打倒!破廉恥学園

旋風寺武流PLが意味もなくただ、だらだらと掻き散らかすブログです。

篤姫の話、続き

2008-01-08 08:29:22 | Weblog
もともと私は女性が主人公の時代劇はあまり好きではない。どれくらい好きではないかというとタレントがアニメのアフレコをするのと同じくらい好きではないのだ。

なぜなら主人公の女性を活躍させるために周囲の男性が不必要に軽んじられるから。
中世近世にかけて歴史に名を残した女性はよっぽど身分が高いか悲劇によってしか名が残されていない。大半がだれだれの女(娘の意味)とかだれだれの妻とかいう呼び方で残ってしまう。山内一豊の妻だって戦国大名の妻だから名前も残っているわけで同じことを長屋に住んでいる大工の熊さんのおかみさんが同じことをしていても名前など残らないだろう。一豊の妻は世界初のへそくりを……みたいに言われていたが、彼女よりもさきにへそくりで旦那を助けた人はいたかもしれないじゃないですか。ただ、彼女は歴史に名を残せる人の妻だったから名前が残ったわけで。

何が言いたいのかわからなくなってきたなあ。とにかく、女性が主人公の時代劇は好きではないのだ。

とくに戦国・幕末時代の時代劇でそれをされるのはいやなのだ。

なぜかあの時代で女性が主人公だと、戦争反対を訴えるから。

町人がいうのならわかるんですよ。幕府のシステムは町人や農民に寄生して生きていくものだから。激動の時代になればますます搾取されることになる。だから戦なんて腹が減るだけだし迷惑だからやめてほしいというのならわかるのですが。

武家の娘さんまで戦を否定する。それは自分の父親や夫のアイデンティティの否定ではないですか。というか、時代劇に現代の価値観を持ってくることが嫌いだな。

極端な話、小説「白鯨」を映画化したとして「動物を虐待するのはいけないことなのでモビーディックを狙うのはやめましょう!」なんてセリフが出てくるようなもんですよ。エイハブ船長にどつきまわされるだろうなあ。

価値観というのは時代とともに変わるもんです。当時の価値観で時代劇を作った方が納得いくものができるような気がするんですけどねえ。視聴率はどうかわからんですが。