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占守島・戦没者の慰霊祭開かれる慰霊祭

2019-08-18 23:31:09 | 呆れる

占守島・戦没者の慰霊祭開かれる慰霊祭

終戦直後、北千島の占守島で、旧ソビエト軍との戦闘のため戦死した旧日本軍の兵士らの慰霊祭が札幌で開かれました。

千島列島の最も東にある占守島には、1945年8月18日に旧ソビエト軍が上陸、武装解除を始めていた旧日本軍との間で激しい戦闘が行われました。
日ソ両軍の死傷者はおよそ3000人にのぼります。
遺族の高齢化が進んだことから、18日の慰霊祭は戦死者の遺族以外も参加できるかたちで開催され、自衛隊関係者やシベリアに抑留された兵士の遺族らも参列しました。
主宰した「慰霊の会」は、来年7月に占守島で遺族以外も参加できる慰霊祭を開く予定です。
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北方領土よりまだ北、最果ての地に占守島があります。
 
この地で1945年8月18日にソビエト軍が上陸し日本軍を攻撃しました。
 
それが占守の戦いです。
 
この戦いを知ったのは浅田次郎の小説「終わらざる夏」でした。
 
それが今から9年ほど前です。
 
 
ソ連は油断ならない国です。
 
そして不気味な国です。
 
日本との不可侵条約がありながら一方的に破棄したソ連。
 
また日本のポツダム宣言受諾後の8月18日に千島列島最北端の占守島に奇襲攻撃したのです。
 
卑怯極まりないです。
 
 
Wikiによると
 占守島の戦い(しゅむしゅとうのたたかい)は、太平洋戦争終戦後(もしくは終戦準備・戦闘停止 期間中)の1945年(昭和20年)8月18日 - 21日に、千島列島東端の占守島で行われたソ連労農赤軍と大日本帝国陸軍との間の戦闘である。ポツダム宣言受諾により太平洋戦争が停戦した後の8月18日未明、日ソ中立条約を一方的に破棄(8月9日)したソ連軍が占守島に奇襲攻撃、ポツダム宣言受諾に従い武装解除中であった日本軍守備隊と戦闘となった。戦闘は日本軍優勢に推移するものの軍命により21日に日本軍が降伏し停戦が成立、23日に日本軍は武装解除された。捕虜となった日本兵はその後大勢が法的根拠無く拉致され、シベリアへ抑留された。


 
また北方領土返還も遠のいた感が強いです。
 
ロシア相手では油断大敵です。
 
火事場泥棒的な事を平気でするのがロシアです。
 
生半可な気持ちで、そして楽観的な気持ちで対応していたら、いつまで経っても北方領土は返還されないでしょう。
 
ロシアが経済的に困窮している時しかチャンスはないと思います。
 
憲法9条を平和憲法だと崇めている内は外国から舐められ、いい様に利用されます。
 
武力行使も辞さない気持ちでないと返還されないでしょうし、
 
経済協力の名の下、日本の援助金だけ持って行かれそうです。
 
武力行使は現実的ではありません。
 
それ以外では日本国民一丸となり、大々的なキャンペーンやデモがない限り返還は夢のまた夢です。
 
綺麗ごとを言っても始まりません。
 
交流は今以上に盛んになっても領有権となるとそうは簡単にはいかないと思います。
 
 
占守の戦いはあまり知られていません。
 
そんな戦いが終戦直後にあった事をもっと多くの日本人、そしてロシア人に知ってもらいたいです。

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