【両陛下パラオご訪問】「慰霊の旅」の集大成 示された「覚悟」(産経新聞) - goo ニュース
2015年4月9日(木)23:02
日本軍約1万人が犠牲になったペリリュー島の最南端に建てられた「西太平洋戦没者の碑」。両陛下は日本から持参した白菊の花束を手向け、深々と一礼された後、海の先に望むアンガウル島にも拝礼された。
日本軍約1200人が命を落としたアンガウル島への拝礼は、ご訪問直前に天皇陛下のご意向で急遽(きゅうきょ)予定に入れられた。この機会に、より多くの英霊の鎮魂を祈り、思い残すことがないように務めを果たされる強い決意が垣間見える。
疎開体験を原点に、平和への思いを高めてこられた両陛下。沖縄戦の組織的戦闘終結の日(6月23日)、広島、長崎の原爆の日(8月6、9日)、終戦の日(同15日)を「忘れてはならない」4つの日として挙げ、戦後50年の平成7年、広島、長崎、沖縄、東京・下町の戦地を巡る初めての「慰霊の旅」を行われた。
次いで、そのお心は「祖国を守るべく戦地に赴き、帰らぬ身となった人々」(8日のパラオ訪問ご出発前のお言葉)に向けられる。戦後60年の17年6月に初の海外での慰霊を米自治領サイパンで果たされた。
だが、側近が「両陛下のお気持ちは不変」と強調する通り、ほかの島々での戦没者への思いも持ち続けられた。サイパン訪問後の17年12月のお誕生日会見で陛下は「心の重い旅でした」と述べられたが、両陛下ともに80代となって迎えた戦後70年の節目はとりわけ重い。
サイパンから両陛下が年齢を重ねられたのと同じく、生還者や遺族も高齢化が進んでいる。パラオご訪問を前に、両陛下がペリリュー島の戦いの「生の証言」をお聞きになれたのはわずかに2人だった。
パラオご訪問は集大成の一つではあるが、「サイパンの後にパラオ、パラオが終わったら次のことをお考えになる。両陛下の戦没者慰霊のお気持ちに終着点はない」(宮内庁幹部)。9日夜、羽田空港に戻られた両陛下を、その思いを引き継ぐ皇太子さま、秋篠宮さまが出迎えられた。
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天皇皇后両陛下は戦後60年のサイパン島への旅に続き
戦後70年の今年パラオへ慰霊の訪問をされ昨日帰国されました。
戦地で亡くなられ、祖国への帰還が叶わなかった日本軍兵士たち。
「次は靖国で会おう」と言って戦地に赴き、「天皇陛下万歳」と叫んで亡くなったと聞きます。
天皇陛下のご年齢から考えると今後の慰霊の旅は困難でしょうから
今後は是非靖国神社へのご親拝で英霊を慰めて頂けたらと思います。
昭和天皇は1975年を最後に靖国神社へご親拝をされていません。
これはA級戦犯が靖国神社に合祀したからと言われていますが
靖国神社への親拝が外交問題になるのを懸念してのご判断だったのではないでしょうか。
というのも1952年に国会で全会一致で戦犯の名誉回復が議決しているので
その頃にはA級戦犯はもう存在しないからです。
今後天皇陛下が靖国神社に容易にご親拝して頂くように、
国会議員そして首相が少なくとも年一度は参拝し良き前例を作ってもらいたいです。
中国と韓国が内政干渉してきても、頑として撥ね付ける強さを持ってもらいたい。
そうしないと、天皇陛下の靖国親拝は叶わないでしょう。
宮内庁はご高齢の天皇陛下の後を皇太子殿下や秋篠宮殿下に受け継がれると言っていますが
どうなんでしょうね。
皇太子殿下にそのような強い意志がおありなんでしょうか。
もしおありなら、ご高齢の天皇陛下の公務をもっと軽減される事をお考えになられると思いますが
その意思が感じられず、今後の皇室がどうなるのか心配です。
ご高齢でご体調が万全でない中、強行スケジュールに宿泊場所でした。
今後宮内庁はもっと天皇皇后両陛下のご負担を軽減する事を考え
徐々に公務を皇太子殿下へ移された方がいいのではと思います。
ただ、ご結婚後の皇太子殿下を見ていると、失礼ながらちょっと不安もあります。
もう少し、次期天皇陛下としてのご自覚をお持ちになった方がいいのではないか
と思うのは 私だけでしょうか。
天皇皇后両陛下がご無理をされないよう、皇太子ご夫妻にはもう少し察してもらいたいところです。