Sketch of the Day

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ブルックナーごときにしてやられてしまう実景の不甲斐なさについて

2009-12-15 | Media


新幹線で浜松駅を出発するとほどなく車窓には田園地帯が広がる。本を読むほどの気力もなく、といって眠ってしまうほどに疲れていたわけでもなかったので、何の気はなしにiPhone/iPodでブル8(このときは確かテンシュテット/LPOの1981年ロンドンライブ)をセレクトした。アダージョからフィナーレへ。いきなり音楽の世界に引きずり込まれる。視界に飛び込んでくる田園風景はあって無いようなもので、音楽が表象する意境を前に実景は不甲斐なく消え去ってゆく。むろん、人によって、ロックや流行歌、ジャズやR&B、アンビエントその他諸々、ジャンルを問わずあっちの世界に連れて行ってくれる音楽というのはそれぞれあるだろう。だから別段クラシックが一番とか、ブル8が一番というつもりは毛頭ない。

しかし、では、クラシックというジャンルにおいてそのような楽曲はなにかと考えてみると、一つにはブル8をあげることに大方の異論はあるまい。超弩級のぶっ飛び音楽なんである。そのくせ、ブルックナーというのは、(演奏によっては)スペクタクル映画やファンタジー系の映画音楽の如く、壮大ではあるけれども妙に俗っぽく響いてしまうこともままあり、けっこう難しいと思う。そんなこんなで久しぶりにブル8に浸っていたところ、とんでもないCDが登場した。シモーネ・ヤング/ハンブルグ響のブル8である。スケールはでかい。でかいがやはりどこか男性指揮者のそれとは異なる。こーゆーマニアックなオタク音楽に女性がまともに取り組んでいる、いや、軽くいなしているのかもしれない。そこがカッコよくもある。

それはそれとして、、、音楽なんか聴いてられっかよ、って気にさせる実景がほんとうに少ねぇ~な、この国は。