定期済ませて組合に行くとドンピッシャリに仕事でる。豊川市穂ノ原行きでした。
帰りは寄り道しました。2キロほど西の「三河国・国分尼寺」公園です。
奈良の時代、聖武天皇は全国60余カ国に「国分寺・国分尼寺」を建立しました。ここ三河国の尼寺は大きく、伽藍が中門・金堂・講堂と一直線に並ぶ様式です。
中門(写真)は一部復元されてます。朱塗りの柱、梁はあざやかです。屋根は出土した天平の瓦を復元したものらしい。金堂・講堂の礎石も整備され当時の結構が想像できます。
律令制度が崩壊する平安時代初めには、財政的に維持困難となり荒れ果てたという。大きな金堂礎石も6個しかなく、すべて崩壊してから持ち去られました。
この地は、いまでも「穂の原」といわれる豊かな土地です。しかし大伽藍を建立するには民の労力が強制動員されたことでしょう。当時聖武時代は、飢饉・疫病さらに九州に乱もあり、何度も遷都しています。統治するに不安だったのかも・・。そこで日本中に国家安泰を求めての「国分寺・国分尼寺」建立だったんでしょう。
統治者の思いと・・それに翻弄される民。統治者の思いの遺構は発掘されるが、そこに動員された民の思いは想像するしかない。
ここで福島を思いました。千年後、「福島原発事故」は必ずや遺跡となり記憶されているでしょう。でも福島の民の悲しみ苦しみは、天平の民同様に埋もれてしまうのだろうかと。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます