普天間返還合意19年:沖縄と政府、認識に差(沖縄タイムス) - goo ニュース
2015年4月12日(日)13:00
橋本龍太郎首相とモンデール駐日米大使の普天間飛行場返還合意から19年、同飛行場の名護市辺野古への移設問題で、県と政府の対立が深まっている。翁長雄志知事と菅義偉官房長官の5日の会談で浮かび上がったのは、普天間問題の原点をめぐる認識の違いだ。目の前の「危険除去」を訴える菅氏に対し、翁長氏は沖縄戦にさかのぼり、苦悩の歴史をひも解いた。(政経部・福元大輔)
菅氏は政府の考え方として、市街地の中心部に位置し、住宅や学校に囲まれた普天間の危険除去が原点と説明する。中国公船の尖閣諸島周辺への侵入を例示し、「安全保障環境が厳しい中、国民の安全を守るのは国の責務。危険除去と日米同盟の抑止力の維持を考えた時、辺野古移設が唯一の解決策」と結びつける。
また、「辺野古断念は、普天間の固定化にもつながる」と、くぎを刺した。
果たしてそうだろうか。
危険除去が原点なら、19年もの時間を費やし、さらに完成まで9年以上かかる辺野古移設を「唯一の解決策」と言えるのか。2004年に墜落事故の発生した飛行場を、辺野古が駄目だったら固定化すると口にできるのか。海兵隊の抑止機能や沖縄に駐留する軍事的な合理性はあるのか。
翁長氏をはじめ、県民の多くに、そんな疑念がくすぶっている。(後略)
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普天間返還移設日米合意から19年。
沖縄県自治体と政府が移設先を辺野古沖と表明から16年。
・普天間飛行場のある宜野湾市議会が県内移設要望、
・沖縄県知事が移設先は名護市辺野古地区と発表、
・名護市受け入れ表明
・移設先をキャンプシュワブの辺野古沖にすると閣議決定。
日米政府、沖縄県、宜野湾市、名護市の関係国、関係自治体が合意したのにも拘らず
未だに迷走している普天間移設問題。
民主主義国家として恥ずかしい。
かの国が50年前我が国と政府間合意をしているのにも拘らず、
謝罪だ、賠償だと執拗に要求していますが
辺野古移設もあれに似ています。
これらの混乱は日本政府の過剰な配慮と優柔不断から来ているのではないでしょうか。
沖縄県にはアメリカの占領を許した政府の負い目から
申し訳ないという気持ちが強すぎたのでしょう。
橋本政権時に沖縄県の人達に交渉し、最大限希望を聞き決まった事なのに
その後あの小泉首相が橋本氏の苦労を知ってか知らないか
移設先の見直しを言い出して、結局はその目途もなく振り出しに戻った事もあったようです。
この時も沖縄県の方々に無用な期待を持たせたのではないでしょうか。
そうこうするうちに、民主党政権が始まりあの卓袱台返しです。
あの時も、日米合意や自治体の容認があったのに
「自民党とは違う」と妙な対抗意識で、何とか辺野古移設を反故にしたいと、
名護市長選の結果を見たいとか言い、ズルズルと時間稼ぎでした。
で名護市長選では僅差で反対派が勝ちまちたが 県外や国外で適地がある筈がありません。
そもそも直近の民意を尊重しろと反対派は言いますが
そんな事をしていたらいつまで経っても決まらない、危険は除去できないで堂々巡りです。
今までの経緯を振り返ると、第一に小泉首相の「辺野古移設の見直し」という軽率な考え、
そして民主党政権での「最低でも県外」発言の無責任さ、
あの二つがこの複雑な問題を引っ掻き回してしまったのです。
実は松沢神奈川県知事(現次世代の幹事長)が民主党への政権交代3か月後に
普天間移設計画見直し論について「1~2年費やせば沖縄の議論が反対運動に変わり、(移設問題が)宙に浮いてしまう」
と今の状態を見事言い当てています。
民主党政権時の外交の失敗により、当時より今の方が断然中国の脅威が迫っています。
普天間の危険の除去と、中国の脅威への抑止力の為には現政権は過去の過ちを反省し、
辺野古移設に向けて着々と計画通り、工事を進めてるべきでしょう。
それが沖縄を、そして日本全土を守る事になると沖縄県民そして日本国民は理解するべきではないでしょうか。