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矢口高雄氏逝去

2020-11-29 00:28:06 | 秋田のいろいろ
11月20日、漫画家の矢口高雄氏が亡くなった。秋田県西成瀬村(後に増田町、現・横手市)出身で、代表作は「釣りキチ三平」。以下、一部敬称略。
亡くなったことは、全国版でも朝日新聞「天声人語」など小さくなく報道され、秋田魁新報では逝去発表翌日は多くの紙面を咲き、その後も地域面で連載「三平の残照/矢口高雄さん逝去」が始まるなど、連日記事になっている。


僕は、残念ながら矢口氏の作品に、意識して触れる機会はほとんどなかった。1980年代前半に、テレビアニメ化(フジテレビ)された釣りキチ三平を見たという、おぼろげな記憶がある程度。矢口作品がきっかけというツチノコブームの頃にはまだ生まれておらず、教科書に掲載されるようになった頃には大人になっていて、世代的にタイミングが合わなかったこともあろう。
しかし、秋田県を代表する漫画家ということで、県内にいると三平を始めとするキャラクターは目にする機会が多い。人物もさることながら、魚のうろことか背景の自然の描写が緻密で美しく、漫画のコマというより絵画のよう。【12月2日追記・三平の麦わら帽子の繊維1本1本の描写が緻密なのも、昔からすごいと思っていた。】
ちょうど1年前には、秋田に関わりのある人の半生を綴る、秋田魁新報の連載「シリーズ時代を語る」にも取り上げられた。

秋田市民になじみがあるのは、当ブログでも何度か取り上げた秋田中央交通の釣りキチ三平を車体や座席(背もたれ)に描いた「三平バス」であろう。
※「釣りキチ」は入らない「三平バス」が正式。また、ラッピングフィルムによる車体広告とは異なる手法で描画されているので、個人的には「ラッピングバス」とは呼びたくない。「専用塗装」「特別塗装」ととらえるべきだと思う。

以下、以前と重複します。
三平バスは2001年に、秋田中央交通創業80周年記念として、路線バス15台、貸切バス1台を導入。
路線車は、秋田市交通局からの段階的路線移管の真っ最中だったので、その戦力の意味もあった。従来より1段少ないワンステップ車、一部はフルモデルチェンジ間もない、いすゞエルガミオということで、当時としては先進的。
貸切車は、いすゞ自動車のデモンストレーション用のサンプルカーを購入(新古車)して、三平バス化。

気になったのは、
・矢口氏自身も、三平の作品も、秋田市や中央交通の営業エリアとの関係は薄いのに、どうして起用されたか。
・そうした由緒や、80周年記念であることの説明が、乗客には一切知らされていない。
・あっていいはずの、作者名や著作権の表示が見当たらない(そういう点に鷹揚な方だったのかもしれないが)。
といったこと。

その後、当時の秋田中央交通の社長(後に会長、2016年没)が、矢口氏と旧知であることが、三平バス導入につながったらしいことを知った。
社長と矢口氏は、同い年ではあるようだが、具体的にどういうつながりかは知らない。

雪国を長年走り続けるバスだけに、車体は傷む。
2012年頃以降順次、三平バスの車体のリニューアルが施工され、路線バスの通常塗装に塗り替えられていった(一部車両は廃車)。会長が亡くなったのと同じ、2016年秋には、車体に三平を描いたバスは、1台もなくなってしまった。
(再掲)塗装変更後と変更前
塗装変更後も、車内の座席は、従来どおり三平が描かれている。
上記、魁の「時代を語る」の中(2019年11月26日付34回)で、矢口氏ご本人が「釣りキチ三平は秋田中央交通のバスやJA秋田ふるさとの段ボールなんかにも描かれている。」「(昔は低く見られていた)漫画が目を引く存在になるなんて、感無量」と述べていた。
だけどその時点では、三平バスが中身だけになっていることを、ご本人はご存知だったのだろうか。

逝去後の「三平の残照」27日付第1回「笑顔の釣りキチ/行き続ける古里の顔」では、JAの農産物やラーメンとともに、車庫で撮影したと思われる、三平バスの車内後方の座席の写真が掲載。
「秋田中央交通(秋田市)は、01年から16年まで、釣りキチ三平の姿を車体やシートに描いた「三平バス」を走らせた。現在も一部車両のシートには三平バスの姿がある。」
と偽りない表記になっているが、再塗装を知らない人には理解できないかも。

ちなみに、JAではホウレンソウの袋にも三平を描いている。「釣りキチ三平」の作中では、ソウギョをホウレンソウのおひたしを餌にして釣る話があったのだとか。それにちなんだの?

車体をきれいにしても車齢20年。遠くないうちにすべて廃車されるだろう。
座席は、廃棄物にするくらいなら、取り外して売ったらどうでしょう? ほしい人はいるでしょう。あるいは横手市増田まんが美術館(矢口氏の記念館だが、本人はその名称を固辞し、幅広く原画を収集展示している)に展示するとか。




ほかに秋田県民が身近だった矢口作品といえば、昔の羽後銀行のカレンダーではないだろうか。
北都銀行の前身である「羽後銀行」では、客に配るカレンダーの絵に、矢口氏の絵を載せていたことがあった。
起用理由は明白。矢口氏は30歳まで、羽後銀行の行員だったから。
僕が矢口高雄という人を認識し、秋田出身(で元銀行員)ということを理解したのは、カレンダーだった。

羽後銀行は1993年に、秋田あけぼの銀行(旧・秋田相互銀行)を吸収して、北都銀行になった。おそらくそのタイミングで、矢口氏によるカレンダーは廃止。
あけぼの銀行では、近年再注目されている秋田県象潟町出身の版画家・池田修三作品のカレンダーを配っていた。これも合併後廃止。
北都銀行になって、修三か三平かどちらかだけを切り捨てるわけにもいかず、両方ともやめたのではないだろうか。

北都銀行はさらに、2009年に山形の荘内銀行と経営統合し、フィデアホールディングス(本社は仙台)傘下となった。
報道によれば、矢口氏は銀行員経験があって良かったと考え、銀行員と漫画家を両立しようとすることに厳しい態度で接してきた元上司にも感謝していたという。魁には、その元上司のコメントも出ていた。
羽後銀行あっての、矢口高雄だったことになる。


CMに起用していた芸能人が亡くなると、ホームページなどで弔意を示す企業は少なくない。ご遺族へ直接伝えれば充分という判断もあるだろうけれど、素知らぬ顔でいるよりは、一般人の印象は良くなるとは思う。
今のところ、秋田中央交通も、北都銀行も、JA秋田ふるさとも(全農秋田県本部も)、そのようなものはなさそう。

秋田中央交通は、社長も代わったし、車体も変わったし、もう過去のことなんだろうか。(でも新聞には載った)
北都銀行は、名前は変わったし、フィデアになったし、もう過去のことなんだろうか。(でも羽後銀行時代の経験も大切に思っていらした)
JAに至っては、今も、商品に作品を使い続けているのに…

なお、横手市役所のホームページでは、トップページの新型コロナウイルス感染症情報の下に25日付で「矢口高雄氏 ご逝去のお知らせ(訃報)」を掲載。別に市長メッセージもある。

【12月3日追記】第3セクター鉄道・秋田内陸縦貫鉄道では、2019年4月の開業30周年時に、矢口氏を応援大使「スマイルレールアンバサダー」に委嘱していたとのこと。
訃報に際し、マタギのキャラクター「かけるくん」を描いたキャラクターを、年明けまで列車のヘッドマークにして掲出することになった。報道され、公式ホームページでも追悼・紹介してくれている。

その「かけるくん」は、内陸線のキャラクターではなく、沿線であり同社出資者の1つ、「北秋田市公認キャラクターの阿仁マタギ」とのこと。
12月3日付の魁の連載で、ちょうど取り上げていた。かけるくんは、1995年に旧阿仁町40周年記念として、矢口氏に依頼したもの。しかし、2005年の合併・北秋田市誕生で、あいまいな存在になってしまったので、2019年に改めて北秋田市のキャラクターとして契約した。
北秋田市では2018年からハローキティを「北秋田市ふるさと大使」にしてしまっていたこともあるのか、北秋田市のホームページでのかけるくんの影は薄く、紹介ページもない。

ホームページを見る限り、横手市や内陸線は、矢口氏に感謝と弔意の気持ちがあるのがよく分かった。
一方、北都銀行、JA、中央交通、北秋田市は?

【12月6日追記】さらにすっかり忘れていたが、秋田駅の駅弁として関根屋が「釣りキチ三平弁当」を何種か発売していた。2009年2011年に記事にしていた。
訃報を受け、2011年版の「釣りキチ三平弁当・きのこ編(和牛入り)」が、12月1日から20日まで再発売。税込み1080円。
関根屋ホームページでは「先ごろ亡くなられた秋田県横手市出身の漫画家・矢口高雄先生とコラボした駅弁です。」「追悼の意を込めて期間限定で販売します。」とあり、関根屋さんにしては迅速な対応ではあるが、トップページには「期間限定で発売」程度しか表記がない。

それにしても、秋田では、矢口氏とその作品が、広く浸透していたのを改めて実感。
2021年2月には、釣りキチ三平にちなんだパンが発売された。




全国的な場面では、意外な所で矢口作品が使われていたのを、つい先日知ったばかりだった。
NHK「みんなのうた」。

11月初めまで、日曜深夜にアニメ「未来少年コナン」が再放送されており、その後に「みんなのうた」の再放送(厳密には「リクエスト」枠として、再放送とは区別されている)があった。
10~11月は、1曲目が以前触れた、1987年初回放送・工藤順子の「風のオルガン」で、懐かしく見た。
2曲目は「だるまさんがころんだ」。作詞作曲 山本正之、うた 斉藤こず恵。
ちなみに、斉藤こず恵は「山口さんちのツトム君」で有名になった人だが、みんなのうたの放送では別人の歌唱。斉藤こず恵がみんなのうたで歌ったのは、だるまさんがころんだ1曲だけ。
【29日追記・この2曲の今回の放送は、すでに終了しています。29日などは別の曲が放送されます。】

歌詞は、100まで数えなさいと言われて、「だるまさんがころんだ…」と100音になるデタラメな文章で、短時間に数え終えてしまうという、内容。
僕は歌は知っていた。持っていた、みんなのうたのカセットテープに収録されていたから。
しかし、放送で見聞きしたことはなく、この時は初視聴。

放送版とソフト版では、別収録どころかアレンジや歌手が違う場合もある【29日補足・歌手とレコード会社との関係によるものもあるはずだが、歌手の男女が変わったり、大幅にアレンジされてしまうこともあった。】し、時期的に放送版はモノラル録音のこともある。「だるまさんがころんだ」に関しては、記憶のソフト版と今回の放送版で、大きな違いはなかった。放送はモノラル音声だった。

初回放送は1978年8~9月。Wikipediaによれば、その1年後に再放送された後、ずっと再放送されなかったらしい。当時としては珍しくないが、NHK側で映像を破棄してしまったようで、視聴者からの提供によって2013年に復刻(みんなのうた発掘プロジェクト)されたとのこと。


初めて接した映像は、
これは!
アニメーションというより、静止画をズーム程度に動かした映像がメイン。「かんかんからす」などの中島潔氏の絵みたいな感じ。
100数える部分は、純粋なアニメのようだ。

みんなのうたでは、歌が始まってすぐ、歌手とその映像の作者の字幕が出るのが基本。(時代によって異なるようだが)
「だるまさんがころんだ」では、歌手だけ表示。

短い間奏の時に、
「イラスト 矢口高雄」「アニメーション 南家こうじ」
鮮明な字幕で、デジタルフォントのフォントワークス「ニューセザンヌ」だから、映像発掘後に入れられたことになる。
なお、この歌でも使われる、1970~1990年代中頃まで使われた角ゴシック体は、モリサワの写植用書体で、漢字と仮名で違う書体だったようだ。完全に同一のデジタルフォントはない。→この記事参照
実はもともとの放送では、映像が始まる前に一瞬、ブルーバックに「イラストレーション 矢口高雄」「アニメーション 南家こうじ」の文字が表示されてから、本編(歌手名表示)が始まっていたらしい。
【30日追記】字幕が出る前の1番の絵(主に人物)を見ただけで、もしや矢口高雄? いや、矢口高雄に間違いないという確信は持てた。それだけ、特徴的なタッチの絵なのだろう。でも、クセが強いわけではない。

ということで、矢口氏がみんなのうたの映像も作っていたのだった。「だるまさんがころんだ」が唯一の作品。
人物は矢口作品そのものだし、見慣れた自然の中ではないが、家の細部など細かく描かれているのがさすが。

アニメ部分。みんなのうたで歌詞が3行表示されるのは異例
アニメの南家こうじ氏も、これが最初の作品だった。姓は「なんけ」。数年前まで「みなみや」と思いこんでいた(落語家じゃないんだから)。
その後も、多くの作品を手がけて、みんなのうたの常連。現在まで43曲(個人的には「あさおきたん」、森口博子の「上級生」が懐かしい)に携わっている。堀口忠彦と「とこいった(堀口氏の別名義)」を合わせた作品数よりも少し多い。
コメント (4)
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