打倒!破廉恥学園

旋風寺武流PLが意味もなくただ、だらだらと掻き散らかすブログです。

うちのごせんぞさま

2005-11-30 18:05:01 | Weblog
昔、ある作家が「平凡な人の人生を年表にしたら面白いのではないか?」という企画を立てた。

それで白羽の矢が立ったのが何十年も前から店を開いている近所のお豆腐やさん。しかし彼の話を聞いていく内にそれはとんでもない波乱万丈な人生だとわかっていく。戦争に出兵、愛しき妻との別れ、葛藤の末に豆腐屋の跡を継ぐ……などなど。

結論としてその作家は「本当に平凡に生きてきた人なんていない」とした。

うちのご先祖様にもそんな人がいるのではないかと思い祖母に聞いてみた。

そしたら実に興味深い人物が出てきた。面白かったのでここに記す。


その男の正確な名前は伝わっていないのだが長三とか言ったらしい。

私の祖母の祖母の兄貴だったという。

この長三。何を思ったのか西南戦争に参加している。酒屋の三男坊の癖に。

なんでも田原坂の戦いで惨敗を喫した西郷軍が家の近くを通った際に、家族の制止を振り切ってくっついてしまったらしい。

武士でもない男が何ゆえに戦争に参加をしたのか。

風雲の志があったか、立身出世を胸に抱いていたか、それともただのお祭り好きだったのか。そこの所は今となっては誰にもわからない。しかし、当時十代の若き長三が、敗色の濃い西郷軍に加わったのは事実。

そして西郷軍の壊滅の知らせが届き、家族は「長三はもう生きてはいまい」と諦めていた。

それから二年ほど経ったころ、ふらりと長三は戻ってきた。

これは二年前、百四歳でなくなった曾祖母がその母(長三の妹)から聞いた話らしい(私は曾祖母の娘である祖母から話を聞いているわけで。信憑性は非常に怪しい)

長三は鹿児島までくっついていったらしい。そして西郷が自決したと知れば即逃走をしたという。

その後、彼は二年近くも山でサバイバル生活を送ることになる(なんでも敗残兵を集めて山賊まがいの事をしていたらしい)

二年も経てば大丈夫だろうと山を降りて戻ってきたらしい(集めた仲間たちがどうなったかは不明)

それから長三はしばらく実家でのんびり暮らしていたという。

しかしまた長三はいなくなる(私は家族に追い出されたのではないかと見ている。だって賊軍に加担していた人だし)


それから五十年ほどして。長三の死を知らせる内容の手紙が長野県から届いた(この事は曾祖母もはっきりと記憶していたらしい)送り主は長三の息子と名乗る人からだったという。

実家から姿を消した長三はなぜか長野のある町で侠客になっていたらしい。

その町の揉め事を(時には暴力を使って)解決するのがお仕事だったらしい。いわゆる義理と人情の世界って奴ですなー。

長三の孫はそこそこ有名なボクサーになったそうな(私はもちろん曾祖母も会った事はないという)


これが私が祖母から聞いた話です。


なんとなく腕っ節は強そうなイメージはある。そして義理人情に篤い(逆に言えばお人よし)。でもあんまり賢そうには思えない。

長三の人生が幸せだったかどうかはわからない。でも、もし出会えたのなら一緒にお酒でも飲んでみたい人だとは思う。


今、長三の軌跡は祖母の実家にある。

彼が山で暮らしていた時代に着ていた衣服の切れ端が残っているという。