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受け皿の直径15.7cm
パルメラ城アズレージョ(絵タイル)工房のティーカップ。
アズレージョに描かれているのと同じ模様が描かれている。
ポルトガル人は紅茶よりもコーヒーをよく飲む。
フランス人はコーヒー党でイギリス人は紅茶党と言われている。
元々の植民地の関係でそうなっている様だが、時代と共にそういったことも薄れてきている。
ポルトガルはブラジルやインドネシアを統治した時代があったから、当然コーヒー党ということになる。
でも意外にも、かつての統治国モサンビ-クは紅茶の産地として有名らしい。
ポルトガルにはあらゆるお茶やコーヒーが売られている。
我家にはアフリカのモサンビーク、コンゴ、それにアルゼンチンのマテ茶などがある。
このカップにたっぷりのコーヒーを注ぐのも悪くないと思う。
今、毎日飲んでいるのは、インドネシアから最近独立したティモールのコーヒー。
ティモールはインドネシアから支配される前は、ポルトガルの植民地だった。
年配の人々はポルトガル語も喋り、若い人たちはインドネシア語しか話せないという。
でも独立後はなぜか、ポルトガル語が公用語に採用された。
これからポルトガルとティモールの結びつきはますます強くなるのだろう。
ティモールコーヒーはなかなかこくがあって、香りも高い。
次はニューギニアのコーヒーを飲んでみようと、もう買ってきてある。
どんな味だろうか?
楽しみ! MUZ
©2018 MUZVIT
ポルトガルに住み始めて13年が過ぎました。あっという間に…えっ、ほんと!という感じです。
でもその間にたくさんの町や村をスケッチ旅行で訪ね歩きました。
つい先日も雨の止み間にアレンテージョ地方を一泊旅行しました。
コルク樫の生い茂る森やオリーブ畑の中の田舎道を走っていると、今まで見かけたことのなかった場所にコウノトリの巣がありました。
私たちがポルトガルに住み始めたころに比べて、かなり数が増えているような気がします。
残念なことに私たちの住んでいる町にはコウノトリは一羽もいません。
でも車で一時間ほどの所にある町、アルカサール・ド・サルにはたくさん生息しています。
教会の鐘楼の上や廃墟になった工場の高い煙突のてっぺんなどに二メートルほどもある大きな巣を作り、その中には一羽か二羽のヒナの姿があり、親鳥がかいがいしく世話をして育てています。
アルカサールはサド湾の奥にあり、昔は塩田が広がっていたそうですが、今ではそれが水田に変わり、米が作られています。
ここで取れた米はなかなか美味です。
日本のように整然と田植えをするのではなく、田んぼに種もみをじかに撒くらしく、田んぼの中は稲と雑草が競い合う様にたくましく育っています。
そのせいかどうか、じんわりと甘味のある美味しい米です。
水田と町の間には、サド湾にそそぎ込むサド川が流れ、そこで捕れた小さな川海老を茹でて、おばさんたちが川のほとりで売っています。
その前にある広場には以前は中距離バスの発着所があったので、バスを待っている人たちがおばさんたちから茹で海老を買って、おやつ替わりに食べているのを見かけたものです。
でも新しいバスターミナルが町のはずれにできてからはバスに乗る人々はみんなそっちにいってしまうので、川のほとりの川海老売りのおばさんたちはこのごろずいぶん閑そうな様子です。
それにひきかえ、この町のコウノトリの数はどんどん増えているようです。
教会の鐘楼の上などは狭い場所なのにふたつもみっつもの巣があって、住宅難の様子です。
コンポルタ村はセトゥーバルからフェリーに乗ってサド湾を対岸に渡ったトロイア半島の付け根にある村で、ここも周りに水田が広がる米の産地です。
村の入り口にある大きな穀物倉庫の屋根の上には、コウノトリの巨大な巣がふたつもあり、その周りの家の屋根にも数箇所、そして村の中心にある小さなカペラ(チャペル)の鐘の横にも大きな巣が掛っています。
ここはカペラとしては今では使われていなくて、外観はそのままで、中が銀行になっています。
村でたったひとつのカペラが銀行に替わり、その屋根にコウノトリが大きな巣を作って住んでいるのです。
そして向かいには村の農協の米倉があり、「米、売ります」という看板がひっそりと掛っているのが見えました。
コウノトリの生息できる環境はこうした川や池や水田がある所。
そこには餌となる小魚や川海老や虫などがたくさんいて、ヒナを育てるのに適しているのでしょう。
大きな翼をひろげて、ゆったりと大空を羽ばたくコウノトリ。
やがて上昇気流に乗り、くるーりくるーりと輪を描きながら、少しずつたかくたかーく舞いのぼり、真っ青な空に吸い込まれていくコウノトリ。
その姿を見ていると私まで気持がゆったりとしてきます。
MUZ
©2004,Mutsuko Takemoto
本ホームページ内に掲載の記事・画像・アニメ・イラスト・写真などは全てオリジナル作品です。一切の無断転載はご遠慮下さい。
(この文は2004年1月号『ポルトガルのえんとつ』に載せた文ですが2019年3月末日で、ジオシティーズが閉鎖になり、サイト『ポルトガルのえんとつ』も見られなくなるとの事ですので、このブログに少しずつ移して行こうと思っています。)
メリー・クリスマス
12月に入って街は買物をする人々でますますにぎわい、
ジングルベルが流れてクリスマスツリーのイルミネーションがチカチカと輝いています。
メルカド(市場)に行く横断歩道も信号待ちの人々がいつもより何倍も多いようです。
信号が青になって歩きだすと、向こう側から人々に混じって変なものがやって来ました。
大きな、まっ白いガチョウがヨチヨチと道を横断してやって来るのです。
“あれ、あれ…! そこらあたりで売りに出しているのが逃げてきたのかな?
でもそれにしては、ちょっと違う!”
そのガチョウは、まっ白い胸に小さなベルのペンダントを着けてどうどうと胸を張って歩いています。
クリスマスが近いので、ガチョウもジングルベルを着けておしゃれをしています。
いったい誰が飼い主なんだろう…
あたりを見まわしてもそれらしき人はいません。ひょっとして飼い主とはぐれたのでしょうか…?
買物をすませて帰り道、同じ場所で今度は反対側に、またあのガチョウが信号待ちをしているではありませんか!
そしてその横にはアゴヒゲをたっぷりとたくわえパイプをくわえた、どことなく粋な老人が立っていました。
信号が青になると彼はわきめもふらずにさっさと渡って行きます。
そのあとを、金のジングルベルをつけたおしゃれなガチョウがヨチヨチとついて行きました。
“なんとカッコいい!”と感心してしばらく見ていました。
ポリスマンも三人かたまってポカンと見ています。
我に返ってルイサ・トディの並木道を歩きだしたとたん、今度は“ウー、ウーウー”とカン高いサイレンの音が近づいてきました。
なんだろう!交通事故?救急車?
立ち止まってふり返ったその時、異常に近くでかぼそい声が聞こえたのです。
「どうしたの? 何があったの?」
「ん…!」
キョロキョロ見まわすと、
私の右の脇の下あたりに、ギョロッとした目玉の、小さなおばあさんが私を見上げていたのです。
私は思わずのけぞってしまい、
「ノー、ノー、ノンポルトゲース!(ポルトガル語はダメよ…)」と言うと、彼女はなんだか納得して行ってしまいました。
のけぞった私の横で、ビトシがゲラゲラ笑っています。
まったく、あとにも先にも、脇の下からのぞかれたのは初めてです!
ふつうは私の方が上を見上げて話をすることが多いのですから…。
ウーウーウー!と大きな音をたてて近づいてきたのは、クリスマスツリー用の木を満載したトラックの行列でした。
でもそれは、モミの木ではなく、松の木でした。
MUZ
©2003,Mutsuko Takemoto
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(この文は2003年12月号『ポルトガルのえんとつ』に載せた文ですが2019年3月末日で、ジオシティーズが閉鎖になり、サイト『ポルトガルのえんとつ』も見られなくなるとの事ですので、このブログに少しずつ移して行こうと思っています。)