受話器を取ると、「あなたのクルマのナンバーは~ですか?」と男の声が尋ねた。
なんのことだろうか?
「あなたのクルマのドキュメントがここにあるのですが、こちらはモンサラスの警察です。」
突然のことでびっくりしたが、ビトシがベストのポケットを調べてみると、いつもの場所にあるはずの物がない!
パスポートのコピーの中に、先日支払ったばかりのクルマの税金の領収書と、車検証のオリジナル、車検の検査証明書、などが挟んであって、そのまるごと見当たらない。
「知りませでした。」「えっ、知らなかったのですか~」
それまでまったく気が付かなかった。
免許証は別の場所に入れてあったので、大丈夫。パスポートもコピーなので、オリジナルはある。でも車検証のオリジナルはなくしたら大変だ。警察の検問に出会っても、今まで免許証の提示を言われたことはほとんどない。いつもまっさきに車検証の提示を要求される。
もし日本だったら、まず免許証を見せろと言われる。日本では車検証の提示を要求されたことは一度もなかった。
ポルトガルはクルマの盗難が多いので、車検証が重要なのだろうか?
「このクルマは私のものですよ」という証明書を提示できないと、盗難車に乗っている~と疑われることになる。
電話の向こうでは、「きょうは日曜日だから、明日そちらに送りましょうか?」と言ってくれる。
すぐにでも取りに行きたいところだが、モンサラスまでは片道3時間弱はかかるし、もし途中で検問に引っかかったら大変だ。土、日はあっちこっちで検問をしているのだ。
免許証を持っていても、運転をしたら危ない。
「申し訳ありませんが、こちらに送って頂けますか?」
「判りました。明日送って、遅くとも金曜日までには届くでしょう。それでは」
モンサラスには木曜、金曜と2泊の旅をして、土曜日の夕方に帰宅した。電話があったのが日曜日。
物を無くした事はぜんぜん知らなかった。取られた覚えはまったくないし、きっとどこかで落としたのだろう。
でも何処で? 記憶にまったく無い。
翌日から郵便が届くのをじっと待つ生活が始まった。
遅くとも金曜日までには届くだろう。冷蔵庫には充分な食料があるし、金曜日までは外出しなくても大丈夫。
郵便配達は毎日午前中、10時ごろまでにはやってくる。それ以後は家で待機する必要はないのだが、なにしろ重要な書類だから、ひょっとして特別に配達があるかもしれない~と考えて、毎日外出をせずに家にいた。
ベランダでコーヒーを飲みながら下界を見ると、郵便配達人が水道タンクの周りの家に配達をしているのが時々見える。それから5分もすると我がマンションのブザーが鳴る。~はずだが、鳴らない!いつまで経っても鳴らない。
金曜日まで待っても届かなかった。
土、日は郵便配達はないので、6日ぶりに買物に出かけた。
急いで帰宅して郵便受けを見たが、何も入ってない。
モンサラスから手紙を出すと、いったんリスボンに集められるのだろうか?
日本からの手紙などは5日間ほどで届くのが普通だ。
でも10年ほど前にセトゥーバルからクルマで1時間ほど離れたセジンブラに出した手紙が、2週間もかかって届いた事実があるし~。
念のため、あと1週間待ってみよう。
月、火、水~とベルは鳴らない!
木、金、やっぱり鳴らない~。
金曜日の夕方、まだ来ない。絶対におかしい。
電話をかけてみよう。
モンサラスの城遠望
でもうかつなことに「モンサラスの警察」というだけで、電話をくれた警官の名前も聞いてなかった。連絡の取りようがない。
モンサラスとはレゲンゴスモンサラスだろうか?
ネットで調べると、やっと電話番号が出てきた。レゲンゴスモンサラスの警察GNR。
でもここではないという。別の電話番号を教えてくれた。
かけなおすと、出てきた警官はポルトガル語しか喋らない。
こんな複雑な会話は私には無理。「誰か英語を話せる人はいませんか?」と必死で頼んだ。
すると、代わりに出た人が流暢に英語を喋り始めた。あまりに上手でびっくり。
声に聞き覚えがある。
「ひょっとして先日電話を掛けてくれた方ですか?」と尋ねると、「そうです、そうです」とのこと。
ああ良かった、これで話が通じる。
「もう2週間近く待っているけど、まだ届かないのです」
「こちらに戻ってきましたよ。」
「ええ~!それじゃ、これからそちらに受け取りに行きます」
「でも、もう一度、送り返しましたよ」
「それはいつですか?」
「2日前ですよ」
そして翌日、土曜日、ベルが鳴った。
書留が届いた。中味は全部そろっていた。
さっそくモンサラスにお礼の電話を掛けて彼の名前を尋ねると、彼は自分の名前と携帯の番号を教えてくれた。
車検証も戻ってきたから、もう道端で検問にあってもだいじょうぶ。
電話でお礼を言っただけでは気がすまないので、もう昼の2時を過ぎているけど、ひとっぱしりモンサラスまで出かけることにした。先日泊まったキンタ(農園ホテル)に泊まろう。
レゲンゴスモンサラス警察に着いたのは、もう夕方5時近くだった。
でも電話をくれた親切なセニョールマオリティオは、ここではなく、モンサラスの上り口のGNRに勤務しているという。
さっそくそこまで走った。
ポルトガルのノーベル賞受賞作家、サラマゴ氏の記念館を左に見て、曲がったところにGNRの事務所があった。
でも、「彼は今日は休みです。明日は朝10時ごろからモンサラスの城に勤務だから、明日行けば彼に会えますよ」と同僚の警官が教えてくれた。
お礼に持っていったお菓子を彼に預けて、翌日モンサラス村に出直すことにした。
その夜は麓のサンペドロコルバルで陶器祭を見て、キンタに泊まった。
サンペドロ・デ・コルバルの陶器祭
足で蹴ってロクロを回しながら陶器作りの実演
お城のあるモンサラス村はこれまで何度も訪れた場所。一番最初にやってきたのは25年ほど前。
日本からリュックを担いでローカルバスを乗り継いでポルトガルを一ヶ月間旅したときだった。
その時はエストレモスからボルバ、アランドロアル、など田舎の村を見て歩き、夕方6時過ぎに終点のレゲンゴスモンサラスの町に到着した。数軒あるペンションを訪ね歩いたが、どこも満室とのことで困り果ててカフェに入いり相談したところ、その場に居合わせた男たちがワイワイがやがやと話し合った結果、タクシーでモンサラス村に行くことになった。霧に包まれた山のてっぺんにその村はあった。2軒のペンションで運転手が空室があるか尋ねてくれたが、どちらもなくて、3軒目の宿でやっと泊まることができた。~という思い出深い村である。その頃は廃墟ばかり目についたモンサラス村だったが、いまはほとんどの廃墟がリメイクされて、観光客もたくさんやってくる村になった。
土曜日、朝10時過ぎにモンサラス村に着いた。でもGNRがどこにあるのか判らないので、ツーリスモ(観光案内所)で尋ねたところ、彼の携帯に電話をかけてくれたので、マオリティオ氏にお礼を述べることができた。でも今日は事故が2件もあって、午後3時すぎにしかモンサラス村には行けないとのこと。3時まで待っていたら遅くなるので、私たちは次の町に向けて出発することにした。
親切な警官に直接お会いできずに残念だったが、ポルトガルがますます好きになったできごとだった。 MUZ