慶喜

心意気
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「伊勢神宮の朝」「遷宮制度成立」「阿礼=女性」「いただきます」

2024年07月05日 | 歴史
🌸古代が息づく伊勢神宮2

⛳伊勢神宮の朝
 ☆午前6時ごろ、外宮の忌火屋殿では、釜から噴き出す蒸気の音
 *神神にお供えする神餞を調理するのは、二人の神職
 *ここでは、米の炊き方も古代そのまま
 ☆外宮の豊受大神は、内宮の天照大神の「御餞都神」
 *御食事を調えられる神として、御餞殿で毎日朝夕に行なわれる
 *「日別朝夕大御饉祭」を見そなわされる
 ☆内宮で、稲をはじめとする五穀の豊穣を祈る神事
 *天照大神に、新穀の大御饉を奉る儀式
 ☆伊勢神宮の神事
 *米作りの最初から、収穫を経て、日常の糧とするまで
 *田を耕して生きる古代人の年間の営みを
 *そっくりそのまま季節ごとに祭祀化したもの
 *生きるための日日の営みを、すべて神の召命にこたえ
 *その恵みに感謝すべきものとして、有り難く受け入れている

往還の永久運動
 ☆遷宮制度成立の時期は、正史に明記されていない
 *天武朝の末期に発案され、持統朝の初期に遷宮が行なわれた
 *創始者は天武天皇である
 ☆遷宮において旧宮と新宮の敷地が隣接し
 *20年毎に神儀(御神体)がその間を往復する独創的な発想
 *いかにも天武天皇独特の思考形式にふさわしいとおもわれる
 ☆祭祀の中心とされる場所を、 一箇所に限定せず、二箇所に分けて置き、 
 *それを交替させることによって、新鮮さを保とうとするのが
 *天武天皇のだれにも似ていない思考法の最大の特徴なのだ
 ☆天武天皇が崩御した後、皇后が、正式に即位して持統天皇となった
 *その後天皇、文武天皇も病弱で25歳の若さで崩御した
 *母の阿閉皇女が即位して、元明天皇となった
 ☆『古事記』の撰録は、この元明天皇の詔によって行なわれた
 *これは、稗田阿礼は男性か女性かの問題にもかかわってくる

阿礼はやはり女性
 ☆古事記の成立に重要な役割をもつと目される稗田阿礼
 *男性か女性かについて、いまだに十分な結論を得ない
 ☆稗田阿礼の女性説に立つ筆者の見解
 *持統天皇、元明天皇と、女帝のリリーフ登板が相次ぐうちに
 *女性の立場に味方する後宮の力が
 *朝廷内で強まっていたためとも考えられる
 ☆持統天皇の治世は、10年にわたった
 *朝廷の空気に影響を与えなかったはずがない
 *元明天皇が、稗田阿礼の誦習した勅語の撰録を
 *大安万侶に命じたのは、即位後4年目のこと
 ☆天武天皇が崩御され女帝の即位が相次いだ時期に
 *後宮に恋愛や夫婦愛を重んじて
 *「物のあはれ」を解する感性が醸成されはじめたこと
 *『古事記』にはっきり表われている
                       (敬称略)
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⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
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⛳出典、『「古事記」の真実』





「伊勢神宮の朝」「遷宮制度成立」「阿礼=女性」「いただきます」
(ネットより画像引用)

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