前々から友人Hさんに「私の家で鍋パーティーをしますので来てください」と誘われていましたので、午前中のおしゃべり会が終わったあと、Hさんの友人達といっしょに行きました。Hさんやその友達が手際よく下ごしらえします。
鍋パーティーの始まりです。
遅れて女性達がやってきました。
ビールは「BIA333」。昼間から飲みすぎ
前々から友人Hさんに「私の家で鍋パーティーをしますので来てください」と誘われていましたので、午前中のおしゃべり会が終わったあと、Hさんの友人達といっしょに行きました。Hさんやその友達が手際よく下ごしらえします。
鍋パーティーの始まりです。
遅れて女性達がやってきました。
ビールは「BIA333」。昼間から飲みすぎ
サイゴンにある日系企業に本社から出張してきたサラリーマン。会社の同僚に誘われておしゃべり会に参加しました。おしゃべり会といっても、ベトナム人が30人ぐらい、これに対し日本人は5~6人と少ないんです。そこで旅行や出張でサイゴンに来た人に、日曜日の午前中に時間があったら「おしゃべりボランティア」をしませんかと呼びかけています。
ほとんどベトナム人。下の写真では左のカッターシャツの人が日本人
右から2人目の女性は、師範大学で日本語を専攻する4年生。卒業後は大学で日本語教師を目指しています。
日系企業に勤めているTさん
サイゴンの街を歩いていて、私が好きな風景はこれ。何とも気持ちよさそうに眠っていますね。
これは中心部の1区の民間アパートとその駐輪場。
中心部の1区からカンボジアのプノンペンに毎朝630に国際バスが出発しています。料金は片道10ドル、カンボジアに入国する際に、カンボジアの入国管理局でビザ代25ドルが必要ですので、往復20ドルと合わせて45ドルでカンボジアの首都とサイゴンを往復できます。私の日本人の友人は、3ヶ月ごとにビザを更新しながら生活していますが、ベトナムの入国管理局から「ビザが切れる前にいったん国外に出て再度入国するように」と言われたそうです。そこでこの国際バスを使って、プノンペンに行きとんぼ返りで帰って来たと言っていました。しかし、リクライニングがあるとはいえ、10時間もがまんするのはちょっと苦行。
行き先はPHNOM PENH(プノンペン)⇔HOCHIMINH(ホーチミン)
サイゴン市内には多くのタクシー会社があります。この中には私が8月に日本から戻った時に乗ったSタクシーのように「ベトナム語がわからない客からはぼったくってやれ」という会社もあります。このSタクシーの運転手は、私が行き先を書いたメモを渡して走り出しても、タクシーメーターを倒さずに走っていきます。この運転手が考えていることは、「どうせ地理がわからないのだから、目的地に着いた時に通常の2倍から3倍の料金を請求してやれ」というものです。
私がタクシーメーターを指差し、倒して走ってくれとジェスチャーで抗議したのでやっと倒しました。そして自宅に着いたときは、通常、空港から自宅までの料金は10万ドンですが、この運転手は「メーターを倒さずに走った距離の料金は○○・・・・」なんか言い始めて15万ドンを請求しました。長旅で疲れていたので、もういいやと払いましたが・・。
学生に「どこのタクシー会社が良心的ですか」と聞くと、次のVINASUN(ビナサン)とMAILINH(マイリン)の2社です。この会社は客がタクシーメーターを倒してくださいと言わなくても必ず倒して走ります。というか当たり前のことですが、この当たり前のことを「外国人ならぼったくれ」というひどい会社があるのです。
金曜日の夜の授業が8時30分に終わり、講義室のある4階から2階の外国人教師寮に降りてきたときのこと。台湾人で中国語の教師をしているYさん(女性24歳)が入口で待っています。その日は外国人教師4人のうち2人が日本からまだ帰国しておらず、寮にいるのは私とYさんの2人だけ。そして私も講義があるので6時前に外出しています。
Yさんは外出先から帰宅して、外国人教師寮の南京錠をかけてキーを引き抜いたところ、そのキーを外側の通路に落としてしまいました。キーを取ろうとしましたが、このドアから床まで手が届きません。Yさんはこのキーがないと自分の部屋に入れないので、「このままだれも来なかったらどうしよう」と不安になっていました。しばらく待っていると、4階の講義室から学生の声がするので、「Help」と呼んだそうです。その学生が降りてきて落とした鍵を拾ってくれたので自分の部屋に入ることができました。でもそのときは混乱していてろくにお礼も言えなかったので、私の講義が終わるまでずっと入口で待っていたのです。
そして、「助けてくれたのはT先生(私のこと)の学生ではありませんか。お礼を言いたいのですが・・・・」。
私の生徒は全員女性です。Yさんに「助けてくれたのは女性ですか?」と聞くと「いいえ、男性です」という。では私の生徒ではありませんので、一緒に4階の講義室に行ったところ、同じ時間帯に韓国語の講義があっていて、助けてくれたのは韓国語を専攻している男子学生だとわかりました。しかし、既に講義も終わり全員帰った後でしたので、お礼は言えなかったのです。