果物料理と果物食品加工

ビタミン・ミネラルに果物の仄かな香りに目覚める フルーツソムリエ

合掌        いかせ いのち

2011-10-03 14:42:41 | 高野山
 

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合 掌       福岡県糟屋郡   切幡寺 住職  藪 ?史
 近頃は合掌する機会が減ってきたようです。お仏壇のない家庭の子どもにいつ手を合わせたかを尋ねると、食事のときに「いただきます」と手を合わせたと言います。また、食事のときにも手を合わせない子どももいて驚きました。核家族が増え、親類付き合いも少なくく、冠婚葬祭にも顔を出さず、手を合わすことがないのです。
 合掌はインドに端を発した、相手を敬う方法の一つです。もともとは恭順の意味で、敵意がない、争う意思がないということから、自我を慎み敬うべき神仏に祈るときはもとより、森羅万象に手を合わせ感謝してきました。仏教では、右手は仏さまを示し聖なる働きを表し、左手は凡夫衆生を示し自分を表します。手を合わすことで仏さまと自分が一体になることや、仏さまに帰依する心を示す行いとなるのです。また、他人に向かって行う合掌は仏心を持って相手に深い尊敬の念を表しているのです。
 合掌の種類にさまざまありますが、最も一般的な、手の平をぴったり合わせ指をまっすぐに伸ばし、素直でいつわりのない心を表現する「堅実心合掌」や、掌をつけず蕾のように手を合わせ、いつか花開く仏心を保っている状態を表現する「虚心合掌」、指を少し開き、右親指が上がるように交互に組み合わせ、より強い仏さまとの一体感、揺るぎない心で祈りを表現した「金剛合掌」がよく知られているところです。

 

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 こうした祈り、感謝、仏心の表れである合掌の姿が見られない世の中は感謝のない世の中だと言えます。感謝のない世の中は満たされない世の中であり、欲望に満ちた安らぎのない世界でもあります。安らぎのない世界で私たちは病み、癒されることもなく日々生きていくのです。お腹が痛くなったときすぐにできる治療は、痛い患部に手を当てることです。これが手当の始まりです。手の平には不思議な力があると言われますが、仏さまと一体になる合掌の姿は、傷つきやすい心を仏さまに手当していただいているのです。
 合掌の姿が見られないということは、拠り所をなくした状態だと危惧されてなりません。冬の寒空の中で道端の石仏に手を合わせてみて下さい。冷たい風にさらされ指先までかじかんできます。しかし、仏さまと一体になった掌はほのかな温もりを保ち続けることでしょう。私たちの日々の暮らしも世間の荒波にもまれ、身も心も冷え切ってしまうこともあるかと思います。しかし、仏さまと共にある人生ならば、きっと心に温もりを残すはずです。
 自分を見失わない前に、冷め切ってしまわない前に、合掌の心と姿を取り戻していただきたいと心よりお願い申し上げます。高野山高野山大師教会の大講堂には「相互供養、相互礼拝」と掲げられています。お互いに拝み合える世の中が仏さまの世界、幸せな世の中であることを示しているのです。拝み、拝まれ、癒し、癒される世界を、今のあなたから広げていただきたいとお願いいたします。
 手を合わす心におわす仏さま。   


参与770001-4228(本多碩峯)Sannrinn_01_4_5









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