広く浅く

秋田市を中心に青森県津軽・動植物・旅行記などをご紹介します。

485系いなほの旅

2013-10-16 23:35:41 | 旅行記
9月28日のダイヤ改正で、特急「いなほ」に新しい車両が投入された。
前から言っているように、「フレッシュひたち」から転用されたE653系電車だから「新車」ではない。また、外観の塗装は変更され、内装の改造でグリーン車が新たにできたものの、普通車の車内はフレッシュひたち時代のままだと思われる。
今回は新潟-秋田のいなほ7号と8号の1往復だけがE653系化され、他のいなほは485系電車のまま。来年夏までにはすべてがE653系で統一される。
たまに、E653系が「新車」だとか、485系がいなほから完全に撤退したかのようにとらえている人(マスコミ)がいるので、誤解なきようにお願いします。

485系のリニューアルされていない車両のヘッドマーク。近いうちに見られなくなるだろう
E653系置き換え目前の9月中旬に新潟から秋田まで、「いなほ7号」に乗車した。
乗ったのはリニューアルされていない「T11」編成で、それから1か月もしないうちに運用離脱・廃車となってしまった。(その後秋田まで回送されて秋田総合車両センターの公開で展示されたが、近々解体されるのだろう。)

新潟駅万代口
新潟駅は高架化工事中。ずいぶん工期が長く、周辺の整備を含めれば完成まであと10年かかるらしい。


2番線から発車。
今はなきT11編成
「いなほ」は、新潟市(あるいは上越新幹線からの乗り継ぎ)と新潟県内各地、山形県の鶴岡や酒田の間の利用が多く、秋田県内まで通しで乗る人は多くない。ということは、下りの新潟始発の時点では、けっこう乗っているわけなので、今回は指定席を利用。
割り当てられた2号車は、「モハ484-1085」。
 昭和54年川崎重工製
リニューアルされていないT編成でも、座席だけはリニューアルされたR編成(3000番台)と同じ座面スライドするものに交換されているのが原則。この車両もそうだったが、足元が暖房器か何かで塞がっていて、ややきゅうくつだった。
この車両では、荷棚がオリジナルのパイプではなく、板にスリット状の切り込みを入れた、見たことがないタイプに交換されていた。(下のほうの写真参照)

秋田行きの幕
夕方から夜にかけて秋の日本海側4時間弱の旅。
車内放送のチャイムは、オリジナルの「鉄道唱歌」のオルゴール。たまにあるけれど、1音のピンが欠けていて、若干間抜けなメロディだった。
秋田運輸区の車掌が通しで1名乗務。車内検札はなかった。

いなほの車内販売は、秋田発着の列車でだけ実施。酒田止まりの列車では行われない。これは、担当がNRE(旧・日本食堂)秋田営業所だからかもしれない。
酒田止まりでも、それなりの利用客と所要時間なのだから、時間帯によっては需要はあるのではないだろうか。
【2014年5月22日追記】その後、2014年4月25日付でJR東日本新潟支社ホームページに「お客さまの声から改善しました【いなほ車内販売拡大】」がアップされた。
「特急列車なのに、車内販売がないのは不便です。」という声を受けて、2014年3月15日ダイヤ改正から、酒田発着のいなほでも車内販売が始まったそうだ。(一部区間および臨時列車では実施しない場合あり)
NRE側での対応が必要(というか大部分)になる事案で大変そうなのに、一挙に全列車で車内販売が実施されるようになるとは、全国的に車内販売が縮小傾向にある中、積極的だ。(以上追記)

この時は、新幹線では恒例の車内販売員による放送の案内はなかったが、頻繁に車内を巡回していた。
特に在来線では車内販売が縮小傾向にある中、ありがたいこと。スジャータのアイスクリームを購入した。
JR東日本の新幹線と同じく、バニラとりんごの2種類を扱っていた。Suica決済可能で、200円ごとにSuicaポイントも付く。
価格は260円。考えてみれば、コンビニのハーゲンダッツもいつの間にか277円だかに値上がっているのに、スジャータのアイスは量も変わらなかったから、値上げはしていないことになる。やはりアイスクリームは車内販売でこそ購入するべきアイテムかもしれない。
※ちなみに、JR東海の新幹線では、沿線の愛知県・静岡県産のメロンを使ったスジャータのアイスを売っている。食べてみたい。

この列車の車内販売員の売り方がちょっとおもしろかった。
アイスを注文して箱から商品を出す間、「新幹線でもおなじみのスジャータのアイスでございます」とかなんとか、宣伝文句をしゃべるのだ。
笹だんごを買った人には「つぶあん10個入りでございますね」と確認してから「新潟名物笹だんご」と言っていた。
周りの乗客への宣伝効果を狙っているようで、たしかに効果はありそうだけど、買った人としては若干恥ずかしいかも。


新発田駅で白新線から羽越本線に入る。新潟駅から50分ほどで村上駅に到着。
村上駅を過ぎると海沿いに出て、車窓から「笹川流れ」を楽しめるのだが、その前にちょっとしたイベント(?)がある。
「電源切り替え」である。

JRの在来線の電化方式は、直流、交流50ヘルツ、交流60ヘルツの3つがある。(交流の周波数の違いは電力会社に起因するわけだけど)
それぞれに対応した車両でないと走行できないけれど、485系電車はどれにも対応する。

村上以南は直流、以北は交流50ヘルツであり、村上駅-間島駅間にその境界がある。
境界では「デッドセクション」と言って架線に電気が流れておらず、電車はそこを惰性(モーターを止めて)で通過。その間に、運転士が切り替えスイッチを操作する。
485系では、デッドセクション通過中は空調や照明の通電も止まる。家庭用照明の常夜灯(ナツメ球)みたいなのが所々灯るだけなので、夜間は真っ暗に近くなる。

今回に限らず、秋田運輸区では昼夜問わず事前に「まもなく電源切り替えのため車内の照明がしばらく消えます」といった放送を入れることにしているようだ。さらに消灯中に放送する人もいる(停電中も放送は使えるようだ)。
いなほでも、酒田や新潟の車掌は、放送しないほうが多い気がする。常連客にはそれでいいだろうが、初めて乗る客だっているんだから、秋田運輸区の対応のほうが適切だと思う。

順調に走行中(上記、荷棚の構造にも注目)
村上駅を出てしばらくすると、「しゅん」と何かが止まった音がし、続いて空調の送風が停止。そして、
蛍光灯が消灯
オレンジ色の小さな灯りが、車内で5か所ほどだろうか、点灯した。子どもの頃読んだ「鉄道ものしり百科」みたいな本では「予備燈」と表記していた。
この程度の灯りじゃあ、夜はほとんど役に立たない

薄暗い静かな車内
モーター音もしないので、客車列車のように静かに進む。30秒程度はこんな状態。
万一、何かの事情でここで停車してしまったら、自力で再び動くことは不可能(他の列車に救援してもらわないと)。また、万一、電源切り替えの操作をしないで異なる電源の区間に進入してしまったら、故障してしまうだろう。

無事に電源切り替えが終わったようで、やがて照明が点き、空調が動き、走行用のモーターもうなりだして、さらに北へ進む。
日本海の眺め
E653系電車では、電源切替の操作は自動化されていて、照明も消えない。したがって、薄暗い車内の光景もやがて過去のものになってしまうだろう。
【17日追記】同区間を走る臨時快速「きらきらうえつ」や、同様の切り替えがある新潟県糸魚川を通過する特急「北越」では、当分は485系を使用するので、それらでは引き続き同じ光景が見られる。なお、改造で照明の形状が変更された485系3000番台でも、暗くなるのは同じ。

新潟から酒田までは120km/hで走行できる。485系電車の営業運転としては最高速度(青函トンネル等特例の例外は除く)。
モーターは「ぶーん」とうなり、通過駅のポイントを通過する時は「ボコボコ」と音を立てて車両が揺れる。発車時はガクガクとぎこちなく加速。
乗り心地としては良くはないけれど、国鉄時代と僕の子どもの頃の旅の記憶をそのまま今に残し、まだまだがんばれる力強い走りだと感じたのは、世代交代を目前にしての感傷に過ぎないのだろうか。
個人的には、大きな窓とホールド感のある座席は、スーパーこまちなんかよりずっと好み。(この点はE653系でもほぼ同じかと思われる)

平日の夕方だったが、沿線の人が振り返ったり写真を撮ったり、定期列車にしては注目されていたように感じた。皆さん、車両交代を知っているのだろう。


指定席の乗客は多くはなく、村上まででだいぶ降りてしまった。近距離で指定席利用なのは、企画乗車券やパック商品の利用なのか。【17日追記】この日は閑散期なので、新幹線からの乗り継ぎ割引適用だと自由席+150円で指定席に乗れる。正規料金での利用もあったかもしれない。
残りも鶴岡や酒田で降りて、秋田まで指定席に乗ったのはごくわずか。(酒田以北から乗る客は、ほぼすべて自由席利用)

酒田発車後、車掌から「秋田駅で接続する「つがる7号」には車内販売や自動販売機はございません。乗り継ぎのお客さまは、お飲み物などはこの列車の車内販売をどうぞご利用ください」と放送。気が利いているし、結果的に車内販売の収入増にもなる。乗り継ぐ人がどのくらいいるのか知らないけれど。
そういえば、かつての大阪発青森行きの下り「白鳥」のダイヤを引き継いでいるのが、このいなほ7号~つがる7号だった。

曇っていて夕日は見えず、いつの間にかとっぷりと日が暮れて、沿線の黄金色もしくは稲刈り後のはずの田んぼも見えなくなって、秋田駅に到着した。
日本海側の「いなほ」の旅って、好き。小さな窓で割増料金を取られる「(今年度はスーパー)こまち」なんかより、のんびりと旅できるし。485系の「いなほ」には、もう乗れないかもしれないが、E653系になっても折を見て乗りたい。


ところで、今夏の秋田新幹線の豪雨による運休時には、「いなほ」が迂回路として活躍した。お盆期間中だったこともあり、酒田止まりの列車を秋田まで延長する対応が取られた。
東日本大震災の時もそうだったが、他県や首都圏との経路が1つしかないというのは心細い。同じくらいの規模(運転本数)の複数の経路を日頃から確保しておくべきだと思う。羽越本線は冬期の強風による運休も少なくないから、その対策も強化してほしいものだ。

次にいなほに乗った時は、E653系になっていた。

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5 コメント

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設備面も (taic02)
2014-03-22 20:38:30
古い車両が一掃されても、それが中古車の玉突きによるものというのは、少々惜しいですが。

車両が新しくなっても、高速化は限定的ですし、特に冬期の強風時の対策も不十分に感じます。
次は設備面の改良を進めてほしいものです。
返信する
いなほ新時代の幕開け (しょーない)
2014-03-21 16:04:10
昭和はもう終わりだ今は平成二十何年でしょうかね?
国鉄からJRになって27年も経つんだからいつまでも国鉄型を残すわけにもいかないだろうな
心機一転平成の鉄道が特急いなほでも始まったと思えばいいだろう

これを機に保守的な鉄道マニアは考えを変えるべきだ
返信する
コメントありがとうございます (taic02)
2013-10-18 00:00:38
>FMENさん
秋田配置の485系は既になくなり、そして秋田県内に乗り入れる485系もなくなりつつあり、ある意味大きな時代の転換です。
男鹿線・五能線のキハ40系はしぶとく残りますが…

堺さんもそんなお歳なんですね。今後のJR東日本の自動放送は、どうなるんでしょう。フリー扱いになって引き続き契約でしょうか。

>あんなかさん
僕は東北上越新幹線開業後しか実体験がなく、それ以前は本や話で見聞きしただけです。
上野まで行っていた当時のいなほは、白新線・新潟駅を通らず、新津まで羽越本線経由だったんですよね。
つばさは板谷峠が難所で車両にも制約や負荷が大きかったと聞きます。
つばさといなほは、秋田までの所要時間は互角で、たしか運賃・料金はどちらに乗っても羽越本線回りで計算される特例があったそうですが、L特急はつばさだけ。なんとなくいなほが冷遇されていた(つばさが厚遇)ような気がします。
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ディーゼル特急時代のつばさといなほ (あんなか)
2013-10-17 04:39:05
国鉄は遠くになりけりですね。
いなほと聞けば秋田-上野を結んだ特急を思い起こします。
秋田-上野の特急は新潟・群馬経由のいなほ、東北本線経由のつばさがありました。
個人的には似た景色の続くつばさより日本海側から長大なトンネルを抜けて群馬に至るいなほの方が好きでしたが
ディーゼル特急時代のいなほには指定席がなかなか取れず乗せてくれませんでした。
その代わりディーゼル特急つばさは結構乗りました。
洋食が美味しかった食堂車も付いていた1級の特急で福島から東北本線に乗り入れると秋田・山形の鈍足は消えて(秋田-大曲は約1時間、横堀までは約2時間ちょっとかかり、今の各駅停車の方が速い)
生まれ変わったように飛ばしたものです。
郡山から乗った同年代の子供と親しくなって「秋田は未だ蒸気(機関車)が見られるから良いな」と言われたりしました。
返信する
時代の終わり (FMEN)
2013-10-17 00:26:51
かつて秋田は青森、福島、山形、新潟、盛岡、上野と485系で結ぶハブ駅でしたが今はそうじゃなくなり、とうとう485もなくなるならば昭和・国鉄が本当に終わるんでしょうね。
ちなみに新幹線でアナウンスする堺正幸氏も定年でフジテレビを退職したそうです。
なにか時代の挽歌を感じさせる記事でした。
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