田神六兎の明るい日記帳

田神六兎の過去、現在、そして起こるであろう出来事を楽しく明るくお伝えします。

マンション管理組合のコミュニティ条項削除か

2015年04月15日 | 仕事
 SankeiBiz『マンション管理新規約で組合激震か・・・』によると、国土交通省が、マンション管理組合の考えにある「コミュニティ」という言葉を、新たな標準管理規約案から 削除する考えだ。さまざまなトラブルに対処する『マンション自治』を担ってきた管理組合から、その役割が取り払われることになる。管理組合団体の猛反発を押し切った格好となり、漂流するマンション自治はどこへ向かうのかと記事は続くが、私は「なるにしてなったこと」であると現実的に思う。 
 
 記事では「マンション管理組合といえば、日常的に発生するマンション内のトラブルやもめ事の解決へ向けた調整などを担っている。例えば生活音、水漏れ、悪臭など住民間で処理できない問題を、両者の間に入って調整することなどだ。もちろん、こうした対応は、管理組合の理事長や理事が調整するのだが、日常的に発生するこうした問題も、住民同士でコミュニケーションがとられているとスムーズに事は収まる」と書かれているが、あまりに綺麗ごとしか書かれていない。記者にマンション居住経験があるのか疑う。
 
 私は結婚して41年、新婚の2年が借家住まい、以後はマンション住まいである。住んだマンションは全て画一平面マンション、すなわち全戸が同じ広さ、同じ平面であった。これでも格差が生まれ、自家用車や家具で収入が推し量られ、身分不相応の買い物を強いられる人もあった。現在主流のマンションは、最上階に億ションを配置しジグソーパズルのような平面で、タイプ別に販売されている。既に入居時に明らかな格差が生じているからこそ、販売達成ができるのである。建築物内に元麻布、田園調布、白金台があるのだ。
 
 マンション住人は壁一枚、床一枚で他家と接している。数十センチの隔たりがある敷地境界線を挟んではいない。このわずかな隔たりが格差の隔たりである。住民は決して認め合えない仲、挨拶する程度の仲、依存しあう仲を造り、それぞれが異なった価値観を持つことから、人種は一挙に増え、コミュニティ形成は遠のく。
 
 些細な争いこそが紛争の種となり、声が大きく恥を感じない心が結果的に修理費をせしめたり、管理費を使わせる、いわゆる他者に何かをさせることが正義であり、勝者と思う勘違い。
 
 争いを見聞きし、嫌気を感ずる者が大半であり、転売を考えたり、転居したり、ひきこもりとなり、ますますコミュニティ形成は不可能である。これこそが”住人のスラム化”である。
 
 なぜこのような事態に陥ったかを考えれば、住環境の整備を望みつつも、自治会や管理組合に頼る他力本願であったこと、些細なこと一つ一つにも評論を加えたがるテレビ的人間が増えたことに加え、格差社会において最下層に思われることに決して我慢ができない人が増えすぎたことが最大の原因である。まさに日本社会の縮図である。
 
 解決の糸口は簡単には見つからない。日本人として物の見方考え方を変え、古い日本人に回帰すれば簡単であろうが難しい。もしくは住民統一の共通の敵を見つければ良いが、これこそが真に恐ろしいことであると私は思う。

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