>>たーさん、神様に今すぐ安楽死したいかと聞かれたら迷わず、はい、と答えます。でも、病気になる前より今の方が強く幸せを感じます。矛盾だらけです
上の言葉は、ここで時々ご紹介している僕の友人(ALSでの闘病中)から、僕のコメントに対する返事です。
将来に希望が無いと落胆していた友人ですが、ご長男の婚約という喜びの中で、生きる目的がおぼろげながら少しハッキリしてきた様に思えます。
友人は今まで、自分はALSと云う不治の病だしアルツハイマーの母親を抱えた家庭に、長男の伴侶となる女性は現れにくいと云う気持ちで自分の身をを呪っていた様に感じました。
しかし献身的なご家族の看護により、冒頭のコメントのコピーにもあるように【病気になる前よりも強い幸せ】を感じられるまでになれました。
けれども友人は、まだ安楽死から決別したのではありません。
冒頭の友人の言葉は、僕にもはっきりと説明できませんが、不自由な身の自分の命のタイムリミットがせまっている中で、家族や教え子達に励まされながら行き続ける事が出来る幸福感の複雑な心境を端的に表している文章だと思います。
人は誰でも限りある命です。
命の炎がいつ消えるかは、殆んどの人は意識しないで生活しています。
またその生活の中では多少の不満や不自由さはあっても、彼みたいに食事から排泄まで他人の世話になり、そして涙を拭うことすらも自分で出来ない様な制限された生活ではないと思います。
しかし友人は、殆んど全ての何気ない動作まで自分の意思では何も出来ない中で生活し、命の炎が消えて行く過程を自分で確実に感じているのです。
その様な過酷な生活の中でのご長男の婚約は、彼に生きる希望を与えてくれたのは事実な様です。
安楽死の議論の中で、健常者が自分の価値観を難病患者に押し付けたり命の尊さを説いたりするよりも、もっと根本的な人間の尊厳に対する考えを深める必要があると感じる今日この頃です。
僕は安楽死(尊厳死)を積極的に肯定もしませんし否定もしませんが、患者の意思を最も大切にしなくてはならないと思います。
最後に、僕の友人が命が消えるまで希望を持ちながら生きていられる事を強く祈ります。