共 生
高野山真言宗管長
総本山金剛峯寺座主 松 長 有 慶
共生という言葉を最近よく耳にするようになってきました。今まではお金さえあれば地球上の動物や植物のいのちを勝手に奪い、人間が利用してよいと人々は考えてきました。
ところが私たちが自分の欲望を満たすために動物や植物をむやみに殺すことは、地球の環境を破壊し有限の資源を浪費し、やがて自分の身や子孫の生存に危害が及ぶことに人々はようやく気づきました。
それでもこれこれからどのような生き方をすればよいか、かいもく見当がつきません。それには今まで常識と考え人間は万物の霊長で動植物の上に君臨し、それらの生食与奪の権利を振ってい濁という考えを根本的に改める必要があります。
仏教には「一切衆生」という考えがあります。地球上に存在するあらゆる生物が、分け隔てなく同じいのちを持ち生きているという考えです。
お大師さまはその考えをさらに進めて、動植物のいのちと人間のいのちの密接なつながりについて触れられて、鳥や獣や虫けらの中にも仏さまがおいでになるからと、これらの動植物の成仏も祈っておられます。
近頃、世界のあちこちで起っている敵対するものを征服して、抹殺するという異教徒排除の物騒な思想も、お大師さまには無縁めものとなります。
地球上に存在するものことごとくが、同じいのちでつながっているのですから、異教徒もまたすべて同胞です。それぞれ異なった信仰を持つものであっても、それは大日の無辺の功徳の一部分を担う役目を果たすと考えられています。
お大師さまのお説きになる「曼荼羅」の思想は、違った信仰を持ってはいても、共存し
共生する生き方のお手本を示しています。
この世の中で人間だけが絶対ではありません。また自分の思想や信仰だけが正しくて、他人の考えは間違っているからやっつけてよいという思い上がりは、人類や地球上の生物をやがて破滅に導きます。
私たちが二十一世紀を無事に生き延びるためにはお大師さまのお考えの基盤をなす「共生」の思想について、もう一度思い返す必要があります。
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