goo blog サービス終了のお知らせ 

慶喜

心意気
「明日迄の命の気持ちで、人生を!」
「不老不死の気持ちで、知識の習得を!」

『その他の宗教』『無宗教』『日本での宗教』最終回

2025年08月05日 | 宗教
🌸2050年の世界の宗教勢力図3

⛳その他の宗教
 ☆「その他の宗教」
 *バハイ、ジャイナ、シク、道教等、小規模な信仰が含まれている
 ☆2010年「その他の宗教」信者数約6千万人(世界人口の1%未満)
 *2050年少し増加するが増加率は低い(世界人口の約0.6%)
 ☆2010年から2015年の期間「その他の宗教」の
 *信者の合計1.7で世界全体の平均を下回っている
 ☆これらの宗教は特定の地域や文化圏に集中している
 *シク教はインドのパンジャーブ州を中心
 *道教は中国や台湾で主に信仰されている
 *バハイ教は世界中に信者がいる
 *ゾロアスター教は現在の信者数は世界中で13万人程度で減少傾向

⛳無宗教者
 ☆2010年、世界の無宗教者人口は約11億人(世界人口の約16%)
 ☆世界の総人口に占める無宗教者の割合
 *2010年の16%から2050年には13%に減少する
 ☆無宗教者は他の宗教グループに比べて高齢で出生率が低い
 *無宗教者の合計特殊出生率1.7、世界全体の平均下回っている
 ☆無宗教者の最大の人口はアジア太平洋地域に集中しており
 *2010年には世界の無宗教者の76%がこの地域に住んでいた
 *2050年にはこの割合が68%に減少する
 ☆中国は、世界最大の無宗教人口を抱えているが
 *低出生率と人口の高齢化により、無宗教者の割合が減少する
 ☆西洋諸国では無宗教者の割合が増加する傾向にある
 *アメリカでは無宗教者が政治的にリベラルな傾向を示すことが多く
 *これが選挙結果に影響を与えるかもしれない
 ☆無宗教者の増加は必ずしも単純な世俗化を意味してない
 *アメリカ「スピリチュアルだが宗教的ではない」と自任する人々増え
 *特定の宗教には属さないものの
 *何らかの精神性や超越的なものへの信仰を持っている人も多い

⛳日本
 ☆2010年日本の仏教徒人口は約4600万人(総人口の約36%)
 *2050年までにこの割合は25%に減少する
 *2010年から2015年の期間における
 *日本の仏教徒の合計特殊出生率は1.3
 ☆2010年日本の仏教徒の年齢中央値は48歳
 *世界の仏教徒のなかでもっとも高齢化が進んでいた
 *無宗教者の割合は増加傾向にある
 ☆日本では伝統的に
 *多くの人々が特定の宗教に属していると自認しない傾向がある
 ☆神道の調査では明確な数字が示されていない
 *神道も人口減少の影響を受け
 *信者数や神社の数が減少する
 ☆キリスト教徒の割合は2010年時点で約1%
 *この割合は2050年までにほぼ変わらない
 *ただし絶対数では人口減少に伴い減少する
 ☆仏教寺院の維持が困難になる地域が増加する
 *高齢化に伴って葬儀や墓地に関する慣習にも変化が生じてくる
 *宗教関連の産業(仏具製造、墓地業、宗教観光等)は縮小する
 *高齢者向けの宗教サービスや、スピリチュアル市場の需要は増加する
 ☆日本でも、移民の増加に伴い、イスラーム教やヒンドウー教など
 *これまで日本では少数だった宗教の信者がやや増加する
 ☆多様化する社会において
 *宗教リテラシーの重要性は高まり、宗教教育のあり方の議論必要

おわり
 ☆2050年の世界の宗教地図
 *アフリカ以外の地域で人口が減り
 *キリスト教やイスラーム教のなかでアフリカの存在感が増していく
 ☆2050年には「日本人が知っておきたい宗教の常識」に
 *アフリカの宗教史が加わっているようになる
                     (敬称略)
⛳知識の向上目指し、記事を参考に自分のノートとしてブログに記載
⛳出典内容の共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
⛳投資は、自己責任、自己満足、自己判断で
⛳詳細は、出典原書・記事・番組・画像でご確認ください
⛳出典、『世界は宗教で読み解ける』


『その他の宗教』『無宗教』『日本での宗教』
(『世界は宗教で読み解ける』記事より画像引用)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『ヒンドゥー教徒』『仏教徒』『ユダヤ教徒』

2025年08月04日 | 宗教
🌸2050年の世界の宗教勢力図2

ヒンドゥー教徒
 ☆2010年ヒンドウー教徒の人口は約10億人(世界人口の約15%)
 *2050年には約14億人に増加し(世界人口の約15%を占める)
 ☆2010年時点でヒンドウー教徒の94%がインドに集中
 *インドの人口の約80%がヒンドウー教徒
 *2050年もインドは引き続きヒンドウー教徒の大多数が居住する国
 *2010年世界のヒンドウー教徒の99%がアジア太平洋地域に住む
 ☆インドのヒンドウー教徒の出生率は2.5
 *世界全体の平均とほぼ同じレベル

仏教徒
 ☆2010年時点で世界の仏教徒人口は約5億万人(世界人口の約7%)
 *2050年には約5億万人と、2010年とほぼ同じ水準
 *全人口に占める割合は5%に減少する

 ☆2010年時点で世界の仏教徒の99%がアジア太平洋地域に集中
 *中国には2億4400万人が住み
 *世界の仏教徒の半数近くを占めていた
 *2050年においても、アジア太平洋地域が98%を占める
 ☆仏教徒の合計特殊出生率は1.6
 *世界全体の平均2.5を大きく下回る
 *中国や日本など東アジアの低い出生率を思えば納得です
 ☆近年、北米やヨーロッパでは、瞑想やマインドフルネスなど
 *仏教に起源を持つ実践が人気を集めている
 *これらの実践は、必ずしも「仏教徒」としての
 *アイデンテイテイを伴わずに広がっている

⛳ユダヤ教徒
 ☆2010年、世界ユダヤ教徒人口約1400万人(世界人口0.2%)
 *2050年には約1600万人に増加
 *世界人口全体も増加するため、世界人口に占める割合は
 *2050年でも0.2%
 ☆2010年イスラエルが世界のユダヤ教徒人口の過半数を占める
 *ユダヤ教徒の合計特殊出生率2.3
 ☆イスラエルに住む超正統派のユダヤ教徒
 *「産めよ、増えよ、地に満ちよ」の教えをまもり
避妊や中絶しない
 *結果としてイスラエル全体の出生率は3を超える
 *超正統派に限ればなんと6以上
 *先進国では例外的な高さとなっている
 ☆アメリカではユダヤ教から他の宗教や無宗教への移行が進み
 *これがユダヤ教徒人口の減少につながっている
 *アメリカやヨーロッパでのユダヤ教徒人口の相対的な減少
 *これらの地域でのユダヤ系組織や機関の運営に影響を与える
                     (敬称略)
⛳知識の向上目指し、記事を参考に自分のノートとしてブログに記載
⛳出典内容の共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
⛳投資は、自己責任、自己満足、自己判断で
⛳詳細は、出典原書・記事・番組・画像でご確認ください
⛳出典、『世界は宗教で読み解ける』





『ヒンドゥー教徒』『仏教徒』『ユダヤ教徒』
(『世界は宗教で読み解ける』記事より画像引用)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『キリスト教』『イスラム教』

2025年08月03日 | 宗教
🌸2050年の世界の宗教勢力図

⛳キリスト教徒
 ☆現在、世界でもっとも信者の多い宗教であるキリスト教
 *2010年時点で約22億人、世界人口の約31%を占めていた
 *2050年までには29億人に増加し、世界人口に占める割合は31%
 ☆キリスト教は、新教・旧教(ローマ教会)・東方教会に分かれる
 *人口比で、無宗教、イスラーム教スンニ派、ローマ教会の順になる
 ☆地理的分布は変化する
 ①2010年世界のキリスト教徒の住んでいる場所
 *約4分の1が、ヨーロッパ
 *約4分の1が、ラテンアメリカおよびカリブ海地域
 *約4分の1が、サブサハラ(サハラ以南)のアフリカ
 ➁2050年にキリスト教徒の住んでいる場所
 *38%に、サハラ以南のアフリカが増加する
 *16%に、ヨーロッパが大幅に減少する
 *23%に、ラテンアメリカおよびカリブ海地域となる
 ☆サハラ以南のアフリカでは、キリスト教徒の人口
 *2010年の約5億人から2050年には10億人以上に増加する
 ☆ヨーロッパはキリスト教徒の絶対数が減少する唯一の地域
 *2010年に5億人から、2050年には4億に減少する
 *無宗教者の増加や他の宗教の伸びが要因として考えられる

⛳キリスト教の性質や実践に影響を与える可能がある
 ☆アフリカのキリスト教、伝統的なアフリカの宗教要素と融合
 *独特の形態を取り、ペンテコステ派やカリスマ派など
 *情熱的で直接的な信仰体験を重視する教派が急成長している
 ☆アフリカの経済発展とキリスト教の成長は密接に関連しており
 *教会が社会サービスや教育の提供で
 *重要な役割を果たしている地域も多くある
 *ヨーロッパでは教会の社会的影響力の低下が続いている
 ☆イスラーム教との関係も重要な課題となる
 *サハラ以南のアフリカで
 *キリスト教とイスラーム教の両方が成長しており
 *両者の関係が地域の安定に大きな影響を与える可能性がある
 ☆キリスト教の地理的中心の変化は、教会の指導者層にも影響を与えている 
 *ローマ教会、アフリカやラテンアメリカ出身の枢機卿の数が増加している

⛳イスラーム教徒
 ☆イスラーム教は急速に成長している
 *2010年には約16億人の信者数(世界人口の23%)
 *2050年には約28億人の信者数(世界人口の30%)
 (キリスト教とほぼ同規模になる)
 ☆イスラーム教徒の人口増加
 *主に高い出生率と若年人口の多さによるもの
 ☆21世紀中にはサハラ以南のアフリカ以外の世界のすべての地域で
 *人口減少が起こると予想されている
 ☆ヨーロッパでは主に移民の影響によって
 *イスラーム教徒の割合が2010年の約6%から
 *2050年には約10%にほぼ倍増する
 ☆2010年から2015年のあいだに
 *約100万のイスラーム教徒が移住したと推定されている
 ☆トルコのように長年世俗主義を国是としてきた国でも
 *近年はイスラーム的価値観の復権が見られている
                     (敬称略)
⛳知識の向上目指し、記事を参考に自分のノートとしてブログに記載
⛳出典内容の共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
⛳投資は、自己責任、自己満足、自己判断で
⛳詳細は、出典原書・記事・番組・画像でご確認ください
⛳出典、『世界は宗教で読み解ける』



『キリスト教』『イスラム教』
(『世界は宗教で読み解ける』記事より画像引用)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『王安石』『朱子学』『士大夫』『五・四運動』

2025年08月01日 | 宗教
🌸中国共産党と儒教の関係5

⛳合理主義者、王安石の改革
 ☆中国思想史においての王安石
 *偉大な儒学者、大儒として孔子廟に合祀された
 *王安石が活躍したのは、宋の第6代皇帝である神宗の時代
 ☆王安石は「万言書」を政策提言書を神宗に提出し抜櫂された
 *王安石の改革は「新法」と呼ばれている
 ①「青苗法」
 *国が低利で種籾代金を貸し付ける制度で
 *高利貸しから国民を守ることを目的とした
 ➁「市易法」という制度も導入して零細商人の支援も行う
 ③「均輸法」
 *物資の輸送と価格を国が管理して
 *大商人による独占や買い占めを防ぎ、物価の安定を図った
 ☆王安石は独占を排除して中間層を育てようとしていた
 *牛耳ってきた勢力からすれば全力で追い落としたい
 *結果、王安石の改革は完全には実現せず、宰相の座を5年で追われる
 ☆王安石の改革の成果
 *科挙の試験内容を変更したことなど
 *のちの中国の知識人社会に長期的な影響を及ぼしている
 ☆王安石の中央集権化、法制度の整備、経済の管理などは
 *のちの時代の発展につながったとも言える

儒教のイデオロギー化
 ☆王安石の合理主義は
 *南宋の時代になって孔子廟から王安石が取り除かれ
 *代わりに朱烹が入ったときに終わりを迎えた
 ☆朱烹は合理化、近代化へ向かうかに見えたあゆみを逆回しにして
 *朱子学というイデオロギー色の強い学問を提唱した
 *士大夫(科挙試験の合格者)たちは恨みを抱きながら
 *食う為に、江南に流れ、富裕な商人や貴族の子弟の家庭教師になった
 ☆士大夫たちから隆盛していった朱子学
 *朱子学は、儒教をより形而上学的な方向に発展させた
 *朱烹は世界の基本原理として「理」と「気」を提唱し
 *これらを通じて宇宙の秩序と人間社会の道徳を説明しようとした
 *儒教を道徳哲学から宇宙論を含む包括的な思想体系へと変えた
 *儒教の体系化を成し遂げた朱烹はたしかに偉大な学者なのだが
 *『論語』に対歴史の見方や考え方に、イデオロギーを
 *持ち込んだ点では問題があった
 ☆朱子学イデオロギー
 *外国の商人によって、中国がつくりし陶磁器や絹が外の世界へ流れ
 *われわれは貴重なものを失っていると捉える
 *内閣には外国人が入っていて中国人のポストは少ない
 *こんなんおかしい。『真の中国』を取り戻すべきだ
 *朱子学イデオロギーの信奉者が南宋には増えていく
 ☆朱子学の影響は朝鮮半島や日本にも及び
 *朝鮮では朱子学がやはり国家イデオロギーとして採用され
 *社会のあらゆる面に浸透した
 *日本でも江戸時代に朱子学が幕府の公式学問として採用された
 *武士階級の教育に影響を与えた

⛳儒教のイデオロギー化の負の効果
 ☆新しい思想や科学技術の受容を妨げる要因につながる
 *明代後期から清代にかけて西洋の科学技術や思想が
 *中国が伝わる際には、儒教の世界観との衝突が生じている
 ☆19~20世紀初頭にかけて中国が西洋列強の圧力に直面する中で
 *イデオロギー化した儒教は、近代化の障害として批判される
 *五・四運動では、儒教批判が運動の中心的なテーマのひとつとなる
 *朱子学がしたことを理解する必要がある
                     (敬称略)
⛳知識の向上目指し、記事を参考に自分のノートとしてブログに記載
⛳出典内容の共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
⛳投資は、自己責任、自己満足、自己判断で
⛳詳細は、出典原書・記事・番組・画像でご確認ください
⛳出典、『世界は宗教で読み解ける』

                    (『五・四運動)

                           (王安石)

『王安石』『朱子学』『士大夫』『五・四運動』
(ネットより画像引用)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『法治(韓非)』『道家(荘子)』『現代の中国の統治』

2025年07月31日 | 宗教
🌸中国共産党と儒教4

⛳法治主義を主張した韓非
 ☆韓非は、法家思想を完成させた人物
 *韓の出身地は、当時最小国であった
 *韓は、強国秦に脅かされるなか
 *国家の存続と強化のための思想を展開した
 ☆韓は、法律を作って、従わせるかたちで治めたほうがラクと考えた
 *広大な国で文書行政がさらに合理化できると
 *これが法家で、その代表が韓非です
 *始皇帝は韓非の著書『韓非子』を高く評価し
 *法家の思想に基づいて中央集権的な統治体制を確立した
 ☆国としては、法治以外に何か社会の基盤となる教えが必要だった
 *官僚主義のリアリズムだけでは恰好がつかないし
 *社会秩序を維持するには法律だけでなく面的な規範、
 *つまり道徳が人々に備わつていたほうがいい
 *そこで採用されたのがおそらく儒教だった
 ☆孔子や墨子、老子の思想は中国の「主流」にならなかった
 *主流は法家
 *広い国を文書行政で治めようと思った、法律に頼るしかないから

⛳無為自然を説いた荘子

 ☆儒家、法家と並んで重要なのが道家で、「老荘思想」と言われている
 *諸子百家では道家と呼ばれ、その祖が老子
 *荘子も中国戦国時代の思想家で、道家思想を代表する人物の一人
 ☆荘子の中心的な思想は「無為自然」
 *人為的な努力や干渉を排し
 *自然の流れにまかせて生きるとの考
 ☆孟子や荀子が教育や理想の政治について真剣に議論している一方
 *荘子は人生を楽しめと言う
 *荘子の思想が大きな影響力を持つようになったのは
 *彼の死後しばらくしてから
 ☆道教は道家思想に神仙思想や陰陽五行説が結びついて生まれた宗教
 *中国の伝統的な三教(儒教、仏教、道教)のひとつとなる
 *「ムリに背伸びしなくていい、あるがままが一番」の老荘思想
 *現代に至るまで一定の支持を受けている

⛳中国社会のベースにある、儒家、法家、道家の「棲み分け」
 ☆中国の歴史において儒家、法家、道家という3つの主要な思想
 *「対立」しているのではなく「棲み分け」ていると見るべき
 *法家を重視し、法治主義を完成させた始皇帝の考えは「一君万民」
 ☆始皇帝は法治主義ですが
 *「人民の細かいところにまでは立ち入らんでいい」と泳がせておいた
 ☆のちの時代には儒教や仏教が国教化される理由
 *支配者を権威付け、民衆を支配する
 *民衆が自発的に従うようになるには、生き方、死生観に関わる
 *規範を人々に提供してくれるものがあったほうがいい
 *仕事の進め方は法家的なスタイルがやりやすい
 *でも、儒教という価値観があるとなお統治がしやすい
 ☆現代の中国共産党の統治方法
 *広い領土を支配するのに使っているのは法治主義的なシステム
 *巨大な官僚組織で、無神論を標榜する一方
 *人民には「政府に反抗的宗教除けば、どんな宗教を信じてもいい」
 *それが、現代の中国の基本的なスタンスです
 *そして近年では儒教を推奨している
 *ルーツを求めていけば秦の始皇帝が描いた
 *グランドデザインにいきつく
 ☆こう見ると中国社会の構図は基本的には昔から不変
 *儒家、法家、道家の三すくみ、棲み分けが中国のベースす
                     (敬称略)
⛳知識の向上目指し、記事を参考に自分のノートとしてブログに記載
⛳出典内容の共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
⛳投資は、自己責任、自己満足、自己判断で
⛳詳細は、出典原書・記事・番組・画像でご確認ください
⛳出典、『世界は宗教で読み解ける』


『法治(韓非)』『道家(荘子)』『現代の中国の統治』
(ネットより画像引用)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『性善説』『性悪説』『易姓革命論』『天人相関説』

2025年07月30日 | 宗教
🌸中国共産党と儒教の関係3

⛳孟子の性善説と荀子の性悪説
 ☆孔子以降の儒家は、
孟子の性善説と荀子の性悪説
 *中国の戦国時代に登場した二大思想
 ☆孟子は、人間の本性は本来善であると考える
 *人間は生まれながらにして善なる心四つ備えていると考える
 *(思いやりの心)(恥じる心)謙譲の心)(正邪を判断する心)
 *孟子は善なる心を育てれば、人は道徳的に正しい行動をとるとした
 ☆荀子は人間の本性は悪であると考える
 *「人間は生まれながらにして利己的」
 *「欲望に支配されやすい存在だろう」
 *ただ荀子は同時に、人間には学習能力があって
 *教育や訓練によって善行を身につけることができると考えた
 ☆孟子の性善説と荀子の性悪説は完全に対立していない
 *両者ともに人間は教育や修養で
 *道徳的に成長できると考えている
 ☆孟子の性善説は主に上人、知識層や支配層を対象としていた
 *彼らは教育を受け、自ら学ぶ能力を持っていました
 *ゆえに内なる善性を引き出すことが可能だと孟子は考えた
 ☆荀子の性悪説は主に下人、つまり一般民衆を対象としていた
 *彼らは教育を受ける機会が少なく、自発的に学ぶことが難しい
 *不満が溜まつていつたら、いつ暴れるかもわからない
 *外部からの教育や規律によって善行を身につけ
 *あるいは法律で取り締まる必要があると考える

革命を正当化する理論「易姓革命論」
 ☆孟子の易姓革命論の核心は「天命」という概念
 *孟子は「天」(神)がひとりの人格者に国を治める命を下すと考えた
 *王やその子孫が悪政を行い、民衆が苦しむようになると、
 *天は警告を発し、飢饉や洪水といった自然災害のかたちで現れるとした
 *王がこの警告を無視し続けると、天は民衆に命じて反乱を起こさせ
 *王を交代させる、これが「易姓革命」の考え
 *「易姓」とは王の姓が変わること
 *王朝が交代することを意味し、「革命」は天命が改まることを指す
 ☆孟子の易姓革命論
 *為政者が人民の生存権を守れない場合
 *人民には反抗する権利があるとしている
 ☆易姓革命論の評価が大きく高まったのは宋代
 *朱子が儒教の根本的な経典として、
 *『大学』『中庸』『論語』『孟子』を四書として定めたことで
 *孟子の思想が儒教の中核として位置づけられる

⛳孟子の唱えた「天人相関説」を否定した荀子
 ☆「天人相関説」とは
 *天(自然や神)と人間の行為には密接な関係があるという思想が
 *易姓革命論のベースになっている

 ☆荀子はこの考えを否定する
 *流れ星や大嵐みたいな自然現象は単なる自然の出来事
 *人間の行為と何の関係もない
 *雨乞いの儀式をしたあとで雨が降った? そんなん偶然の一致
 *儀式を行わなくても雨は降るときには降るし
 *拝んでも降らへんときは降らへんやないかと
 *当時としては斬新で、合理的な思想です
 ☆荀子の合理主義的な思考
 *「天人相関説」の否定だけでなく
 *人間性に対する見方にも表れている
 ☆荀子の弟子、韓非は合理主義的な考えを発展させ法治主義の基礎を築く
 *もうひとりの弟子である李斯は秦の始皇帝の宰相となり
 *中国初の統一国家である秦帝国の制度設計に貢献した
                     (敬称略)
⛳知識の向上目指し、記事を参考に自分のノートとしてブログに記載
⛳出典内容の共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
⛳投資は、自己責任、自己満足、自己判断で
⛳詳細は、出典原書・記事・番組・画像でご確認ください
⛳出典、『世界は宗教で読み解ける』




『性善説』『性悪説』『易姓革命論』『天人相関説』
(ネットより画像引用)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『墨家』『法家』『諸子百家』『陰陽五行説』『焚書坑儒』

2025年07月29日 | 宗教
🌸中国共産党と儒教の関係2

⛳孔子を批判した墨子の「兼愛」「非攻」「節葬」

 ☆孔子の死後、春秋時代は終わりを迎え、戦国時代が始まる
 *春秋時代には春秋五覇と呼ばれる5人の君主
 *交代で小国家群の秩序を取り仕切る
 *鉄器時代が本格的に始まって生産力が高まる
 *有力な国はますます大きくなり、小さい国は大国に呑まれて消える
 ☆墨子は孔子の死後約70年経って生まれた
 *春秋時代末期から戦国時代初期にかけて活躍した思想家
 *墨子は孔子の教えを学びましたがその思想に疑問を感じ
 *独自の考えを展開していく
 *孔子は現状肯定的で経済成長バンザイだと言いましたが
 *墨子は現状否定的で、墨子の発想は孔子とは対極的
 *墨子は、すべての人に対して平等な愛を説く
 *身内重視や身分の貴賤を重んじるのはやめよう
 *墨子の「非攻」の思想は、戦乱の時代にあって画期的なものだった
 *孔子の教えに基づく豪華な葬儀や長期の服喪も批判する
 ☆「諸子百家」
 *孔子や墨子が生きた時代にはほかにも多くの思想家が登場
 *それぞれの教えを説き、「諸子百家」と呼ばれた

諸子百家の全盛期
 ☆諸子百家の全盛期は中国の戦国時代
 *「諸子」つまり多くの思想家たちと
 *「百家」すなわち数多くの学派を意味する
 ☆中国はヨーロッパよりもずっと巨大なので
 *戦国七雄のなかには、いまのドイツやフランスより大きい国もあった
 ☆地理的に巨大な領地となると
 *人づてに伝言していくのでは、正確性に不安が残る
 *君主は漢字が書ける書記の存在を使うことにした
 *諸国に雇われていた金文職人の子孫たち
 *その後は、各国で神様を祀る祭文や、君主の願文を書く祭祀官になる
 ☆君主は自らの命令を書記に伝達し
 *それを木簡や竹簡に筆記させ、それを地方に持って行かせて
 *読ませようと考案した
 *祭祀官が、官僚に転じ世界初の文書行政の始まり
 ☆仕事内容に不満で辞職した祭祀官たち
 *持ち前の頭脳を活かして金持ちの補佐、指南役・家庭教師になったり
 *知識・学問を活かして自らの考えを示したりする
 *この人たちこそが諸子百家です
 ☆各国の君主たちのなかにも
 *自国の繁栄と他国への優位性を確立するために
 *思想家を登用するケースが出てくる

諸子百家で、有名なのは儒家、道家、墨家、法家
 ☆この時代には、陰陽五行説も発展する
 *陰陽五行説は、世界を陰と陽のふたつの力の相互作用として捉え
 *木・火・土・金・水の5つの要素(五行)の循環によって
 *万物の変化を説明しようとする思想
 *この考え方、のちの中国の思想や文化に大きな影響を与えた
 ☆諸子百家の時代には
 *首都に各地から学者が集まり活発な議論が行われた
 *荀子、墨家の後継者たちも稜門で学んだ
 ☆思想の百花僚乱の時代は、秦による中国統一で終わる
 *秦の始皇帝は法家思想を採用し、他の学派を弾圧した
 ☆「焚書坑儒」と呼ばれる事件
 *儒教をはじめとする諸子百家の書物が焼かれ、学者たちが迫害された
 ☆特に墨家が叩かれた理由
 *現代政治にたとえるならば、儒家は自民党
 *墨家はドイツの緑の党みたいなもの
 *墨家の原則は(非)武装中立、専守防衛です
 *日本の戦後民主主義、左派的な感じもする
 *墨家は、戦国時代には七雄からおさえつけられている
 *墨家は秘密教団のようになっていく
 *その総仕上げが、始皇帝の焚書坑儒
 ☆史上まれにみる有能な政治家始皇帝が政策を進めていくにに
 *「こいつらは消したほうがええ」と考えるくらい
 *始皇帝、有害無益、危険に思えたものを狙って消した
                     (敬称略)
⛳知識の向上目指し、記事を参考に自分のノートとしてブログに記載
⛳出典内容の共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
⛳投資は、自己責任、自己満足、自己判断で
⛳詳細は、出典原書・記事・番組・画像でご確認ください
⛳出典、『世界は宗教で読み解ける』





『墨家』『法家』『諸子百家』『陰陽五行説』『焚書坑儒』
(ネットより画像引用)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『中国は儒教国家』『共産主義と儒教』

2025年07月28日 | 宗教
🌸中国共産党と儒教の関係1

⛳中国は建前の共産主義、裏の儒教
 ☆儒教は、孔子によって創始された思想体系
 *儒教はマルクス主義的な「無神論」を標榜する
 ☆儒教は、中国共産党の関係は相反するものに見える
 *しかし中国共産党は統治に儒教の要素を取り入れている
 ☆共産主義イデオロギー
 *無神を基本としているので
 *宗教や伝統的な価値観を否定する傾向にある
 ☆文化大革命では、儒教は批判の対象となる
 *儒教以外にも宗教に対する厳しい弾圧が行われた
 *この時期に多くの寺院や教会が破壊され
 *僧侶や聖職者が迫害された
 *改革開放政策のなかで、中国共産党の姿勢は徐々に変化する
 ☆「中国共産党の宗教問題についての基本的見解」
 *信仰の自由を保障する方針が示されている
 *宗教は政府が認可した団体を通じた活動が許されている
 *ローマ教会の場合、バチカンではなく
 *中国カトリック愛国会が管理する「中国天主教会」が公認団体
 ☆政府の認可を受けていない宗教団体
 *チベット仏教のダライ・ラマー4世を支持する人
 *新興宗教などに対しては規制や弾圧が続いている
 ☆中国共産党は儒教には比較的寛容
 *信者の数が多いのは5宗教以外の宗教です
 *即ち、古くからある民間宗教の信者の人が多い
 *このあたりの民間信仰は、社会秩序を乱さないかぎりは
 *「中国の伝統文化」などといつて中国共産党は放置している
 ☆中国共産党が言う「無神論」「社会主義」はタテマエ
 *中国は中国共産党という名のエリートたちが実権を握っている
 *エリートは、共産主義など信じていません
 *市場経済を積極的に導入し成長できた国家です

中国は、何故儒教は取り入れているのか
 ☆中国共産党は儒教を「宗教」でなく「哲学」や「倫理体系」で扱い
 *急速な経済発展に伴う社会の変化や価値観の多様化に
 *対応するために使ってきた
 *儒教の価値観を社会主義思想と融合した「儒教社会主義」が
 *支配に都合のいい価値観だったからです
 ☆儒教がなぜ支配に都合がいい理由
 *古典の読書会や私塾の増加などがあり
 *北京や上海の書店ではマルクスやレーニンの著作よりも
 *儒教の古典や経済書が目立っています
 ☆現代中国は、表向きは共産主義
 *その実態は儒教的な価値観が残る
 *「建前の共産主義、裏の儒教」と言える
 ☆儒教は祖先崇拝的な面があるものの
 *キリスト教やイスラームのような「宗教」ではない
 *道教にしても、民間信仰になっている一方で、老子や荘子の
 *むしろ「生き方」を説いたものとして長年受容されてきた

⛳孔子やが生きた動乱の時代
 ☆中国での重要な思想で真っ先に挙がるのは儒教
 *孔子は、それぞれの身分の人々が心豊かに生き
 *社会の秩序を保つための生活規範である「礼」や
 *慈しみの心である「仁」を重視した
 *両親やご先祖様を大切にできればいい
 *現世肯定、高度成長礼賛の考え方
 *孔子の死後、彼の思想は次第に影響力を持つようになります
 *弟子たちによって編纂された『論語』が
 *孔子の言行録として広く読まれていく
 ☆漢の武帝の董仲舒(とうちゅうじょ)とその学派天人相関論を唱える
 *天人相関論とは、人間の身体は天の全体を備えた小宇宙で
 *人間と天とは不可分である
 *天子が善政を行えば天も認め
 *天子がおろかなら災いが起こるという理屈です
 *天子(君主)の支配を天に支持されたものとして
 *正当化するロジックを打ち出す
 ☆東漢の大学者・鄭玄が五経(詩・書・礼・易・春秋)の注釈を行い
 *体系化し、孔子の神格化を推し進めたことも歴史的に見て重要
 *宗教的儀礼を備え、君主の称号も儒教に基づいて定められた
 *「儒教の国教化」の完成は東漢の頃
                     (敬称略)
⛳知識の向上目指し、記事を参考に自分のノートとしてブログに記載
⛳出典内容の共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
⛳投資は、自己責任、自己満足、自己判断で
⛳詳細は、出典原書・記事・番組・画像でご確認ください
⛳出典、『世界は宗教で読み解ける』






『中国は儒教国家』『共産主義と儒教』
(ネットより画像引用)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『東南アジア』『神仏習合』『廃仏毀釈』『三条教則』『皇道仏教』

2025年07月27日 | 宗教
🌸東南アジアにおける社会運動と仏教の関係4

⛳東南アジアに広まった上座部仏教
 ☆仏教がインドからアジアに伝播したルートは三波ある
 ①大乗仏教がパンジャブ地方からシルクロードを通って中国へ
 ➁密教がまっすぐ北上してチベットヘ
 ③海を経由した
 *古代からインドと東南アジアとのあいだ
 *道が通じなかったので海のルートが登場した
 ☆現在のミャンマーに存在した王朝バガン朝
 *初代王アノーヤターは、モン族の都タトンを征服し
 *上座部仏教をバガンに導入し、国教として採用された
 *大乗仏教や密教的要素が強かった仏教から
 *上座部仏教への転換が始まり、スリランカから僧侶が招かれた
 ☆バガン王朝の影響は海路を通して周辺の東南アジア諸地域にも及ぶ
 *13世紀にはタイ、カンボジアやラオスにも広がっていく
 *こうして東南アジアには上座部仏教という
 *古い仏教が、いちばん新しく伝わり、現在に至っている

⛳上座部仏教の特徴
 ☆パーリ語で書かれた経典(パーリ語三蔵)を重視する
 ☆上座部仏教では出家者と在家者の役割、明確に区別する
 *僧侶は厳格な戒律を守り、瞑想や経典の学習に専念する
 *在家者は僧侶を物質的に支援し、功徳を積むことで
 *来世でのより良い生まれをめざす
 ☆上座部仏教の寺院は教育の場としても機能し
 *多くの若者が読み書きを学び
 *地域社会の中心となって行事や儀式の場としても用いられた
 ☆19世紀から20世紀にかけて
 *東南アジアの多くの国々が西洋諸国の植民地支配を受けたが
 *この時期には上座部仏教は民族のアイデンテイテイを保つ要素となる
 ☆タイでは上座部仏教が国家統合のシンボルとして機能し
 *独立を維持する上で重要な役割を果たした

⛳日本の仏教と神仏習合(
日本の仏教史)
 ☆538年に朝鮮半島の百済から仏教が伝来した
 *仏教の伝来は「宗教の導入」以上の意味を持っていた
 *寺院建築、仏像制作、経典の書写など
 *当時の最先端の技術や文化がセットで日本に入ってきた
 *7世紀に入ると、法隆寺など多くの寺院を建立する
 ☆奈良時代、仏教は国家の保護を受けた
 *国分寺。国分尼寺の建立や東大寺の大仏造立など
 *国家仏教の最盛期を迎える
 ☆平安時代、最澄と空海とが中国から新しい仏教の教えを持ち帰える
 *ふたりはそれまでの奈良仏教とは異なる新しい教えを説き
 *最澄は天台宗を、空海は真言宗を開く
 *この時代には「本地垂述説」という考え方も広まる
 *仏教と神道の融合が進み、「神仏習合」と呼ばれる状態につながる
 *多くの神社に寺院が併設され、神官寺と呼ばれる
 ☆鎌倉時代
 *法然の浄土宗、親鸞の浄土真宗、 一遍の時宗、日蓮の日蓮宗
 *栄西の臨済宗、道元の曹洞宗などが登場する
 *鎌倉時代には神仏習合がさらに進んで
 *神社と寺院の区別が曖味になっていく
 *多くの神社で仏像が祀られ、寺院でも神道の要素が取り入れられた
 *日本はずっと神仏習合で、しかも仏教のほうが強い立場にあった
 ☆室町時代から戦国時代にかけては
 *一向一揆に見られるように浄土真宗が民衆のあいだに広く普及
 *時に政治的な力を持つようになる
 *室町時代から江戸時代にかけては多くの人々、神仏両方を信仰し
 *神社と寺院を区別せずに参拝した
 ☆江戸時代には幕府は仏教を利用して人々を統制した
 *檀家制度を含む寺請制度が導入された
 *すべての人々が寺院に所属することが義務付けられた
 *江戸時代後期、国学の台頭とともに神道復古の動きが起こる
 *日本固有の神道を重視し、仏教の影響を排除する思想
 ☆明治時代、明治新政府は神道を国教化する政策を取る
 *「廃仏毀釈」と呼ばれる運動が起こる
 *仏教を排斥し神道を重視する動きのなかで
 *多くの寺院や仏像が破壊された
 *長く続いた「神仏習合」は否定され
 *それまでお寺だった場所が神社にされるなど
 *仏教の影響を表向き消し去る動きが各地で発生する
 ☆明治政府が発布した三条教則
 *神道を中心とした国家神道の確立をめざすものでした
 *島地黙雷は「三条教則批判建自書」を起草し
 *仏教の立場から異議を唱える

⛳大日本帝国憲法では、信教の自由が明文化されている
 ☆廃仏毀釈のショックは仏教教団に危機意識を醸成した
 *日本の仏教教団は政治との関わりを深めていく
 ☆浄土真宗本願寺派は第一次世界大戦が勃発すると
 *戦没者の追悼法要を営んで慰問金の募集を行い
 *満洲事変が起こった際には、軍隊や居留民の慰間を指示している
 ☆真宗大谷派も満洲国建国直後各地で寺院を建立し
 *日本語教育を行うなど、植民地政策に協力した
 ☆日中戦争が始まると、仏教教団は「銃後の守り」として
 *追悼法要や献金、慰間品の送付、講演会の開催などを行い
 *婦人会のメンバーが傷病兵を慰問し
 *戦死者の遺骨を迎えて読経や焼香を行う
 ☆真言宗高野山の土宜法龍は、戦争を正当化した
 *戦争に対して、反戦的な仏教者は少数派であった
 *真宗大谷派の竹中彰元は「戦争は罪悪である」と発言し
 *陸軍刑法によって有罪判決を受け
 *大谷派から法要座次を最下位に落とす処分を受けている
 ☆仏教の教えと天皇崇拝を結びつける「皇道仏教」化が加速する
 *阿弥陀仏と天皇を重ね合わせた解釈を説いていく
 *戦争末期には仏教教団が「一億特攻」を呼びかける
 *浄土真宗は中世の一向一揆を想起しながら
 *「殉教の血」を呼び起こすことを訴えていく
 ☆敗戦を迎えると、
教団は神棚を片付けて平和主義への転換を図る
 *しかし戦時中の協力姿勢への本格的な反省と謝罪は長い時間を要した

⛳日本人の多くの考えてもらいたいこと
 ☆東南アジアの仏教ナショナリズムや政界へ深く関わる高僧を見ると
 *「仏教徒が俗世の政治に関わるなんて」
 *「仏教には不殺の教えがあるのに」などと思いがち
 ☆近代日本でも仏教思想が
 *仏教教団はほかの宗教勢力や政権、軍との緊張関係もあるなかで
 *自らの生き残りをかけて深く政治に関わってきた
 *現代の世界の宗教と政治、社会の関係を捉えるためにも
 *私たちはその歴史を忘れてはいけない
                     (敬称略)
⛳知識の向上目指し、記事を参考に自分のノートとしてブログに記載
⛳出典内容の共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
⛳投資は、自己責任、自己満足、自己判断で
⛳詳細は、出典原書・記事・番組・画像でご確認ください
⛳出典、『世界は宗教で読み解ける』





『東南アジア』『神仏習合』『廃仏毀釈』『三条教則』『皇道仏教』
(ネットより画像引用)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『中国での仏教の普及』『三武一宗の法難』

2025年07月25日 | 宗教
🌸東南アジアにおける社会運動と仏教の関係2

⛳大乗仏教の主要な4つの経典
 ☆大乗仏教の発展で、主要な4つの経典系統が重要な役割を果たした
 ①般若系の経典(空)
 *般若とは「智慧」を意味する
 *大乗仏教の核心的な教えである「空」の思想を凝縮して表現している
 *「色即是空、空即是色」
 *形あるものは空であり、空こそが形あるものである有名な一節
 ➁華厳系(けごん)の経典(宇宙)
 *華厳経は宇宙の真理を究めることをめざす壮大な経典
 *鎮護国家(国家を守護すること)についても論じている
 *相互に関連し合い、調和している宇宙の姿を描き出している
 ③浄土系の経典(浄土)
 *この系統には3つの経典があり、「浄土三部経」と呼ばれる
 *これらの経典は、阿弥陀仏の浄土への往生を説いている
 *「南無阿弥陀仏」と唱えることで救われるという教え
 *多くの人々に受け入れられ
 *日本では浄土宗や浄土真宗といや言動を集めた
 ④法華系の経典(平等)
 *すべての人が平等に仏になれるという思想を説いている
 *この経典は理想主義的で平等思想が強く
 *日本では、鎌倉時代に日蓮が法華経を中心とした教えを広め
 *日蓮宗という新しい宗派を創始した
 ☆大乗仏教のこれらの経典は、無名の人々によって大量に創作された
 *仏教の教典は旧約聖書や新約聖書、クルアーンと比べると
 *とんでもない物量がある
 *しかも系統ごとに言っている内容も伝え方もかなり違う

鳩摩羅什と玄奘による中国仏教の伝来
 ☆中国仏教史で、鳩摩羅什と玄奘の貢献は非常に大きなもの
 *彼らは異なる時代に活躍し
 *それぞれ独自の方法で仏教経典の翻訳と伝播に尽力した
 ☆鳩摩羅什は、若くして仏教を学び、すぐれた語学力を身につけた
 *彼は、多くの経典の漢訳に取り組む
 *鳩摩羅什の訳出した経典は中国だけでなく
 *日本を含む東アジア全域で広く読まれた
 ☆玄奘(げんじょう )は、唐の国禁を破って西域に旅立つ
 *インドのナーランダ大学で仏教を学び
 *玄奘の翻訳は「新訳」と呼ばれ、鳩摩羅什の「旧訳」と対比される
 *玄奘の最大の功績のひとつは『大唐西域記』
 *彼の旅の物語は後に『西遊記』という小説の素材となる
 *『西遊記』のなかで玄奘は「三蔵法師」として登場する
 ☆『西遊記』には道教の要素や中国の民間信仰
 *占星術や呪術的な要素も混ざっている
 *中国の宗教観がそういうものだった

⛳中国における仏教の保護と弾圧の歴史
 ☆仏教の歴史は、保護と弾圧の表裏一体の関係にあった
 ①インドの皇帝アショーカ王は、仏教に帰依し国家的に保護した
 *仏教は大きく発展した
 *アショーカ王は仏教の教えに基づいて統治を行い
 *平和主義的な政策を推し進めた
 *仏教はインドから周辺地域へと広がっていく
 ➁中国では、北魏をはじめとする北朝の諸王朝が仏教を保護した
 *これらの王朝は遊牧民族出身で
 *漢民族とは異なる文化背景を持っていた
 *彼らは仏教を通じて自らの統治の正当性を主張しょうとした
 ③北魏が華北統一を達成するのは、太武帝の時代
 *彼は道教(老荘思想)を組織した寇謙之の教えを受け、仏教を迫害
 (仏教に対して4回行われた大弾圧の最初)
 ④太武帝の後に即位した文成帝は、逆に仏教を保護する
 *彼は高僧から皇帝は『如来』、 つまり仏です
 *官僚や軍人は人々を救う『菩薩』です
 *そして人民は救いを待つ『衆生』(大衆)ですという
 *国家仏教の教えを受ける
 *中国史上唯一の女帝則天武后が全国に大雲経寺をつくらせてもいる
 *それまで中国で重視されてきた儒教は女性蔑視的な価値観が色濃いもの
 *それに代わる宗教的なイデオロギーを探していた武則天
 *龍門の石窟に彫られた毘慮遮那仏は武則天をモデルにした
 *日本の奈良の大仏や国分寺は、武則天の仏教政策のマネです
 ⑤北周の武帝による廃仏、唐の武宗による会昌の法難など
 *何度も大規模な仏教弾圧が行われている
 *弾圧は「三武一宗の法難」として知られている
 *唐の武宗は「唐の王室は老子の子孫だ」と喧伝して道教を保護し
 *ほかの宗教には厳しい時代になった
 *基本的には唐は世界帝国として、他の宗教にも寛容な時代が長い
 *でも中唐から晩唐にかけて衰えゆくなかで、排他的になっていく
 *仏教のみならず、すべての外来宗教が弾圧された
 ⑥チベットにあった国トウプトでも仏教を弾圧する君主が登場
 *その混乱から国が分裂して滅びていまう

⛳ 「三武一宗の法難」
 ☆北魏の大武帝、北周の武帝、唐の武宗、後周の世宗の4回の大弾圧
 *廃仏の目的は、みな財産の没収と僧尼の還俗が中心です
 *仏教寺院の経済力の増大
 *僧侶の増加による税収の減少などが背景にあった
 ☆為政者は仏教を
 *自らの統治の正当化や国家の安泰のために利用しようとする一方で
 *仏教勢力の社会への影響力をきらって弾圧を加えることもあった
                     (敬称略)
⛳知識の向上目指し、記事を参考に自分のノートとしてブログに記載
⛳出典内容の共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
⛳投資は、自己責任、自己満足、自己判断で
⛳詳細は、出典原書・記事・番組・画像でご確認ください
⛳出典、『世界は宗教で読み解ける』




『中国での仏教の普及』『三武一宗の法難』
(ネットより画像引用)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『僧侶の政治活動』「輪廻転生からの解脱」『仏教分裂』『菩薩』

2025年07月24日 | 宗教
🌸東南アジアにおける社会運動と仏教の関係1

⛳政治的主張をするミャンマーやタイの僧侶
 ☆ミャンマーやタイでは仏教が社会に深く根付き
 *僧侶が人々の精神的な支柱となっている
 *一部の僧侶たちが政治的な主張を行う
 ☆ミャンマーでは軍事クーデターが発生し国軍が全権を掌握
 *アウン・サン・スー・チー国家顧問やウイン・ミン大統領を拘束した
 ☆国内外の仏教僧侶たちが、反軍政デモを支持する動きを見せた
 *平和的な抗議活動を通じて民主主義の回復と人権の尊重を訴えている
 *ミャンマー、仏教的な価値観が生活に関わり政治とのつながりも強い
 ☆多くの人々が来世でより良い生を得るために
 *今生を生きていると考え、そういう死生観の根幹を司る存在として
 *仏僧の権威が非常に高くなっている
 ☆一方「仏教ナショナリズム」と呼ばれる思想も存在し
 *少数民族や他宗教に対する反感の源となっている
 *とくにロヒンギャ問題に関しては、その側面が
 *欧米メディアでは十分に取り扱われていないという指摘もされている
 ☆ミャンマーにおける仏教と政治の関係は複雑
 *単純に「民主化を求める僧侶たち」という図式では捉えきれない
 *歴史的・文化的背景があry
 ☆今後のミャンマーの政治情勢を理解する上で
 *宗教と政治の密接な関係性は重要な視点となる
 *歴史的に見ると、仏教僧侶が政治や社会変革に関与した例は多い

 ☆20世紀のベトナム戦争時には多くの僧侶が反戦運動を展開し
 *世界的な注目を集めました
 *禅僧であるティク・ナット・ハンは
 *のちの「マインドフルネス」に多大な影響を与えた

⛳輪廻転生からの解脱を説いたブッグとマハーヴィーラ

 ☆ブッダとマハーヴィーラは同時代に生まれ、似たような境遇で育つ
 *ブッダは、ネパール南部シャカ族の王子として生まれ、29歳で出家した
 *マハーヴィーラは、 マガダ国の豪族の子として生まれ、30歳で出家した
 ☆2人が説いた教えの中心にあったのは「輪廻転生からの解脱」
 *生きとし生けるものが死後も永遠に生まれ変わり続けるという思想
 *この考えはインドの伝統的な宗教観に根ざしたものです
 ☆ブッダとマハーヴイーラ
 *「永遠に続く生と死のくりかえしこそが、苦しみの根源や」と考えた
 *ブッダは「人生には必ず苦しみが伴う」と説きました
 *生まれること、老いること、病むこと、死ぬことという
 *「四苦」を挙げ、これらの苦しみから逃れられない人生が
 *永遠にくりかえされることのしんどさを指摘します
 *この苦しみの輪から抜け出す方法として「解脱」を提唱しました
 *極端な苦行や快楽を追求するのではなく
 *その中間の道を歩むべきだ、その先に「解脱」があるとした
 ☆マハーヴィーラは、ジャイナ教という宗教を創始した
 *バラモン教の秘教主義と動物を犠牲にする供犠・祭祀、
 *ジャイナ教は、バラモン階級の特権化を否定した
 *より厳格な不殺生の教えを説いた
 *ジャイナ教は主にインド国内で発展し、約550万人の信者がいる

⛳仏教教団の分裂
 ☆ブッダの死後、BC3世紀頃に仏教教団の分裂は始まった
 *分裂の背景には教義の解釈の違いや
 *僧団の運営方法をめぐる意見の相違があった
 ☆宗祖の説教一方で、大衆部の流れを汲む大乗仏教が発達した
 *中国、日本、韓国など東アジアを中心に広まる
 *大乗仏教の特徴のひとつは「菩薩」という概念を重視した
 *菩薩は自らの悟りを後回しにし、でも他の人々を救おうとする存在
 *初期仏教では個人の解脱が重視されていたが
 *むしろより多くの人々の救済をめざそうと考えた
 ☆大乗仏教は紀元前後からAD5世紀にかけて多くの経典を作る
 *般若経、法華経、浄土三部経
 *これらの経典はブッダの直接の言葉ではないが
 *ブツダの教えを新たに解釈したもの
 ☆伝統的な教えを重視する上座部仏教の信奉者たちは
 *大乗仏教を「大乗非仏教」として批判した
 *彼らは「大乗経典はブッダの直接の教えではない」と言って
 *その正当性に疑問を投げかけた
 ☆大乗仏教側は上座部仏教の教えが限定的であると批判した
 ☆仏教教団の分裂後も、多様化は進んでいく
 *6世紀7世紀にかけて発展した密教
 *大乗仏教の流れを汲みつつ、独自の儀式や思想を生み出した
 *禅宗や浄土宗などは日本にも伝わり、かたちを変えて根付いていく
                     (敬称略)
⛳知識の向上目指し、記事を参考に自分のノートとしてブログに記載
⛳出典内容の共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
⛳投資は、自己責任、自己満足、自己判断で
⛳詳細は、出典原書・記事・番組・画像でご確認ください
⛳出典、『世界は宗教で読み解ける』

                (ミャンマーの僧侶の政治デモ)

『僧侶の政治活動』「輪廻転生からの解脱」『仏教分裂』『菩薩』
(ネットより画像引用)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『バクテイ運動』『ムガル帝国』『インドとパキスタンの分離独立』

2025年07月23日 | 宗教
🌸ヒンドゥー・ナショナリズムとムスリムの緊張関係3

13世紀から現代までのインドの宗教
 ☆13世紀のインドではヒンドウー教が主要な宗教だった
 *その時期、イスラーム教の影響力が急速に拡大した
 *イスラーム教は政治的な力を持つようになり
 *多くのヒンドウー教徒が改宗している
 ☆ヒンドウー教も変容を遂げた
 *バクテイ運動という新しい信仰形態が広まる
 *バクテイ運動はヒンドウー教の神に絶対的に帰依することで
 *解脱をはかる運動です
 *ヒンドウーやイスラームの儀式や虚飾を否定し、  
 *「毎日毎日、一日中シヴア神を信仰すれば救われる」
 *わかりやすい教えが民衆にうけた
 *バクテイ運動はカースト制度の厳格さをやわらげる役割を果たした

⛳16世紀、イスラーム国家ムガル帝国の時代が始まる
 ☆アフガニスタンから侵攻したバーブルがデリーに建国したイスラム国
 *イスラーム教の影響力が強まるが
 *帝国支配下のインドではムスリムは少数派
 *ヒンドウー教徒やジャイナ教徒など多様な宗派の信徒が存在していた
 *ムガル帝国下では、宗教的寛容政策が取られた
 ☆17世紀から18世紀、ヒンドウー教の復興運動が起こる
 *ヒンドウー・ナショナリズムの台頭が
 *政治、社会、経済、軍事に影響を及ぼす
 ☆20世紀、インド独立運動のなかで、宗教が重要な役割を果した
 *ガンデイーは、ヒンドウー教の非暴力の教えを
 *政治運動に取り入れ独立運動を主導した
 ☆独立直前の1947年には宗教的対立が激化
 *インドとパキスタンの分離独立という悲劇的な結果を招ねく
                     (敬称略)
⛳知識の向上目指し、記事を参考に自分のノートとしてブログに記載
⛳出典内容の共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
⛳投資は、自己責任、自己満足、自己判断で
⛳詳細は、出典原書・記事・番組・画像でご確認ください
⛳出典、『世界は宗教で読み解ける』
                          (バクテイ運動)


                        (ムガル帝国)

『バクテイ運動』『ムガル帝国』『インドとパキスタンの分離独立』
(ネットより画像引用)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『ヒンドウー』『仏教(密教・大乗)』『イスラム』

2025年07月22日 | 宗教
🌸ヒンドゥー・ナショナリズムとムスリムの緊張関係3

⛳仏教に対抗して生まれた大衆的なヒンドゥー教
 ☆大衆的なヒンドウー教への変化はBC6世紀頃から始まる
 ☆ヒンドウー教の特徴のひとつは、多様な神々の崇拝
 *バラモン教の複雑な儀式や哲学的な教えに代わって
 *身近な神々への信仰が重視されるようになる
 ☆ヒンドゥー教で、重要なのがヴイシュヌ神とシヴア神
 *ヴェーダ以来、ブラフマン、シヴァ、ヴィシュヌ
 *三大神格として崇敬されてきた
 *ブラフマンは世界の創造や根本原理をあらわす抽象的な
 *神格だったので、民衆の支持が薄れていきく
 *わかりやすい人格神だったヴィシュヌとシヴァの二神が人気を集めた
 *これらの神々は、それぞれ保護と破壊を象徴し
 *人々の日常生活により密接に関わる存在として崇拝された
 ☆仏教とヒンドウー教はライバル関係にあった
 *まったく関係のない別物というわけではなく
 *影響関係も信仰も錯綜している
 ☆日本の「七福神」のうち、大黒天はシヴァから派生した神格
 *「ブッダはヴィシュヌの化身」
 *ヒンドウー教は「アヴァターラ」(化身)の概念を発展させた
 *これは神がさまざまな姿で地上に現れるという考え方です

⛳バラモンからヒンドウーヘの転換
 ☆「バラモン教の代表的な神であるシヴァやヴィシュヌ」を
 *拝めば救われるよとした
 *土俗の神様を素朴な像にして祈っていた人たちに対して
 *その風習を取り入れて農村地帯からの支持を得た
 ☆仏教は「殺生禁止」はわかりやすいものの
 *「涅槃」や「悟り」といった教義の本質は難しい
 *仏教は、親しみやすいヒンドウー教に押されて都市部でも支持を失う

⛳危機感を抱いた仏教側の過激な人々
 ☆自己解脱を中心におく旧来の仏教(上座部)を
 *小さな乗り物と批判して
 *自分たちを「大乗」(大きな乗り物)と新たな布教手段を採用
 *彼らは浄土二部経や法華経といった大乗経典を創作
 ☆そこで説かれる「阿弥陀仏を拝めばそれでええ」という教え
 *シヴァ信仰やヴィシュヌ信仰のマネだった
 *観音菩薩が千手観音や馬頭観音へ変化する点にも
 *ヴイシュヌ神の影響が見られる
 *仏教は本来、偶像崇拝禁上の教えであった
 *しかし、お経や修行があって難しい仏教は
 *信者の「数」ではもはや対抗できない
 ☆仏教サイドは発想を逆転させ、教えを難解にして
 *知恵や富を持つ人たちを惹きつける宗教になろうとした
 *こうして「秘密の教えをこっそり教える」という「密教」が登場
 ☆6世紀頃、ヒンドウー教の寺院建築がさかんになった
 *これらの寺院は神々を祀る場所であると同時に
 *芸術や文化の中心地としても機能した
 *ヒンドウー教の哲学的基盤を強化した
 *ヒンドウー教は徐々に仏教に取って代わっていいく
 *仏教の影響力は次第に弱まっていく
 ☆ヒンドウー教は東南アジアにも広まり
 *カンボジアのアンコール・ワットのような壮大な寺院建築を生み出す
 *ヒンドウー教の寺院とアンコール・ワットは建築されたが
 *16世紀後半になって仏教寺院に改修された

⛳ヒンドウー教、仏教双方にとって大きな変化が訪れる
 ☆12世紀から13世紀イスラーム勢力のインド侵攻が本格化する
 *多くの仏教寺院、ヒンドウー寺院が破壊された
 *とくに富を貯め込んでいた仏教寺院がターグットとされた
 *徹底的に略奪が行われた
 *これは既に衰退傾向にあった仏教の存続をさらに困難にした
 ☆庶民が集まるヒンドウー教のちっぽけな寺院は数も多く
 *地域に根ざしていたがゆえに、
 *さまざまなかたちで存続の道を見出していく
                     (敬称略)
⛳知識の向上目指し、記事を参考に自分のノートとしてブログに記載
⛳出典内容の共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
⛳投資は、自己責任、自己満足、自己判断で
⛳詳細は、出典原書・記事・番組・画像でご確認ください
⛳出典、『世界は宗教で読み解ける』



『ヒンドウー』『仏教(密教・大乗)』『イスラム』
(ネットより画像引用)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『アーリア人とバラモン教』『仏教の誕生』『ヒンドウー教』

2025年07月21日 | 宗教
🌸ヒンドゥー・ナショナリズムとムスリムの緊張関係2

⛳アーリア人のインド定住とバラモン教
 ☆アーリア人のインド定住とバラモン教の発展
 *インド亜大陸の歴史と文化に深い影響を与えた
 ☆アーリア人は中央アジアの草原地帯を起源とする遊牧民族
 *すぐれた馬術と青銅器の技術を持っていた
 *彼らはBCl500年頃からインド北西部に侵入し始め
 *徐々に東へと移動していく
 ☆アーリア人がインドに持ち込んだヴエーダと呼ばれる聖典群
 *ヴェーダは4つから成り、アーリア人の宗教観や世界観を反映している
 *アーリア人は自然神的な多神教を信仰していた
 (インドラ(雷神)、アグニ(火の神)、ゾァルナ(秩序の神)等)
 *神々への祭祀を行うのが、バラモンと呼ばれる司祭階級
 ☆アーリア人の社会は、次第に4つのヴアルナに分かれている
 *①バラモン(司祭階級)➁クシヤトリヤ(支配者階級)
 *③ヴァイシャ(商工業者階級)④シュードラ(隷属民階級)
 ☆カースト制度は職業の世襲制と結びついる
 *インド社会に大きな影響を与え
 *現代にまで続く社会問題の源である

⛳ウパニシャッドと呼ばれる哲学書が編纂された(BC5世紀頃)
 ☆ウパニシャッドは、個人の魂と宇宙の本質の一致を説く
 *「梵我一如」の思想を展開し
 *バラモン教の思想をより深化させた
 *ウパニシャッド哲学やヴェーダーンタ哲学など
 *後世のインド思想の多くがバラモン教の概念を基礎とする
 ☆バラモン教が支配的であった時代も終わりを迎える
 *バラモン教の儀式では神々への供犠が重要な位置を占め
 *とくに牛を神様に捧げることが頻繁に行われていた
 ☆仏教を説いたBC4世紀前後の状況
 *インドのガンジス川流域で農業の生産性が飛躍的に高まっていた
 *「牛」に鉄製の率を引かせ、田畑を耕す方法が開発された
 *バラモン僧は「神様が牛を望んでいる」と言って、牛を取り立てる
 ☆ブッダと言う思想家が現れ、バラモン教に対抗する
 *宗教や哲学を提唱した際に、影響力を持ち得た
 *ゴータマ・シッダールタはカースト制を否定
 *すべての人に平等に「解脱」の道があると説いた

⛳仏教やジャイナ教は都市部の商人層に支持された
 ☆現世的な利益もあって仏教とジャイナ教
 *都市部の信者を急速に増やしていく
 ☆バラモンたちは農村部に活動の場を移す
 *土着の信仰と融合し、大衆的なヒンドウー教へと発展する
 ☆バラモン教の教えはややこしく
 *知識階級が多い都市部では理解してもらえたものの
 *字の読み書きができない農民相手にはなかなか伝わらなかった
 ☆バラモン僧たちは考えを改めた
 *教えをわかりやすく、シンプルにした
 *バラモン教も戦略を変え、だんだん牛を殺すことを止めていく
 *土着化することで、覇権の喪失を食いとめようとした
 ☆バラモン教の伝統を継承しながら発展してきた在来の信仰体系は
 *イスラーム勢力によって「ヒンドウー教」と他称される
 ☆ヒンドウー教
 *バラモン教の伝統を受け継ぎつつ
 *仏教やジャイナ教の影響も取り入れ
 *より柔軟で包括的な宗教に変化していく
                     (敬称略)
⛳知識の向上目指し、記事を参考に自分のノートとしてブログに記載
⛳出典内容の共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
⛳投資は、自己責任、自己満足、自己判断で
⛳詳細は、出典原書・記事・番組・画像でご確認ください
⛳出典、『世界は宗教で読み解ける』






                 (ジャイナ教の開祖)
『アーリア人とバラモン教』『仏教の誕生』『ヒンドウー教』
(『世界は宗教で読み解ける』ネットより画像引用)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『ヒンズー教』『イスラム教』『東インド会社』『インド・パキスタン分離』

2025年07月20日 | 宗教
🌸インドでのヒンドゥー・ナショナリズムとムスリムの緊張関係1

⛳現在のインド、ヒンドゥー教徒とムスリムの対立
 ☆モディ首相率いるインド人民党(B.J.P)
 *ヒンドウー・ナショナリズムを掲げて政権を運営している
 *インドの人口の8割、約10億人がヒンドウー教徒
 ☆インドでは、イスラーム教徒を排除する市民権法改正案が可決され
 *国内外で大きな議論を呼んだ、ヒンドウー教徒とムスリムの対立

⛳インドでのバラモン教とヒンドゥー教
 ☆インドではヴェーダの伝統を基にしたバラモン教が主流だった
 *ヴエーダは、アーリア人の神話や祭式を記した神聖な書
 *バラモン教は社会を4つの階層(ヴアルナ)に分ける
 *カースト制度を持ち、バラモンが最上位に位置している
 ☆ブッダが創始した仏教はカースト制度や複雑な儀式を否定し
 *個人の修行と悟りを重視した
 *仏教の教えは、都市部の商人層に支持され、急速に広まる
 *バラモン教は農村部に追いやられた
 *バラモン教は、土着の信仰と融合し大衆的なヒンドゥー教へと発展した
 ☆7世紀以降、イスラーム教がインドに伝来し始める
 *イスラーム王朝の支配者、時期や為政者により、異教徒政策が異なる
 *在地のヒンドウー勢力などと協力関係を築き
 *寛容に共存していたときもあれば
 *地域の安定的な支配や経済的な動機のために
 *厳しく振る舞うこともあった
 ☆インドや中国では、仏教寺院は
 *金持ちをパトロンにして、お金を貯め込んでいたので
 *時の権力者に狙われ、インドにおける仏教は事実上消滅した

⛳インド、ヒンドウー教とイスラーム教の二大勢力が残る
 ☆中央アジアから侵入したムガル帝国
 *インド亜大陸の大部分を支配下に置く
 *ムガル帝国の皇帝たちのなかにも宗教的寛容政策を取る者もいれば
 *厳格なイスラーム重視の政策を取る者もいた
 ☆連合王国の東インド会社がインドの支配者となり直接統治が始まる
 *連合王国は「分割統治」政策を採用し
 *ヒンドウー教徒とムスリムの対立を利用して支配を強化した
 *両者の対立はさらに深刻化し、今につながる対立も、自然発生した
 *この時期に仕向けられた部分が残っている
 ☆20世紀に入るとインド独立運動が本格化し
 *ヒンドウー教徒とムスリムの対立は解消されなかった
 ☆インド・パキスタン分離独立時には大規模な宗教対立が発生し
 *数百万人の難民と100万人以上の死者を出す惨事となる
 ☆インドとムスリムが大半を占めるパキスタンのあいだでは
 *カシミール地方の帰属をめぐって紛争が続いている
 ☆インド国内でもヒンドウー教徒とムスリムの対立は続いている
 *ムスリムは一般的に、教育や就職の機会において
 *不利な立場に置かれ、貧困率もヒンドウー教徒に比べて高い
 ☆国連人権高等弁務官事務所
 *インドにおけるムスリムヘの差別や暴力にくりかえし懸念を表明
 *モデイ政権が態度を改める気配は見られない
 *人口増加や経済発展が注目され、日本企業の進出も相次ぐインド
 *宗教の歴史の基本は知っておきたい
                     (敬称略)
⛳知識の向上目指し、記事を参考に自分のノートとしてブログに記載
⛳出典内容の共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
⛳投資は、自己責任、自己満足、自己判断で
⛳詳細は、出典原書・記事・番組・画像でご確認ください
⛳出典、『世界は宗教で読み解ける』




『ヒンズー教』『イスラム教』『東インド会社』『インド・パキスタン分離』
(ネットより画像引用)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする