慶喜

心意気
「明日迄の命の気持ちで、人生を!」
「不老不死の気持ちで、知識の習得を!」

宋王朝(10)(現実主義の宋王朝)

2021年01月16日 | 歴史
🌸宋王朝(10)(現実主義の宋王朝)

 ☆「平和をお金で買った」現実主義の宋王朝

人望抜群だった初代皇帝
 ☆趙匡胤(ちょきょういん)、五代十国の混乱を鎮めて宋を建国
 *彼は皇帝になる気はなかったが、強引に皇帝の衣を着せられる
 ☆趙匡胤の無欲で人望のある人柄がうかがえる「文治政治」を実施
 *節度使の様に「武」国を治めるのでなく、「文」学問で国を治める
 ☆唐末期から五代十国にかけての混乱の原因
 *節度使が「地方の親分」になったのが原因
 *節度使を廃止し皇帝直属の精鋭部隊とした

⛳“超・現実主義"に徹した政治
 ☆節度使を廃止して皇帝のもとへ軍隊を集めた
 *国全体の軍事力は弱体化する
 *辺境の防衛を担当させていた節度使がいなくなった
 *異民族からの侵入を防げなくなってしまった
 ☆北方民族、契丹族の王朝の遼が万里の長城の内側に進出
 *強大な力で宋王朝を圧迫する
 *宋は(金品を支払い平和を買う)遼と結ぶ
 *同様の取り決めを別の北方民族の西夏とも結ぶ
 ☆異民族との「平相を買う」ための額は莫大になる
 ☆宋は「戦争に弱くてもいい。平和はカネで買えばいい」とした
 *従来の中国の王朝とは、違った“現実主義"の王朝
 ☆都の開封では、深夜まで店が開いており、空前の賑わいも見せた

⛳財政難から滅亡の危機に
 ☆平和を金で買う政策は、財政を着実に圧迫し、宋は財政難に陥る
 ☆王安石、財政難の改善と富国強兵化を図る改革を実施した
 *変化を嫌った地主や大商人たちに反対された
 ☆芸術家として一流だった皇帝が即位した
 *皇帝としては失格で、芸術のために重税をかける
 *民衆の反乱が多発してしまう

⛳北宋の滅亡と新たな敵の出現 
 ☆宋王朝は完全に滅びたと思われた事件
 *遼のさらに北方から女真族のが誕生
 *遼を呑みこんで北宋に迫り、皇帝一家を捕らた
 *生き残り、高宗が金の攻撃から脱出
 ☆高宗は、8年後臨安を都にした「南宋」王朝を建国する

⛳岳飛と秦檜、どちらの判断が正しかった
 ☆南宋2派に分裂
 *「金と断固戦い、中国北部を取り戻そう!」という主戦派
 *「いや、戦争は回避しよう!」という和平派
 ☆主戦派の代表だった岳飛
 *岳飛は、兵を率いて金相手に勝利をおさめ、民衆に人気を得るが
 *全面戦争に突入することを恐れた秦檜は、岳飛を殺す
 ☆南宋も北宋の王朝と同様「平和をカネで買う」政策をとった
                   (敬称略)
⛳知識の向上目指し、記事を参考に自分のノートとしてブログに記載
⛳出典内容の共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
⛳詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
⛳出典、『世界史の教科書』




宋王朝(10)(現実主義の宋王朝)
『世界史の教科書』記事より画像引用)
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革命家レーニン 20世紀を変えた男

2021年01月16日 | 歴史上の人物

🌸革命家レーニン 20世紀を変えた男

 ☆史上初の社会主義国・ソビエトを建国したレーニン

 ☆レーニンは、ロシア帝国の下級貴族に生まれた

 *農民や労働者のユートピアを目指して革命運動に身を投じる

 *家族との死別、迫害を受けての国外逃亡とロシア国内での内戦

 ☆レーニンは、血が流れても革命運動を止めることは無かった鉄の男

 ☆私生活では、妻と愛人を大切にし、良く笑い、質素な暮らしだった

レーニンと革命政府樹立
 ☆ロシア革命を指導し最初の社会主義国家を建設した革命家
 ☆レーニンは、第2次ロシア革命の指導者となった人物
 *兄の影響で社会主義運動に入り、独自の革命理論を作っていった
 *一時捕らえられてシベリアに流刑となる
 *現地で女性革命家クルプスカヤと結婚
 ☆第1次ロシア革命で、ブルジョア民主主義革命の達成を目指した
 ☆ロシア二月革命が起こりロマノフ朝のツァーリ専制政府が倒れた
 *ブルジョワ立憲主義者を中心に臨時政府が成立
 *ペトログラードなど各地で労働者・兵士のソヴィエトが成立
 *ロシアは二重権力の状態となった

レーニン「四月テーゼ」を発表し
 ☆「すべての権力をソヴィエトへ」という指針を提起した
 *レーニンが彼の有名な「四月テーゼ」
 ☆レーニンの分析
 *革命は、権力をブルジョワジーに与えた第一段階から
 *労働者・貧農に権力をひきわたす第二段階へと移行しているとした

七月暴動
 ☆レーニンの指導するボリシェヴィキは臨時政府の戦争継続
 *反対大規模なデモを組織
 *臨時政府は、ボリシェヴィキを弾圧にのりだした
 *レーニンをドイツのスパイであるとして逮捕しようとした
 ☆レーニンは『国家と革命』を記載する
 *二月革命のブルジョワ革命をプロレタリア革命に発展させる
 *議会政治を否定してボリシェヴィキ独裁体制を樹立すべきとした

十月革命
 ☆レーニンは、臨時政府の弾圧を避けるため武装蜂起を実施した
 ☆ソヴィエト政権の樹立を宣言
 *「平和についての布告」と土地についての布告を提案し承認された
 ☆全ロシア=ソヴィエト会議
 *従来の内閣に変わる臨時労農政府の執行機関として
 *人民委員会議を設置しレーニンをその議長に任命した
 *人民委員会議の外交委員にはトロツキーが就任した

ボリシェヴィキ独裁の実現
 ☆レーニンが革命の過程でもっとも大胆な行動を起こした事件
 ☆憲法制定議会の閉鎖
 *普通選挙によって議員を選出し憲法を制定することを目的とした
 *選挙の結果は議会を通じて革命的政策を実現することはできなかった
 *レーニンは武力を動員して議会を閉鎖
 *ボリシェヴィキ独裁を実現させた
 ☆ソヴィエト政権下ではボリシェヴィキ以外の政党は禁止された
 *議会政治も否定され、これがロシア革命の転換点であった

⛳レーニン暗殺未遂事件
 ☆レーニンにピストルを撃ったのは35歳の女性の社会革命党の左派
 *4日後によって処刑された
 ☆レーニンは、血を流す戦いを強いられた
 *旧勢力による反革命との内戦
 *外国の革命干渉軍との戦い
 *革命派との路線対立

⛳戦時共産主義
 ☆反革命勢力は各地に反革命政権を樹立して内戦を仕掛ける
 *資本主義国のイギリス等、対ソ干渉戦争を仕掛けてきた
 ☆レーニンは、「戦時共産主義」の体制を強め
 *農民生活を犠牲にしながら革命政権の維持を図った
 *農民には大きな犠牲を強いることとなった

コミンテルンの創設
 ☆レーニンは、資本主義国家権力を倒し社会主義革命を成功には
 *ロシアだけでは不可能だと考えていた
 ☆ロシア革命を守るためにも
 *外国でも労働者の革命蜂起が必要であると考えていた
 ☆革命路線の国際組織が必要だと判断しコミンテルンを創設
 ☆レーニンの誤算(ポーランド
 *レーニンはポーランドとの戦争で赤軍に進撃を命じた
 *レーニンは赤軍がワルシャワに入れば
 *ポーランドの労働者はそれに呼応して立ち上がると期待した
 *ワルシャワを前にして赤軍は大敗北を喫した
 ☆レーニンの誤算(対資本主義国)
 *ドイツ革命、ハンガリー革命がいずれも失敗
 *レーニンの国際革命は実現せず
 *コミンテルンはロシア共産党に従属する各国支部となる

ネップへの転換
 ☆クロンシュタット反乱
 *戦時共産主義に対して反発した農民出身の水兵たちの反乱
 ☆ロシア革命の推進部隊であった兵士
 *ボリシェヴィキ政権に反対したのは、レーニンにとり衝撃だった
 ☆レーニンは、大きな路線転換を決断
 *新経済政策(ネップ)を打ち出した
 *これは一定程度の資本主義経済への復帰を認めるもの
 *経済体制を立て直し、「一歩後退、二歩前進」を目指した

⛳レーニンの死
 ☆共産党の主導権はトロツキーとスターリンが争い
 ☆レーニンの後継者にスターリンが継承した
 ☆レーニン自身がその二人をどう見ていたか
 *遺書に明確に示されていたが、遺書は公開されず
 ☆スターリンが権力闘争に勝利した
 *その後のスターリン体制が続く
                   (敬称略)
⛳知識の向上目指し、記事を参考に自分のノートとしてブログに記載
⛳出典内容の共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
⛳詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
⛳出典、『世界史の窓』『ザ・プロファイラー』




















革命家レーニン 20世紀を変えた男
(『ザ・プロファイラー』テレビ画面より画像引用)
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武田総務大臣携帯値下げや郵政人事も強行

2021年01月16日 | 政治家
🌸武田総務大臣「NHK受信料300円」で突進する

 ☆楽天との水面下連携
 ☆NHKの「繰越剰余金」や肥大化にもメスを入れる

公の場で批判し世論を味方に
 ☆菅政権の目玉政策、携帯電話料金の値下げ
 *NTTドコモがメーンブランドで低価格の新プランを発表
 *ソフトバンクなど競合他社も追随し新プランを発表
 ☆武田大臣はメディアなど公の場で国民に見える形で圧力を掛ける
 ☆武田大臣周囲に語る
 *携帯業界の内幕はドロドロで狡猾だ
 *携帯業界全体で談合するようなぬるま湯体質だ
 *オレのような”刃物”が露骨にやれば
 *甘い汁を吸っていた連中の逃げ場はなくなる
 ☆菅政権にとり、次期衆院選に向け、目に見える実績が欲しい
 ☆その一つが総務省が進めるマイナンバーカード普及
 *最近スマホで「QRコード」付きの交付申請書配布も展開する

⛳チャンネル数圧縮で値下げヘ
 ☆武田氏を首相が総務相に任命した理由の一つ
 *自分と同じ”叩き上げ”の匂いを感じ取ったから
 ☆携帯料金値下げの次の武田氏の次のターゲット
 *NHK受信料引き下げに定め、既得権益打破へ走り出した
 *内閣官房参与橋洋一氏
 (「NHKは受信料300円でいい」との持論を発表)
 ☆総務省が有識者会議でまとめたNHK改革案
 *繰越剰余金が一定水準を超えた場合
 *受信料引き下げの原資にする項目が盛り込まれた
 (武田氏の強い意向があったから)
 *水面下では、営業経費の大幅削減&チャンネル数圧縮
 (それによる受信料値下げ案が具体化しつつある)

⛳麻生太郎氏への「牽制」として
 ☆武田氏は日本郵政改革についても大ナタを振る
 *武田氏はNHKの集金業務を郵便局員に外注する案等
 *「NHKの次は郵政だ」との見方が強まる
 ☆首相は武田氏に
 *国民が『生活が変わった』と即座に実感できること
 *それが、 一番の選挙対策だと説明する
 ☆武田氏は、国家公安委員長として
 *歴代の警察庁長官経験者と、人脈を築くなど”人たらし”の一面もある
 ☆武田氏は、首相の言動をよく思わない麻生財務相ヘの
 *”牽制”としても機能する
 ☆麻生氏と武田氏は共に福岡県が地盤で対立してきた
 *麻生氏は近い将来、衆院福岡8区に長男を後継として擁立する意向
 *武田氏がライバル候補を立てるかどうかが今後の焦点になる
 ☆武田氏は菅政権で携帯やNHKなど既得権益に喝を入れた
 *国民の支持を得た武田氏の今後の成果に、政権の命運が掛かる
                   (敬称略)
⛳知識の向上目指し、記事を参考に自分のノートとしてブログに記載
⛳出典内容の共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
⛳詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
⛳出典、『THEMIS1月号』


武田総務大臣携帯値下げや郵政人事も強行
『THEMIS1月号』記事より画像引用)
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聖地に残る怖い信仰(11)(宗像大社沖ノ島)

2021年01月16日 | 聖地
🌸聖地に残る怖い信仰(11)(宗像大社沖ノ島)

神と神との誓約で生まれた祭神
 ☆玄界灘の海上に沖ノ島は位置する
 ☆神が宿る地で、日本有数の聖地島全体が神域
 ☆一般人の立ち入りは、現在では一切禁止
 ☆神職は、交代制で上陸する
 *人の出入りが途絶えた、絶海の孤島である
 *島が宗像大社の境内なので、神職の常駐が許されている
 ☆宗像大社とは
 *辺津宮、大島の中津宮、沖ノ島の沖津宮の3宮で構成される
 *「宗像三神」と呼ばれ三柱の女神が主祭神

黒田藩を襲った怪異現象
 ☆沖ノ島の掟(島を管理する神職も厳守している)
 *島のすべては神の所有物で、小枝1本さえも持ち出せない
 *島で見聞きしたことは口外できない事など
 ☆掟を破ったものには、不幸が襲うという
 ☆貝原益軒の記した書籍によると
 *キリシタン大名の長政は、日本古来の信仰を軽視した
 *九州の大名・黒田長政が島から織機を持ち帰る
 ☆長政の行動が不穏な出来事を引き起こす
 *織機は毎夜ひとりでに振動し、城中の家臣は怯えた
 *領内が、雷雨に襲われるなどの異変が多発
 *長政は織機を沖ノ島に返却した
 ☆沖ノ島への畏れが見て取れる

⛳古代海運の要所だった
 ☆沖ノ島が厳しく隔離された要因
 *23カ所の祭祀場跡と、約8万点もの奉納品が発見された
 *ほとんどが大陸・半島由来の品々である
 *歴史的価値が非常に高く、数万点の出土品は国宝に指定された
 *沖ノ島は「海の正倉院」と呼ばれる
 ☆沖ノ島は、大陸交流の中継地
 *沖ノ島はは、ヤマト王権や九州の最族から重視されていた
 *祭祀場は、航海の安全祈願のために機能していた
 ☆沖ノ島は、4世紀から9世紀の約500年間
 *海上交通の要衝として重視された
 *それが、沖ノ島が聖地となったのでは
 ☆沖ノ島、世界遺産登録されたとき
 *宗像大社は改めて人の出入りを禁上した
                   (敬称略)
⛳知識の向上目指し、記事を参考に自分のノートとしてブログに記載
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⛳出典、『本当は怖い日本の聖地』



 聖地に残る怖い信仰(11)(宗像大社沖ノ島)
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