ポルトガルのえんとつブログ

画家の夫と1990年からポルトガルに住み続け、見たり聞いたり感じたことや旅などのエッセイです。

034. 漁師の祭

2018-11-20 | エッセイ


セトゥーバルは大西洋に面した港町である。
規模は小さいが漁港がふたつある。
昔の町の写真を見ると、イワシが大量に水揚げされ、ふたつの漁港のまわりにはイワシを加工して缶詰めにする工場が建ち並んでいたようだ。
私たちがこの町に住み始めたころは、廃虚になった工場があちこちにまだ残っていた。
それがEUの加盟国になって資金の流通が良くなったせいか、廃墟はバタバタと取り壊されて、その跡に新築のマンションが次々と建てられた。
中には運良く博物館として残されたものもあるが…。
遠くローマ時代にはイベリア半島もローマ人の支配下にあった。
今でもセトゥーバルの町の中にはローマの遺跡があちこちにある。
それは特に目立ったものではなく、家の土台を掘ると出てきたり、商店街の古い家の奥にある井戸がローマ時代のものだったりする。
町外れには石畳のローマの道が残っている。

対岸のトロイアにもちょっとした規模の遺跡が残っているが、そこには小さなプールのようなものがいくつもある。
その遺跡はローマ時代のイワシの加工場だったそうだ。
大量に捕れたイワシをプールに入れて塩漬けイワシを作っていたらしい。
セトゥーバルはサド湾の一角にあるが、サド湾の周りには塩田があちこちにあり、今でも天然の塩を作っている。
たぶんローマ時代にもこのあたりに塩田があったのだろう。
大西洋で捕れたイワシを地元で作った塩で漬けて、帆船であちこちに運んでいたそうだ。
大昔からこのあたりに住む人々、遠くはローマ人から現代のポルトガル人まで代々が海の幸の恵を受けて、生きてきたのだ。

トロイアのローマ遺跡は小さな入り江の縁にある。
遺跡の側には古びた、わりと大きな教会が建っている。
その周りには村も何もないから、こんなところになぜ教会があるのだろうか…と不思議に思っていた。
でも夏になってその謎が解けた。

ある朝、花火がドンドンドンドンと立て続けに鳴った。
朝の花火は音だけだし、この町では何かというと花火を打ち上げるから、「今日の花火は何かな…」とあまり気に止めなかった。
ところがしばらくして窓からトロイアをふと眺めると、小さな入り江に漁船がたくさん集っているのが見えた。
そのうえあとからあとから続々と入り江を目指して船が走っている。
中小の漁船に混じって帆船も見える。
どれもこれも工夫をこらして船を飾りたてている。
祭だ、漁師の祭!



それは「ノッサ・セニョーラ・ド・ロザリオ・デ・トロイア」
「我等がトロイアの聖母様」とでも訳したらよいだろうか。
祭は3日間続く。
今年は8月20日から22日までだった。

話によると、漁師たちは一家総出で、鍋釜、布団を積み込んで、色とりどりのモールや旗で飾り立てた自分の船に乗り込み、トロイアの教会へ出かける。
そこで二晩泊り込みでお祈りの儀式を行い、宴会やダンスなどをして祭を楽しむそうだ。

三日目の夕方、花火の合図と共に漁船に乗り込み、船団を組んでトロイアの岸辺に沿ってしずしずと沖に進んで行く。
その間先頭の小舟からは次々と花火が打ち上げられている。
沖合いのアラビダ山の「ノッサ・セニョーラ・ダ・アラビダ」にお参りをしてから、またセトゥーバルの港に引き返してくる。
その間、約1時間。



ドッカ・ド・ペスカドーレスの岸壁には祭の船団を一目見ようと、人々が早くから集っていた。
中には飲物食べ物持参で芝生に座り、ピクニック気分の家族も数組いる。
ビール片手に一人で来て、木蔭でごろんと寝てしまった男もいる。
足元にはどこから来たのか、一匹の犬が男と反対方向に頭を向けて気持良さそうに寝息を立てている。
子供たちは興奮して走り回り、オムツを着けたよちよち歩きの赤ん坊が仔犬を相手にボールを蹴っている。

花火の音がだんだん近くなり、水平線に小さく姿を見せた漁船団がみるみる近づいてきた。
一番先頭は花火を打ち上げている漁船。
船の後ろで一人の男が自分の背たけほどの筒を抱え、別の男がそれを支えて少し斜めにして花火を発射する。



小舟からは一瞬キラッと閃光が走ったかと思うと真っ青な空に小さな雲がポッポッと浮かび、しばらく間を置いてからドンドンと音が聞こえた。
花火は次々と景気良く打ち上げられ、しばらくするといよいよ漁船団が現われた。
先頭には周りを数隻の小舟で護られた大型漁船。
その船先には漁師たちの守護神「トロイアの聖母様」が花に囲まれて祭られ、祭式の服をまとった数人の神父さんたちと、町の名士たちが従っている。



その後を横並びに漁船団がやって来て、ブンチャカブンチャカと賑やかな音を鳴らしながら次々と走って行く。
昔、サド湾の塩田で作った塩を運んでいたという大型帆船も2隻ほどあるし、大西洋に出て操業する漁船やサド湾内で1本釣りをする小舟もある。
それぞれ工夫を凝らして自分の船を飾り立てている。




大型、中型漁船には関係者が鈴なりに乗り込み、小さな漁船には漁師一家が乗って、トロイアの祭で使った鍋や釜、布団などの荷物も見える。
岸壁に集った観客の中から漁船団に向って声援が飛ぶ。
自分の知り合いの乗った船に声をかけると、船からも手を振りながら声が返ってくる。



船団の行列は一時間ほど続いただろうか。
参加した漁船は100隻以上もあったと思う。
最後の小舟が通り過ぎると、観客はそれぞれに帰って行った。

トロイアにあるローマ時代のイワシの加工場の遺跡。
そのすぐ傍にある古い教会。
そこで一年に一度泊り込みで開催される漁師の祭。
はるかロ-マ時代から延々と続いている祭かもしれない…。
「我等がトロイアの聖母様」に大漁祈願と海の安全を願う祭は今年も賑やかに終わった。

MUZ
2005/09/01

©2005,Mutsuko Takemoto
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(この文は2005年9月号『ポルトガルのえんとつ』に載せた文ですが2019年3月末日で、ジオシティーズが閉鎖になり、サイト『ポルトガルのえんとつ』も見られなくなるとの事ですので、このブログに転載しました。)

 

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K.048. 舟型チョリソ皿 Assador Chouriço Canoa

2018-11-20 | 飾り棚

 長さ22.5cm

 これは皿というべきかどうか判らないが、産地はミーニョ地方、バルセロスの陶器。
 この器を店頭で初めて見かけた時は何に使うものか解らなくて、しばらく悩んだものだ。
 これはこの夏のサンチャゴ祭の陶器市で見かけて買ったもの。
 まだ一度も使ってないのでピカピカのまっさら。
 店の人に尋ねたら、「チョリソをこの上に置くのだ」という簡単な答えしか返ってこなかった。

 ポルトガル独特の器?かもしれない。
 Assadorアサドールとは「ロースト」という意味だから、この器にチョリソ(サラミソーセージ)を乗せてオーブンに放り込む。
 すると余分な油分は鉢底に溜まる…ということだろうか?

 実はそうではなく、皿底にアルコールを流し、マッチで火を点け、チョリソの表面をあぶって食べるのだそうだ。

 チョリソはポルトガル料理には欠かすことはできない。
 それはそのまま食べると言うよりも、料理に深み、コクをつけるために、なくてはならない調味料の様なもの。
 でもチョリソを入れたからそれでよし、とはならない。
 数々の香辛料、にんにく、豚の脂身。時にはアサリ。
 トマトやピメンタ(ピーマン)の塩漬け。オリーブ。そしてワイン。
 いろんな物が複雑に絡み合って深みとコクのある料理が出来上がる。

 ポルトガルには「どこどこのチョリソはどうの」と言った銘柄が各地にあり、チーズやワインの様に専門店までもある。

 さて我家の今夜の料理は?
 「あっさりとお茶漬けといきましょうか…」
MUZ

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