生かせ いのち --大師とともに
高野山真言宗管長
総本山金剛峯寺座主 松 長 有 慶
33、思い通りにならないこと(その一)
私たちが生きていく上で、さまざまな困難に出会います。首尾よく解決した時は気分爽快となりますが、思いどおりにいかないことのほうがはるかに多いようです。そのような時に私たちは癇癪(かんしゃく)玉を破裂させてみたり、落ち込んでみたり、他人のせいにして自分を慰めてみたり、じっと我慢して耐えたり、いろいろな態度をとります。
日常生活の上で起こる事態は、時が解決したりしてそれほど後をひきませんが、どのように対処しても、根本的な解決法が見当たらないことがあります。それは生、老、病、死の四つです。お釈迦さまはそれらを四苦と捉えられました。
四苦といえば、四つの苦しみだと思っている人が多いようですが、それは誤解です。生、老、病、死をそれぞれ苦しみと考えると、お釈迦さまは人間が生きている上で、遭遇するこれらの出来事を悲観的に捉えたことになります。この場合の「苦」は、痛いとかひもじいとか苦しいという意味でありません。元のサンスクリット語からみれば、「避けることの出来ない悪しき状況」という意味です。
私たちが生まれてきたのは、大きないのちの流れの中で、この世に送り出されたのであって、自分が選んで生まれてきたわけでありません。
生まれた限り、やがて老いを迎えます。また病にかかり不自由な生活を送ることを余儀なくされます。
老、病、死は若くて健康な時には、どこか遠くの世界の出来事で、自分もやがて経験するとは、多くの若者は考えないようです。私もそうでした。といっても後期高齢者の仲間入りする頃には、いずれも切実な問題となります。
生、老、病、死を苦しみと理解すれば、もともとそれらは、生きている限り逃れることの出来ないものですから、それらを恐れたり、恨んだり、悲しんだり、いつも後ろ向きの姿勢でしか対処できません。しかし思い通りにならないことと前向きに受け止めなければ、それらを真正面から向き合い、生の一面と素直に受け止め、覚悟を決める積極的な姿勢をもつことも可能となります。
若くして不幸にして亡くなられた、あるいは高齢になっても病知らずという方もおられます。これらの方にとっては、老いなく、病がない生だといえましょう。でも私たち誰でも直面する最も思いと思い通りにならないこと、それはいうまでもなく死に他なりません。(つづく)
宜しくお願いします。
合掌