霧に白鳥白鳥に霧というべきか 兜太
昭和52年、「旅次抄録」より
白鳥は冬の季語。
一昨年前「流氷ツアー」に出かけてサロマ湖の白鳥を見た。
そのとき、群れる白鳥を間近に見て、
意外と大きく皮膚感覚が伝わってくる、
穏やかでいて、生々しく、
結構賑やかな、鳥だなあって思ったのを思い出す。
句の景はひじょうに簡明、
霧と白鳥の白い世界に作者がいる。
霧の中に白鳥がいるというべきか、
白鳥のいるところに霧が立ち込めてきたというべきか、
と考えている兜太さん。
そこに、私には詩的叙景だけでなく、
しっとりとした抒情に酔っているというか、
とてもいい気分なのだろう、
白鳥が生々しさに、すこしテレもあるのかもしれないと思ったりもする。
兜太さんの50代前半の句なのだが、
兜太さんは枯れた静的なものに感応するのではない。
どこまでも、生きているものに感応する。そこが兜太さんらしい。
昭和52年、「旅次抄録」より
白鳥は冬の季語。
一昨年前「流氷ツアー」に出かけてサロマ湖の白鳥を見た。
そのとき、群れる白鳥を間近に見て、
意外と大きく皮膚感覚が伝わってくる、
穏やかでいて、生々しく、
結構賑やかな、鳥だなあって思ったのを思い出す。
句の景はひじょうに簡明、
霧と白鳥の白い世界に作者がいる。
霧の中に白鳥がいるというべきか、
白鳥のいるところに霧が立ち込めてきたというべきか、
と考えている兜太さん。
そこに、私には詩的叙景だけでなく、
しっとりとした抒情に酔っているというか、
とてもいい気分なのだろう、
白鳥が生々しさに、すこしテレもあるのかもしれないと思ったりもする。
兜太さんの50代前半の句なのだが、
兜太さんは枯れた静的なものに感応するのではない。
どこまでも、生きているものに感応する。そこが兜太さんらしい。
参照 http://www.shuu.org/newpage24.htm
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