死火山に煙なく不思議なき入浴 兜太
昭和47年、「暗緑地誌」より
これは無季の句ですね。
どこで詠まれたのか分らないが、
「死火山に煙なく」というのだからどこか
温泉に来ているのではないか。
露天風呂に入っての感慨のように思う。
無季だが、死火山という荒涼とした言葉の景から、
木々は落葉し裸木を想像します。
冬季ではないか、荒涼とした露天風呂に入りながら、
ふと、戦地の露天風呂を思い出しているのではないだろうか。
「煙なく」は、戦場の合図の「狼煙」をふと思い出しているのだと思う。
「不思議なき入浴」が意味が深い。
「不思議な入浴」であれば、戦時中をまだ引きずっていることになる。
「不思議なき」では、すでにその記憶は生々しいせん痛ではないが、
疼痛のようにじわじわ想い出すのであろう。
「不思議なき」に戦後27年間が込められているように思う。
温泉に来て、露天風呂に入ってもそれにどこか酔いきれない、
兜太さんの悲しみが伝わってくる句である。
昭和47年、「暗緑地誌」より
これは無季の句ですね。
どこで詠まれたのか分らないが、
「死火山に煙なく」というのだからどこか
温泉に来ているのではないか。
露天風呂に入っての感慨のように思う。
無季だが、死火山という荒涼とした言葉の景から、
木々は落葉し裸木を想像します。
冬季ではないか、荒涼とした露天風呂に入りながら、
ふと、戦地の露天風呂を思い出しているのではないだろうか。
「煙なく」は、戦場の合図の「狼煙」をふと思い出しているのだと思う。
「不思議なき入浴」が意味が深い。
「不思議な入浴」であれば、戦時中をまだ引きずっていることになる。
「不思議なき」では、すでにその記憶は生々しいせん痛ではないが、
疼痛のようにじわじわ想い出すのであろう。
「不思議なき」に戦後27年間が込められているように思う。
温泉に来て、露天風呂に入ってもそれにどこか酔いきれない、
兜太さんの悲しみが伝わってくる句である。
参照 http://www.shuu.org/newpage24.htm