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書道展の課題と書体

2020-08-28 00:13:11 | 文字・書体
3年ほど前に気付き、以降毎年今頃に気になる新聞広告がある。
秋田魁新報より
秋田魁新報社主催の「秋田書道展覧会」というイベントの作品募集。2020年で第83回だそうで、歴史があるようだ。
秋田県在住または出身者の、小学生から大人までが出品(有料)できる。毛筆の作品展だが、小学校1・2年には硬筆部門もある。
課題(書く文字)や書体は、「小学生の部」は指定が多いが、中、高、一般と上がるにつれ自由度が上がる。

書を習ったこともなければ、応募するつもりもないけれど、その応募規定(要項)を見ていたら、いくつかの点が気になってしまった。書道をやっていて出品する方々には常識なんだろうけど。
なお、応募規定は、新聞掲載とホームページ掲載のPDFファイルでは、書式が大きく異なり、やや戸惑う。
新聞より抜粋
「課題」は、小学生の部では、小学校「書写」教科の各学年の教科書からお題を指定。
ただし、小学校低学年の書写は硬筆のみで毛筆を扱わないので、その半紙部門に限り、1年「うた」、2年「こうま」を指定。

書写の教科書は、教科書出版社2社分を示している。「光村図書」と「教育出版」。
書写の出版社はほかにもある(例えば東京書籍)のに、なぜこの2社だけ?
光村は全国的にシェアが高く、秋田市も長らく光村を採択。昔は秋田大学教育文化学部附属小学校は東京書籍だったかな。
ということは、県内どこかの地域では教育出版を採択しているのかと思って調べた。

ところが、少なくとも今年度は、秋大附小を含む秋田県内すべての地域が光村図書を採択していた。
どうして、採択されていない出版社、しかも1社だけを課題とするのだろう。

【2021年8月6日追記】初回アップ時に何を見たのか忘れたが、追記日時点で秋田県のサイトに掲載されている、「令和2年度使用小学校教科用図書及び中学校教科用図書(「特別の教科 道徳」を除く)県内採択地区等採択結果(コンテンツ番号44384)」を見たところ、「湯沢・雄勝」1地域だけで教育出版を採択していました。以下は変更前のままの文章です。
なお、湯沢・雄勝以外の各地域(秋大附小を含む)は光村。また、書写でない国語の教科書は、湯沢・雄勝を含めて全地域が光村。国語と書写が違う出版社だと、硬筆の例文などで若干、統一感がないことになりそうだけど、いいのか。(以上追記)


規定には、自分が通う学校の教科書会社を課題にしろとは書いていない。
また、PDF版要項には「※書写教科書の入手方法は秋田協同書籍(電話番号)へお問い合わせ下さい。」との案内も。
つまり、「あえて教育出版の教科書を買って、課題に使ってもいい」ようだ。
【28日追記】教科書販売は、各県1つ程度の「特約供給所」と、複数ある書店や文具店である「取次供給所」が行う。
秋田市内の取次供給所は、秋田協同書籍と加賀屋書店。昨年度までは店を閉めた「のてや」も。
秋田県の特約供給所は「秋田県教育図書株式会社」とする情報もあるが、現在は秋田協同書籍が行っているらしい。教育図書と協同書籍は、所在地が1番地違いだったようで、関係がありそう。
採択されている教科書であれば、紛失や転入に備えて供給所に在庫があるはずだが、採択されていない教育出版の書写は、取り寄せになりそう。そんなこともあって、特約供給所である秋田協同書籍を掲載しているのだろう。各取次供給所でも取り寄せてもらえそうだけど。(以上追記)

2社で共通のお題なのは、4年の「左右」だけ。6年は同じかと思いきや、光村「旅立ちの朝」、教育出版「旅立ちの時」で1文字違い。
5年は光村「近づく春」、教育出版「考える子」。例えばしんにょうが書きづらいから、教育出版で…とかいう人がいるのかな。
あえて教育出版の課題で出品する人は、どのくらいいるだろうか。


低学年の硬筆は、40文字前後の課題。
ホームページ掲載の様式(マス目)を、各自A4に印刷したものに書いて提出。「紙質は指定しません。」。

筆記具が指定されていないのが気になった。。
小学校の硬筆では鉛筆を多用するが、低学年でもフェルトペンも使ったかと思う。硬筆=鉛筆ではない。
出品はボールペンや万年筆でもいいのだろうか。


いちばん気になるのは、小学生の部で指定されている「書体」。
新聞より
中学生の部では「楷書」や「行書」の指定で、毛筆でいう書体とはそういうことだから、何の疑問もない。
一方、小学生は、新聞広告では硬筆は「教科書より」、毛筆は「教科書体」とされている。
PDFでは、硬筆は言及がなく、毛筆は「書体は教科書体によります(書写による許容字体は認めます)。」。
PDFより

前提として、小学校で書くのは硬筆毛筆とも楷書だけだから、それで書けということなのは分かる。小学校では「楷書」という言葉も概念も習わないと思うから、その表現方法が難しいのだろう。(条幅部門だけは小学生でも自由書体だから、行書などでもいいのか)
なお、「書写による許容字体は認めます」とは、木偏の縦棒の下が左上にはねるとか、「保」の「木」が「ホ」になるといったものか。

だからといって、毛筆を「教科書体」で書けというのが、引っかかる。
教科書体というのは、楷書の手書き文字がベースで、手書き文字によく似ているが、あくまでも活字の書体。
教科書体と同じくくりに含まれるのは、行書や楷書ではなく、明朝体やゴシック体のほうだ。書道で、あるいは筆で明朝体やゴシック体を書くことはありえない。
「活字体の文字を手書きする」というのは、「書道」ではなくレタリングとか(西洋の)カリグラフィーになってしまうのでは?
また、昔の教科書体は毛筆っぽかったが、近年は硬筆寄りのデザインの教科書体が一般的で、それを毛筆で書くのは、特に無理があるだろう。

さらに最近は、弱視などの体質やデジタル教科書対応として、線の太さの変化を均一にして、サインペンで書いたような、ユニバーサルデザインの教科書体もできて、Windows10には標準搭載されるようになった。
「UD デジタル 教科書体」シリーズ。モリサワ製だそう
これで出品してもいいのだろうか。筆でやろうと思ったら、けっこう難しいかも。


硬筆のほうは、新聞では「教科書より」と微妙な言い回し。
書写の教科書の硬筆のお手本は、教科書体にかなり似ているが、比べると違う文字(光村図書では我々の昭和末期も現在も、変わっていないようだ)。実際に手書きしているのだろうか。それにならえと言いたいのだろう。
「教科書体」よりは理屈が通りそうで、毛筆部門もこの表記でいいような気もするけれど、伝わりづらいかな。

なお、この点は、光村図書ホームページ「書写の疑問,すべて解決!」>「書き文字と活字は,なぜ違うのか(https://www.mitsumura-tosho.co.jp/kyokasho/s_shosha/gimon/gimon_02.html)」に説明があった。
「教科書体活字は,小学校学習指導要領の別表で標準とされている文字をもとに作られた書体」「明朝体やゴシック体と違って,より書き文字に近い形」。
一方、「書写教科書での書き文字は,(注・教科書体活字のように)正方形の枠の中に文字を収めるということよりも,筆使いや点画・部分の組み立て方,文字の中心や外形を整えることに重点を置いています。」。
とあった。やはり、活字の教科書体は手書き文字と同一ではない。


教科書体のお手本をそっくりまねるのでなく、小学校で習う文字の形を踏まえながら、自分の文字として書きなさい、ということなのかもしれない。よりふさわしい言い回しがないものか。
書を専門とする人たちから見れば、どんなもんなんでしょう。


ちなみに、出展作品は別として、活字の教科書体をお手本に文字を書くのは、悪いことではないと思う。
僕は、光村教科書体(=イワタ教科書体?)やモリサワの(従来の)教科書体を意識するようにしたら、ちょっとだけ上手く・きれいに文字を書けるようになった【28日追記・上手いきれいよりも、読み(読まれ)やすく、正しい文字、か。それは指導要領通りの、おもしろみがない字かもしれないが】と思っている。小学生の頃は、手本のどこを見て字を書いていたのかと、今さらながら恥ずかしい。
ユニバーサルデザインの教科書体を手本にしても大丈夫でしょう。

【翌2021年の第84回】7月23日付紙面で、初確認。新聞告知では、書体指定や手本の変更はほぼなし。半紙の課題のうち、手本が示される小学校低学年と中学生だけが、別の文字に差し替わっている。順に「うし」「げんき」「未来都市」「平和活動」「将来展望」。
【2022年も、変化はなさそう。課題は確認忘れ。】
【2023年の第86回】目立った変更なし。課題は「しろ」「まつり」、「美術文化」「自然科学」「千峰紅葉村」。
【2024年の第87回】目立った変更なし。課題は「つち」「しずく」、「気象衛星」「湖水清風」「大願成就」。
【2025年の第88回】目立った変更なし。課題は「くに」「みどし」、「天地創造」「高原白雲」「紅葉錦秋」。



【2021年12月15日追記・正月の書き初めについて】この書道展と別に、正月に書き初め大会も行われている。2022年正月に「第13回 秋田県新春書初め大会」が開催されることが、魁紙面に広告扱いで出ていた。
新型コロナウイルス対策として、各自書いたものを提出する展覧会方式で行われるが、本来(2019年以前)は、県立武道館に集まって一斉に書いていた(雑煮かお汁粉が出たそうだ)。
たしか昭和から、冬休みの最後のほうに、子どもたちがそのようにするイベントがあったはずだが、回数が一致しないし、当時は武道館もなく、別物だったのだろうか。→そういう催しを「席書会/席書大会」と呼ぶのだった

13回 書初め大会は、秋田魁新報社・秋田県書道連盟・秋田県総合公社が主催。総合公社は武道館の指定管理者。問い合わせ先は秋田魁新報社事業部。
「幼児および小学生」から「大学生・一般」まで、世代で4部門に分かれており、いずれも課題は自由(と言いながら、幼児および小学生と中学生では学年ごとに2つずつ例示している)。
高校生以上は書体も自由。中学生は「書体:漢字は楷書または行書、仮名はそれに調和する平仮名」、幼児および小学生は「字体等:字体は書写教科書の字体による」。
「書体」「字体」の違いは不明だが、こちらは、おかしさを感じない言い回し。ただ、幼児(未就学ということでしょう)は教科書がないだろうから、そこはあいまい。
どちらも魁が関わるのだし、秋田書道展覧会のほうもそろえればいいのに。

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ローソンATMと石井丸ゴシック

2020-07-14 00:26:58 | 文字・書体
以前からたまに出てくるように、活字の書体、フォントにも興味がある。最近、昔の写植機時代の文字をいろいろ調べていたら、さらにおもしろくなってきた。
そこで、“素人の横好き”ですが、実際の文字やネットの情報を参考にした「文字」カテゴリーを新設します。後で過去の記事も、カテゴリー変更して組み入れるかもしれません。
なお、厳密には「書体」と「(デジタル)フォント」の言葉の意味は違うようですが、当ブログではほぼ同義として扱います。誤解や間違いもあるでしょうから、ご承知おきください。


文字による印刷物を作るのに、昔は、金属製の1文字ずつのハンコみたいな活字を手で拾って原稿を作っていた。宮沢賢治「銀河鉄道の夜」の冒頭で、ジョバンニがその活字拾いのアルバイトをするシーンがあり、アニメ映画版で見たのを覚えている。

その後に現れたのが「写真植字機(写植)」。文字の元があって、それを1文字ずつ写真撮影して印刷物にするようなもの。同じ文字が何度出てきても活字が不足することはないし、レンズをズームして文字サイズも変えられる。昭和初め頃に日本で実用化され、普及した。
後にコンピューター(ワークステーション)でレイアウトなども行える「電算写植」ができて、新聞作成にも採用。昔の秋田魁新報のテレビCMで写っていた、白黒反転した新聞紙面がそれだろう。
しかし、1990年代にはパソコンを使ったDTPが登場し、2000年代以降普及して、引き換えに写植は衰退した。

写植機を開発し、最大手メーカーだったのが「写研」。そこから独立した二番手メーカーが「モリサワ」。
モリサワは、DTP化の波に上手く乗って、写植書体をパソコンフォント化するなど写研を抜き、今も印刷に欠かせない大手。パソコンで使えるから、素人でも製品を購入できるようになった。

一方、写研はパソコン対応をかたくなに拒み続けてきた。【14日補足・機械と文字を抱き合わせでセットで扱うことしか認めず、文字だけを切り離して共通規格(=デジタルフォント)化することを拒んでいるということになる。】
写研の写植文字には、今も細々ながら一定の需要はあり、会社は存続しているという。【14日補足・写植機にISDN回線がつながっていて、使用量(文字数?)に応じて料金を徴収するシステムだそうで、今もある程度の収入はあるのでしょう。】
2011年には写研が、写植書体をパソコン向けにしたフォントを発売準備中という話が出た(見本市で発表)そうだが、それっきり【ところが2021年に! すぐ下のリンク参照】。
ワンマン経営だったという話もあった、創業者の娘の社長は、2018年に92歳で亡くなった。

今なお、デザイン・印刷関係者(そして一部の素人)からは、写研書体をパソコンで使えるようにしてほしいという声も根強いが、一方で、各社の多様なフォントが流通するようになり、業界でも写植を知らない世代も増える中、今さら発売しても…ではないだろうか。※ところが2021年に

※電算写植では、デジタルフォント化した書体を扱う機種もあったそうで、「写研書体のデジタル化」は既に行われているようだ。それを「パソコンで使える製品」としては販売されていないということになる。
また、平成初期に当時の通商産業省系団体が主導して作った「平成書体」シリーズのうち、「平成丸ゴシック体」は写研が開発していて、現在、パソコンで使える唯一の写研書体ということになる。写植用書体ではないし、写研自身が発売しているわけではないが。なお、アドビにユーザー登録して「Adobe Creative Cloud」を利用(要インストール)する等、平成書体は無料~低料金で使うことが可能。


2020年現在、いちばん多く目にする写研書体は丸ゴシック体「ナール」だろう。かつては印刷物やテレビの字幕等、あらゆる場所で目にしたが、今の活躍場所は道路の案内標識。
以前触れたように、1986年の法改正でナールが採用された。ただし、法令で指定しているわけではなく、国や各自治体の指針で決まっている程度らしい。
例えば、今春開通した、国道7号のバイパス「下浜道路」内の標識もナール。今でも写植機がどこかにあって、その文字を標識にしていることになる。手間になるかもしれないし、費用(=税金)もかかり増しになっていないのだろうか。
高速道路では、パソコンフォントに変わったように、そろそろ見直してもいいのではないだろうか。


ここから本題。
ナールは1972年に作られたそうだけど、僕がナールを意識するようになったのは、1980年代中頃(道路標識採用より少し前)。テレビの字幕などでは、その頃から多用されるようになったかもしれない。
それより以前に、テレビの字幕でよく見て気になっていた書体があって、それも写研書体であることを、わりと最近知った。
改めて見回せば、今でも、多少はその文字を見ることができる。

1978年に日本アニメーションが制作し、NHKが放送した「未来少年コナン」というテレビアニメがある。宮崎駿、高畑勲らが手がけ、名作との声も多い。後にCSや民放でも放送され、僕は2000年代に初めて見た。なかなかおもしろい。
2012年にデジタルリマスターされ、現在は新型コロナウイルスで他番組製作が滞った埋め合わせとして、日曜深夜にNHKで再放送中。
エンディング。リマスターできれいだけど、画面サイズは横長にされた
未来少年コナンのオープニングとエンディングでも、キャスト・スタッフクレジットと歌詞として、その書体が使われている。
歌も名曲
なお、主題歌の曲名は、ナール(道路標識よりも太い?)。オープニング冒頭の原作の表示は、角ゴシック体。

僕がこの文字を意識したのは、このようなアニメのクレジットで。
1970年代の例えば「天才バカボン」などでは手書きだったが、その後で、この書体がよく使われ、1980年代にはナールにシフトしていった流れだと思う。
※後年の再放送やソフトでは、オープニング・エンディングを本編と違う時期のものに差し替えたり、字幕を入れ直しているものがある。
同じ日本アニメーションのフジテレビ世界名作劇場「家族ロビンソン漂流記 ふしぎな島のフローネ」でも、未来少年コナンとまったく同一の使い方(曲名、原作の使い分けも)。

テレビ朝日・シンエイ動画 「ドラえもん」も、たぶん1984年まではこの書体で、エンディングが「ぼくたち地球人」に変わった時にナールに変更された。
同じくテレ朝・シンエイで1983年から放送された「パーマン」も、少なくとも歌詞はこの書体で、そこでこの書体を意識させられた。「とおくでよんでる」の「と」。1画目が2画目に突き抜けているのに引きつけられた。
手書きや他の書体でもなくはないが多くはない、突き抜けた「と」。
あと、全体に柔らかくほわーっとしたような雰囲気も、他の書体(という概念を当時は知らなかったが)と違うと感じた。
当時を知る人はなんとなくご記憶かもしれないし、僕はとても懐かしさを覚える書体。

中学校の美術では明朝体と(角)ゴシック体だけで、こんな文字は習わず。ナールは、資料集に参考例としてちょっとだけ出ていた。
その後、ワープロ専用機の書体として、「丸ゴシック体」が搭載されるようになり、そういう書体群があることを知った。
この書体やそしてナールも、丸ゴシック体のくくりに含まれそうだなと思ったものの、当時はメーカーで書体が違うことなど知らなかったので、まだいまいちよく分からなかった。
2000年前後にパソコンフォントを知るようになっても、写研なのだからあるわけがなかった。

そして2010年前後、
(再掲)2018年の秋田県種苗交換会テレビCMより
一瞬、あの書体かと思ってしまうフォントを、広告などでちらほら見かけるようになった。似ているが複数のフォントがある。
ただ、細部はあの書体とは違い、独特の丸っこさがない。そもそも「と」が突き抜けていない。
上の画像はフォントワークス製「筑紫A丸ゴシック」。ほかに大日本印刷(モリサワ等が販売)「秀英丸ゴシック」も似た雰囲気。仮名だけだとモリサワ「丸アンチック」も。

その後、写植に詳しい方のサイトなどを拝見して、やっと、その書体名を知ることになる。
「石井太丸ゴシック体」か「石井中丸ゴシック体」。1958年と1956年に発表された書体。「石井」は写研創業者。
「石井細丸ゴシック体」も存在するが、「と」が突き抜けない。

「丸ゴシック体」という書体名は戦前から存在したがいったん途切れており、戦後に改めて広まった丸ゴシック体の源流が、この石井丸ゴシックということだそう。
でも、繰り返しだけど、後年の各種丸ゴシック体とは違う、柔らかさ。クセが強くなく、線はあっさりしている。
各文字内でパーツが中央に寄って(ふところが狭いと呼ぶそうだ)、ひらがなは「う」「く」など、カーブや折れが浅い。この点では視認性が劣るかも(ナールが勝る)。
ほかには「た」「な」の縦棒が反るようにカーブしていたり【15日追記・下画像の「れ」の縦も】、「ど」の濁点が下寄りで2画目の内側に収まっていたりが特徴的。
未来少年コナンオープニングで「ど」が出る
書体の名前は分かったが、今はもう(容易には)使えないとは寂しい。
ナールが今も出力できるのならば、「文字盤」と呼ぶらしい写植機にセットする各書体の原盤があれば、石井丸ゴも今も出力できるはず。でも、新しいものは見たことがない(書籍のポスターなど、近年の使用例もなくはないそうだ)。

ただ、昔はよく使われていただけに、再放送のテレビ番組のように、昔出力されたのが今も残るっている使用例なら、けっこう見かける。
また、大量に作り置きして、何年も使い続けるような表示板類では、写植衰退後に設置されたと思われる場所でも、たまに使われている。
押しボタン式信号機のボタン箱近くの「信号が青になってから~」表示板や「おまちください」ランプとか、古めの路線バス車内の「お降りの方はこのボタンを~」「危険ですからステップに立たないで~」プレートとか。※土地やメーカーにより違う。

1997年にできた、現・秋田駅舎。
自由通路の東口側と駅前交番付近、それに改札内通路と各ホームのエレベーターのボタンの横にある「ご注意」の金属板。
ここに石井丸ゴ
エレベーターの外にあるのに、非常ボタンの説明をしているのは、親切なんだろうか。
当時としても、このような注意書きを設置したエレベーターは少なかったと思うが、公共性の高い場所ということで、設置したのだろうか。下には点字もある。【15日補足・エレベーターメーカーが設置したのかどうか分からないが、秋田駅のエレベーターは三菱電機製だった。参考まで。】
2000年に延長された自由通路西端のエレベーターにはなく、近年、エレベーター周りがリニューアルされた改札内の一部でも撤去された。

国鉄~JRの鉄道車内の「非常用ドアコック」の説明パネル。車両によっては手書きだったり、モリサワの写植丸ゴシック体のものもあるが、
JR東日本新潟支社のキハ110-214(1993年製)は、
石井丸ゴ(太か中かは判断できません)
ちなみに、秋田支社の男鹿線用キハ40 575(1980年製だが、後年の改造時等に設置された可能性あり)は、
ナール。「係員の指示が~」の2行がない


最後に、最近知ってびっくりしたもの。
「ご利用明細」
ローソンに設置されている「ローソン銀行」のATMを、先月、考えてみれば初めて使った。
裏面「ご案内」
出てきた利用明細票をよく見て目を疑った。石井丸ゴでは?!

今は、白い用紙をセットして、発行時に項目名や罫線もまとめて印字するATMが多いが、これは昔ながらの線や項目をあらかじめ印刷する方式の明細票だった。裏面には注意事項など「ご案内」も印刷される。地方銀行では今も一般的だが、コンビニATMでは珍しいのでは?
ピンク印字の表面も、グレー印字の裏面も、すべて石井丸ゴ。タイトルが太丸、項目名や本文が中丸かな?
書体以前に、表にも裏にも「ローソン銀行」とどこにも表記されないのは、ATM明細として珍しいと思う。これじゃあ、問い合わせる時に困りそう。

ローソン銀行は2018年、準備段階でも2016年発足という新しい企業だが、銀行名表記がないということは、それ以前から存在した用紙の可能性がある。
ローソンに独自ATMが置かれたのは2001年だそうだし、あるいは同じ機種のATMを使う、他の銀行と共通の用紙なのかもしれない。写植による原稿としては相当以前に作成され、版を重ねて今も残っているのかもしれない。残る時は残るもんだ。

変える必要性は高くはないと思うが、印刷の色と相まって、この書体では少々見づらい気もする。
それ以前に、別のローソン銀行ATMでは、真っ白い紙方式(裏面案内なし)だったから、ATM自体が交換されるほうが先かも。
ネット銀行・コンビニATMという21世紀に広まったものに、写研書体・石井丸ゴという20世紀で役割をほぼ終えたものが共存しているのだった。
【15日追記】パソコン用フォントとして、他社から石井丸ゴシック体に似た製品が相次いで発売されていることは、こういう古典的な(?)丸ゴシック体も必要とされているということだ。実際、昔のような掲示・表示類ではほぼ見ないので用途は狭まっているものの、出版物や広告ではよく使われ、需要は維持されている。

秋田市内でたまに見かける石井丸ゴについて、さらに別の写研書体について、いずれまた

【19日追記】フジテレビ「ひらけ!ポンキッキ」の歌の映像(アニメ)に表示される歌詞でも、1970年代後半には石井太丸ゴシック体が、大きめのサイズで使われていた。
1975年「およげたいやきくん」、1976年「パタパタママ」と「ホネホネロック」、1978年「まる・さんかく・しかく」と「パップラドンカルメ」では使われている。
なお、「~たいやきくん」のカップリング曲(B面だが実質両A面扱い)の「いっぽんでもニンジン」の(ここ数十年で見たことがある)映像は、アニメが鮮明なので後年に作られたのか、書体も小さめのナール。
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