ポルトガルのえんとつブログ

画家の夫と1990年からポルトガルに住み続け、見たり聞いたり感じたことや旅などのエッセイです。

035. トロイアのイベント

2018-11-21 | エッセイ

 トロイアで漁師の祭があったのは8月、そして9月の8日、トロイアで衝撃的なイベントが行われた。
 その前の日からTVのニュースでトロイアがひんぱんに取り上げられ、ビルの映像が出てきた。
 そのビルは少し傾いているのだが、ビルの周りには見慣れない黒いものが帯状に巻かれている。
何だろうか?

 トロイアには少し傾いたビルが少なくとも3棟ある。
 地盤のゆるい砂地にリゾートマンションが次々と建てられているのだが、その内の高層マンションのいくつかが建築の途中で傾き始めたらしく、そのまま長いこと廃墟になっていた。
 私たちもビーチに行く時にその近くを通りながら、いつも気になっていたのだ。
 今どきの建築技術なら、傾いたビルなど簡単にまっすぐにできると思うけど…などと素人の野次馬根性で話をしていた。

 ポルトガルの町や村は岩山を利用してできているものが多い。
 歴史的には敵の侵略に対して見通しのよい岩山に寄り集まって集落が築かれたのだが、別の理由として、平地は洪水の危険と地盤の沈下というのもあったかもしれない。

 ポルトガルに来て間もないころ、コインブラのペンションに泊まった。
 その宿は川に面して建っていて、目の前は公園で、なかなか良い眺めの部屋だった。
 ところが部屋を決める時は気がつかなかったのだが、街を歩き回って部屋に帰って来たとき、なんとなく微妙に傾いている事に気がついた。
 別の部屋に替えてくれるように頼んだのだが、他の部屋も同じ状態だという。
 このあたりは川の砂地の上に建っているので、隣の家もその隣もほとんどが少し傾いていて、どうしようもないという話だった。
 その晩は少し傾いたベッドからずり落ちないように、眠りながら無意識に身体に力が入っていたのを思い出す。

 前日のニュースでは9月の8日、3時からトロイアで何かが始まるということだった。
当日は昼過ぎからTVを付けていたが何のこともない。
 3時になっても何も始まる様子もなく、TVはぜんぜん関係のない番組を流している。
 ベランダにカメラを設置して何かが起こるのを待っているのだが、町はいつもどおりで、何もザワザワした気配は感じられない。
 近所のベランダには人の姿はなく、ベランダで今か今かと待機しているのは私たちだけ。
 なんだかちょっと恥ずかしくなった。

 時計を見るともう4時を過ぎている。
 と、その時突然TVの番組が打ち切られ、トロイアの傾いたビルの姿が映し出された。
 ビルの前でレポーターが緊張した様子で喋っている。
 画面が変わって、町の展望台とサン・ジョルジョ城のテラスが写った。
 そこには大勢の人々が詰め掛けていた。
 なんだ~、みんなやっぱり見てるんだ~。

 トロイアの上空にはヘリコプターが飛びかい、空から見たトロイアの様子を伝え始めた。
 やがて貴賓客が詰めかけ、その中にはソクラテス首相の姿があった。
 どうやら首相の到着を待っていたらしい。
 そしていよいよTV画面で見る現地の様子が慌しくなった。
 私たちはベランダのカメラを気にしたり、TVの画面を見つめたりで忙しい。
 ソクラテス首相の手元がクローズアップ。
 そこにはビルの爆破のためのスウィッチがあった。
 ビルに巻かれた黒いものは爆薬なのだ。
 私たちはベランダに走りよって、カメラを覗き込んだ。

 ボン!
 トロイアに爆風が走った!
 今まであった高層ビルがあっという間に掻き消えた。
 周りにはすごい勢いでもくもくと砂煙が舞い上がり、たちまちトロイアを覆いつくした。
 まるでニューヨークの911事件の爆風のような光景だ。
 幸いにも我が家のベランダまでは爆風は届かなかったからよかった。
 風はサド湾の奥に向かって吹いているのか、大量の砂煙はそっちに流れていく。
 TVの画面では崩れ落ちる高層ビルの姿を繰り返し伝えている。
 二つのビルが同時に爆破されたのだ。
 ふたつともみごとにまっすぐ崩れていた。


▲マウスポインタを当てると爆破が始まります。(我が家のベランダから撮影)

 砂煙は2時間ほどトロイアの周りを漂って、また元の青空に戻った。
 そして傾いた高層ビルが掻き消えて、なんとなくすっきりしたトロイアになっている。

 でもこの跡にカジノと五つ星ホテルとヨットハーバーなどができて、高級リゾート地になるという。
 そうなるとホテルのプライベートビーチばかりになって、庶民のビーチがなくなってしまうのではないだろうか…。

MUZ(2005/10/01)

©2005,Mutsuko Takemoto
本ホームページ内に掲載の記事・画像・アニメ・イラスト・写真などは全てオリジナル作品です。一切の無断転載はご遠慮下さい。

 

(この文は2005年10月号『ポルトガルのえんとつ』に載せた文ですが2019年3月末日で、ジオシティーズが閉鎖になり、サイト『ポルトガルのえんとつ』も見られなくなるとの事ですので、このブログに転載しました。)

 

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K.049. アレンテージョ地方のマントを着た羊飼いの絵柄オリーブ入れ Azeitoneira

2018-11-21 | 飾り棚

 直径11.8cm

 まだ九月になったばかりで、この図柄はちょっと季節はずれかもしれないけれど…。アレンテージョ地方の羊飼いや農民には必需品の伝統的なマント。
 肩のところが二重になっていて狸かキツネの毛皮が衿に付いている。
 雨や風、寒さにいかにも頑丈そうなデザイン。

 日本でも昔はこれとそっくりのマントを普通に着ていたらしい。
 子供の頃、明治生れの祖父がこんなマントを着ていた記憶がかすかにある。
 やはり衿には毛皮が付いていて、ラッコの毛皮だと言っていたのを憶えている。
 もしかしたらそれも、もともとはポルトガルから伝わったものかも知れない。
 ちなみにマントはポルトガルからの外来語だ。

 数年前、アレンテージョ出身の小説家・サラマゴがノーベル文学賞を貰った。
 その後ポルトガルの大統領からも勲章を授与された。
 その授与式にサラマゴはこのアレンテージョのマントを着て臨んだのが印象的だった。

 今でもこの伝統的なマントは露天市の洋服屋では普通に売られている。

 このオリーブ入れはサンペドロの産、モンサラーシュの土産物屋用に作られた物で手彫り、手描きではあるが、残念ながら、ろくろ作りではない。
 鋳型貼り付け作りであるから、型は綺麗に整いすぎていてもう一つ味がない。MUZ

©2018 MUZVIT

 


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