ポルトガルのえんとつブログ

画家の夫と1990年からポルトガルに住み続け、見たり聞いたり感じたことや旅などのエッセイです。

023. 青い家

2018-11-08 | エッセイ

 坂道に面した所にその家はある。
 二階建ての棟割長屋で四軒の家がくっついている。
 家の前にはそれぞれ小さな庭があり、道路に面した所は1メートルほどの高さの塀で囲まれ、簡単な門がある。
 「青い家」はその一番はしっこにあった。
 家の壁は青く塗られ、塀も同じ青い色。

 その塀にかぶさるようにして、でっぷり太った爺さんが毎日外を見ていた。
 何をするでもなく、朝から夕方薄暗くなるまでずっとそこにもたれかかっていた。
 「青い家」が面している道路は急な坂道で、まっすぐにサド湾に向って下っているので、そこからはたっぷりと水をたたえた海が見晴らせる。
 湾内を行きかう貨物船、湾内で釣りをしている一人乗りの小さな漁船の姿も見える。
 爺さんは元はそういった漁師をしていたのかもしれない。
 このあたりは漁師や、メルカドで魚屋の店を出している人々が多く住んでいる。
 ときたま通る知り合いと、ひとことふたこと挨拶を交わしている姿を見かけたが、あとはほとんど独りで塀にもたれて一日中過ごしていた。

 爺さんはおかみさんと二人暮らしらしい。
 昼時になると、家の中からおかみさんが爺さんを呼びに出てくる。
 おかみさんもやっぱりでっぷりと太っている。
 子供はとっくの昔に成人して家を出て行ったようだ。

 二階のベランダには洗濯物が毎日どっさり干してあり、それを取り入れる黒人の姿がときたま見えた。
 どうやら空いた部屋を彼らに貸しているらしい。
 庭や道端で遊んでいる黒人の小さな子供たちともほとんど喋る様子もなく、爺さんは毎日塀にもたれて外を見ていた。
 私たちが通りかかって、爺さんに何回か挨拶しても知らんぷりだったので、いつの間にか声をかけなくなった。

 二階を借りていた黒人一家も姿を見かけなくなり、次は門の前にタクシーがひんぱんに停まるようになった。
 黒人一家のあとに二階を借りた女性がしょっちゅう利用しているらしかった。

 「青い家」についてなぜこんなに詳しいかというと、我家のベランダと「青い家」との間には空地と道路があり、視覚をさえぎる物は何もない。
 ベランダに出ると、正面にはサド湾、下には水道タンクと空地、そして空地の右側の道路を隔てた一角に「青い家」があり、自然に私の視野に入ってくる。

 やがてタクシーが停まらなくなり、女性の姿も見かけなくなった。
 二階の部屋はかなりの間、誰の気配もしない。
 爺さんは相変わらず青い塀に寄りかかって外を見ていた。

 ある日救急車が門の前に止まった。
 たまたまベランダに出ていた私は、何ごとか…と身を乗り出してしまった。
 白衣を着た救急隊員が二人で慌しく「青い家」に駆け込み、担架を担いで出てきた。
 あの爺さんが担架に乗せられている。
 すぐ後をおかみさんが走り出て、救急車に乗り込んだ。
 爺さんの身に一大事が起ったのだ!

 その日の夕方、また救急車が止まり、中から出てきたのは車椅子に乗せられた爺さんの姿だった。
 幸い軽い病状で済んだ様子だ。
 よかった、よかった。

 しばらくして、青い塀に身体を寄り掛けている爺さんの姿をまた見かけるようになった。
 でも以前のように朝から晩までではない。
 杖をついてよろよろと家の中に入って行く。

 そしてまた門の前に救急車が止まった。
 期間を空けて何回も救急車はやって来た。
 介護のクルマも定期的に姿をみせた。
 いつも二人の女性が「青い家」の中に入って行き、30分ほどしてから帰って行った。
 
 去年の暮れごろから「青い家」はなんとなくひっそりとしている。
 そういえば救急車も介護のクルマも姿を見せない。
 爺さんの姿も一度も見かけない。

 今年の5月半ば過ぎ、私たちは日本から二ヶ月ぶりに我家に帰ってきた。
 「青い家」の二階のベランダに洗濯物がどっさり干されているのに気がついた。
 毎日びらびらと風にはためいている。
 子供たちや大人たちの出入りが多くなって、大声で喋る声も時々聞こえてくる。

 人間以上に騒々しい新入りも増えた。
 2匹の犬。
 両方ともずんぐりむっくりの小型犬で、これがよく吠える。
 それによく飛び跳ねる。
 塀の中からぴょンぴょンとジャンプして、塀の上に登ろうと挑戦していたが、ついに一匹が成功して、このごろは平気の平座!
 まるで猫みたいな犬だ。
 毎日青い塀の上に飛び乗って寝そべり、道行く人たちを見ている。
 でも無口だった爺さんと違って、気になる人や犬が通ると、すごい剣幕で吠え立てる。
 特に犬の姿を見ると塀の上から飛び降り、もう一匹は庭から飛び出してきて、小さいくせに大きな犬に飛び掛っていく。
 その騒ぎを聞きつけて家の中からおかみさんがほうきを持って飛び出して来る。
 「青い家」はこのごろしょっちゅう大騒ぎである。

MUZ

©2004,Mutsuko Takemoto
本ホームページ内に掲載の記事・画像・アニメ・イラスト・写真などは全てオリジナル作品です。一切の無断転載はご遠慮下さい。

 

(この文は2004年8月号『ポルトガルのえんとつ』に載せた文ですが2019年3月末日で、ジオシティーズが閉鎖になり、サイト『ポルトガルのえんとつ』も見られなくなるとの事ですので、このブログに少しずつ移して行こうと思っています。)

 

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022. ポルトガルの田舎料理

2018-11-08 | エッセイ

 旅していると、お昼時の食事をどうしようかと迷ってしまう。
 どこのレストランでもわりと似たり寄ったりのメニューしかなく、少し飽きてしまった。
 たとえばペイシェ・グリリャード(焼き魚)、フランゴ・アサード(グリルチキンあるいは炭火焼)、豚か牛肉のステーキ、バカリャウ(干しダラ)料理、アロ-ス・デ・マリスコス(魚介類のリゾット)などなど。
 それはそれで美味しいのだが…。
 どこかに、目新しい料理はないかな~。

 このごろ立て続けに南のアルガルベに行く用事があった。
 その行き帰りは幹線をさけて、できるだけ小さな田舎道を通ることにした。
 田舎道といっても平坦な直線道路が多いので、ゆっくりのんびり走ろうと思っていても70~80キロはいつのまにか出ている。
 それに後続車が急に現われてピュ-ンと追い越して行く。
 たぶん100キロ以上は軽く出しているのだろう。

 道路脇に時々レストランを見かける。
 ここは良さそうか、どうかと品定めをする暇もなく、ピュ~ンと通り過ぎてしまう。
 そんなことを何回か繰り返しているうちに、もう1時近くになってしまった。
 T字型の交差点にぶつかった時に、正面に一軒の店があり、駐車場には車がいっぱい停まっているのが目に付いた。
 交差点を右折したところにももう一軒あった。立派な構えの清潔そうなレストランだ。
 最初の店はどちらかというと、食堂風。
 でも停まっている車の数は圧倒的に多い。
 クルマをUターンしてその店に引き返した。

 木蔭のテーブルには村のじいさんたちがたむろして、大声で世間話をしている。
 セルベージャ(ビール)やアグアッペ(二番絞りのワイン)を飲みながら、のんびりとくつろいでいる。
 彼らの前を通って、店の中に入るとカフェになっていて、その横の部屋が食事をするサラ(食堂)だ。
 テーブル席はすでに満席で、外のテラスの席もどこもふさがっている。
 長いテーブルに男が一人だけ座っていた。
 合い席しても良いかと尋ねると、「ここは6人で予約してるからだめだよ」と断られた。
 その時、運良く奥の席が空いた。
 周りのお客たちはトラック野郎か、この近くで工事をしている労働者風、このあたりを回っている納品業者風の人たちばかり。
 駐車場に停まっている車もトラックや商用車がほとんどだった。

 「う~ん、これは期待できるぞ~」
 メニューを見ると、「プラト・ド・ディア」(今日の献立)と、手書きの紙が挟んである。
 これ、これ!
 今まで食べたことの無い料理の名前がそこにあった。
 何々?
 「Feijoada de Buzios」
 「Jardineira」
 何だかよく分らないけど、この両方を注文した。
 さあ、どんな料理が出て来るか楽しみ!

 次は飲物の注文。
 ビトシは車の運転があるから「セルベージャ・シン・アルコール」(ノンアルコールビア)。
 私は運転免許証はいつも持ってるけれど、運転は恐ろしくてできないので、どうどうと、ビーニョ・ダ・カーザ・ブランコ(その店の白ワイン)。
 でも遠慮して、一番小さいバッソ(片手付き壺)入りを頼んだ。
 それでも、グラスに二杯分はある。





 やがてパンとオリーヴの実の塩漬けと飲物が運ばれてきた。
 よく冷えたビーニョがカラカラに乾いた喉に染み渡る。
 どっしりとした田舎風のパンも味がある。
 パンもオリーヴもビーニョの味もその地方、その店によって違うので、それも楽しみのひとつ。
 日本のレストランのように、注文した後、料理を「まだかな、まだかな」と待つことはなく、パンやオリーヴを食べながらゆっくりと待てる。
 でもあんまり食べ過ぎると、メインの料理が入らなくなるから気をつけよう。

 しばらくして料理が次々と運ばれてきた。
 まず、フェジョアーダ・デ・ブッジオ(Feijoada de Buzios)
 うずら豆と巻貝の身の煮込み。
 大きな巻貝の身を小さく切ってある。豆と貝の取り合わせも、日本では見たことがない。豆も貝もとても柔らかく、ふっくらとしている。味はこってりなのに、薄味でとても複雑。真ん中にご飯も添えてある。

 赤いテントの下で写真を撮ったので、料理の色が赤っぽくなってしまった。


Feijoada de Buzios

 次に出てきたのが、ジャルディネイラ(Jardineira)という名前の一皿。
 青い鞘インゲンと豚肉とチョリソ(サラミソーセージ)などの煮込み。これも柔らかくこってり、チョリソの燻製の味がしみている。

 


Jardineira

 どちらもたっぷりの量だったが、二人でどんどん食べて、あらかたなくなった。
 もう客からの注文が途絶えたのか、台所から出てきたおばさんが私たちに「美味しいかね?」と声をかけてきた。
 「もちろん、デリシオーソ(美味しい)!」
 こんな店には東洋人は珍しいらしく、私たちの口に合うかどうか心配だった様子だ。

 我家でもたまに豆の煮込み料理に挑戦するのだが、どうもうまくいかない。
 豆がふっくらとできなくて、べったりと潰れてしまって美味しくない。簡単なようで、難しいものだ。

 田舎の食堂にはポルトガルの家庭料理がひそんでいる。
 そうした店の台所ではそこの主婦か、または近所のおばさん達が料理を作っている。


 今回はポルトガルのお袋の味をたっぷりと楽しめた旅だった。

MUZ

©2004,Mutsuko Takemoto
本ホームページ内に掲載の記事・画像・アニメ・イラスト・写真などは全てオリジナル作品です。一切の無断転載はご遠慮下さい。

 

(この文は2004年7月号『ポルトガルのえんとつ』に載せた文ですが2019年3月末日で、ジオシティーズが閉鎖になり、サイト『ポルトガルのえんとつ』も見られなくなるとの事ですので、このブログに少しずつ移して行こうと思っています。)

 

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K.036. 17世紀模様丸型蓋物 caixa guarda

2018-11-08 | 飾り棚

直径11cm

 この柄の陶器は今までにもいくつか登場している。
 中心の絵柄が鳥であったり、鹿であったり…。
 深くて四角い蓋付きのはアクセサリーを入れている。
 浅い方はペットシュガー入れとして使っている。
 もう一つはパソコンの横で名刺入れになっている。
 この丸いのも今までに色んな物を入れて使ってきたが、今はなんとなくお菓子を入れるものになった。
 頂きものの小さな落雁が入っている。
 「二人静」という名前のお菓子で、その名のとおり、蓋が開けられるのをひっそりと静かに待っているようだ。

MUZ

©2018 MUZVIT


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