ためになりそうな事言ってる時に悪いんだけどさ」
マドカののんびりとした声が、翔子の目を開く。
「旋風寺くん連れて行かれてるよ。新校舎の方に」
翔子は思い切り窓の方に体を向けた。剣道の胴と面をつけた数人に担ぎあげられた少年の姿が、運動場の向かい側に遠くなっていった。(続)
満開の桜も葉桜が変わり、新入生たちもようやく新生活に慣れ、そろそろ夏服への入れ替えが始まろうという季節の頃。
戦国学園普通科一年C組、東山翔子はクラスメイトであり友達の須藤マドカと、誰もいない放課後の教室に残り、とりとめのないよもやま話に花を咲かせていた。
夏のファッションや近所の美味しいスイーツのお店の話題で盛り上がっていたが、運動場が見渡せる窓際の席で腰かけていた翔子の目に、トラックの周りをぐるぐると学ラン姿で走っている、髪を逆立てたクラスメイトの少年――旋風寺武流が飛び込んできた。
「あ゛~。ごめん、今は旋風寺くんの事話さないで」
机に突っ伏し、マドカが不機嫌そうに幼い声を出した。
「なになに! 何かあったの? もしかして告白されたとか!?」
先ほどまで手持無さた気味にシャギーの効いた自分の茶髪を弄っていた翔子は、一転して溌剌とした動きでマドカと窓の外に小さく移る少年を交互に見た。
「そういうのだったら、まだいーんだけど……さ。旋風寺くんの席ね……あたしの後ろなの」
そういえばそうだと翔子は頷く。まだこの学園に入学しておよそ1か月、席順も入学時に決められた男女混合のあいうえお順で、「すどう」の後ろには「せんぷうじ」が座っている。
「なんかね……授業中、後からものすごい嫌な視線を感じるの……背中の……具体的に言えばブラのホック辺りに……触られていないのに、触られてるようなの……怖いの」
ものすごいの部分に語気を強めたマドカは身体を持ち上げると、長くて艶のある黒髪を掻きあげ背中に手を回す。大きな胸がたぷんと揺れた。胸に恵まれていない翔子は、マドカの仕草に少しだけ神経がいらだたせた。
「どうしてそれがアイツのせいだってわかるのよ?」
「旋風寺くんが休んだ日はそんなの感じなかったもん」
マドカがぷうと頬をふくらます。年に似合わない幼い仕草だった。
しばらく前に旋風寺が休んだ日があった。次の日に登校してきた彼が、季節の変わり目になると風邪を引きやすいのだと男子連中に笑って話していたのを翔子は思い出した。
「何か、すっごく真剣な様子でグラウンドを走ってるよ。ひょっとして部活にでもはいったのかな? あ……でも、前に走ってるのは女子バレー部だし」
翔子は窓から身を乗り出す。一周400メートルほどの巨大なトラックを回っているのは、旋風寺武流とユニフォーム姿の女子バレー部の集団だけだった。少年は集団の後ろを、5メートルほどの距離を一定に保つように走っていた。
「ひょっとして二年になったら特進科に進みたいとか? 特進科って謎が多いじゃん。先生もあまり新校舎の事は話してくれないし……だから謎を解き明かすために転入する気なのかも……うおー! 燃えるっ」
翔子は両拳を握って椅子から立ち上がれば、運動場の向かい側にそびえ立つ新校舎へと好奇の眼差しを向けた。翔子は実際にお目にかかった事はないが、学園長のお墨付きをもらった人だけが普通科から特進科への転入が認められるのだという噂を聞いた事がある。
「きっと学園長のお墨付きをもらうために修行しているんだよ!」
「翔子ってしゅぎょーとかこんじょーみたいなの好きだよね」
マドカが心底興味無さそうな様子で、頬杖をついて窓の外を見る。翔子は胡坐をかいて椅子に座りなおした。短いスカートが捲れて健康的なふとももが露になるが、女二人だけなので気にもならなかった。
命が惜しかったら新校舎には近づくな。入部した合気道部の先輩が真剣な顔で言っていたのを翔子は思い返した。運動場を挟んで向かい側に建っている新校舎には特進科と呼ばれる生徒たちのクラスが集まっている。翔子たち普通科はよく言えば伝統ある、悪く言えば古い旧校舎に固められており、まだ建設されてそれほど経っていない真っ白な新校舎が翔子はちょっぴりと羨ましかった。
「人間一生修行だよ。これ、おじいちゃんの口癖」
えへん、と胸を張れば翔子は腕を組み眼を瞑る。祖父の皺だらけの笑顔が瞼に浮かんだ。
翔子の祖父は、合気道の師範だった。すでに引退して道場を弟子に任せ、普段はのんびりと縁側で盆栽をいじったり新聞を読んでいるが、たまに道場に立った時はうってかわって矍鑠とした姿を見せる。翔子はそんな祖父が大好きだった。進学先に戦国学園を選んだのも祖父が勧めてくれたからだ。
「あのさー、翔子。ためになりそうな事言ってる時に悪いんだけどさ」
マドカののんびりとした声が、翔子の目を開く。
「旋風寺くん連れて行かれてるよ。新校舎の方に」
翔子は思い切り窓の方に体を向けた。剣道の胴と面をつけた数人に担ぎあげられた少年の姿が、運動場の向かい側に遠くなっていった。(続)
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