たーさんの世界(意地悪じーさん)

ようこそ たーさん珈琲へ。
この珈琲は見るだけですのでお代は要りません。

よく休めました。

2010年05月23日 | Weblog
昨日と一昨日は殆んど家に居ました。

お陰でシッカリ休む事が出来ました。

明日からは、また仕事に頑張ります。

最近は年齢のせいか、それとも病気のせいなのか分かりませんが、少しでも時間があれば休息する事にしています。

MGの皆さんそして僕と同じぐらいの年齢の皆さん明日からもマイペースで頑張りましょう。

ではおやすみなさい。

民主党は共産主義的官僚支配政党

2010年05月23日 | Weblog
最近思う事は、民主党は北朝鮮や中国のような共産的な官僚支配政党だと感じます。

ご存知の様に中国北朝鮮は言論統制を行い、支配階級に都合の悪い発言や人間を封じ込めています。

小沢幹事長の責任問題を誰一人として取り上げない民主党は、正しく共産主義的政党と言っても過言ではありません。

小沢さんは時として民主主義を前面に押し出した発言をしますが、一体何処が民主党の理想とする民主主義なんだろうか。


僕等が学校で習った民主主義とは、簡単に言うと多数決の原理が働く国民主権の国家だと習ったように覚えています。

民主党内では小沢幹事長に対する責任問題は誰一人として取り上げないし、宮崎の口蹄疫問題では国民をそっちのけで外遊する閣僚ばかりが目立ちました。

これからの日本国民は、自分たちの生活は自分達で守るしか方策は無いのだろうか?

自民党議員が堕落した貴族階級であるならば、民主党は官僚的な特権意識階級だといっても過言では無いように思います。


このままでは、日本の将来が危ぶまれます。








未来予想

2010年05月23日 | Weblog
報道によると、水道の大口利用者離れが始まっているようだ。

それは技術の向上で、地下水を利用するようになったかららしい。

飲料水も美味しく作れるので、水道の利用率が減った自治体もあるとのこと。

そこでたーさん企画では、未来の生活を予想してみた。


僕等が学生の頃は、電話を屋外で利用するなんて考えもしませんでした。

しかし最近は携帯電話は当りまえになり、テレビ電話も普通になりました。

その他、自動車の普及も目を見張ります。


ここで50年先の生活を考えてみます。

今は水は蛇口から、電気は電線から、ガスはガス管からが基本ですが、先ほども言った様に水道水に限らず、電機もガスもそれぞれの家庭で賄うようになるかも知れません。

今でもソーラー発電はありますが、まだまだその能力には制限があり高額でもあります。

しかし近い将来に画期的なソーラーシステムが発明されると、安価で能力の高いソーラーが各家庭に取り付けられるのが一般的になると思います。

その場合 今はガスで煮炊きをしていますが、将来は全てソーラーによるオール電化が普通になると思います。

それこそ化石燃料の二酸化炭素による地球温暖化が問題になっている現在、今よりも太陽熱の有効利用が当りまえになると思います。

残念ながらたーさん企画のメンバーは、50年後の日本を見届ける事が出来ません。

少なくとも百年後には、そうなっているんじゃあないかなァ。


たーさんのそこまで言って委員会

2010年05月23日 | Weblog
今日のたかじんのそこまで言って委員会を観ていたら、韓国軍艦の魚雷事件が日本の自衛隊艦に向けて発生したらどうなるかと、今日の午前中に書いた話題と同じものがありました。

時間的には極短いものであり、出演者のコメントもあまり深い事が聞けませんでしたが、僕のモノの見方に対して少し勇気が湧きました。

それはテレビと云う媒体と同じ傾向にあるという事でなく、あの面白い番組と似たような感覚にあると云う一つの自己満足の様なものでです。

今日の【もしも】の投稿で書いた様に、日本の政治家は全く平和ボケしています。

戦争でなくても口蹄疫牛の問題にしても、あのバカ赤松は国民が切羽詰った状況に置かれる事も予想できないのか、外国に外遊されていたようです。

何処かの地方議員が【腹を切れ!!】と自信のブログで書いた様ですが、確かに不適切な表現と批評されても仕方ないような言葉ですが、議員でもなく何の権力も持たないたーさん企画のブログでは、もっと過激な言葉を言いたいところです。

腹を切る事は、武士の情けで許されるケジメである。

バカ赤松にはその様なケジメも許されない

ヤツは、これからものうのうと農水大臣を続けるつもりなのか

やはり、旧社会党出身者にはろくなヤツはおらん。


我々は、とんでもない政党を選んでしまったかも知れない。


娘へ

2010年05月23日 | Weblog
娘のブログを覗いたら、慣れない裁縫をしてる様子が書かれていました。

今までそんな経験は殆んど無いから、始めはうまく行かないのは当りまえだと思います。

でも結婚に向けて娘が一生懸命に努力している姿に、僕は大きな花丸をあげたい気持ちです。

もうしばらくすると新米の奥さんになり、次は新米のお母さんになれるかも知れません。

愛する人と人生の喜びや悲しみを分かち合える様になって欲しいと、お父さんとお母さんは祈っていますヨ。

友人からのコメント

2010年05月23日 | Weblog
>>たーさん、神様に今すぐ安楽死したいかと聞かれたら迷わず、はい、と答えます。でも、病気になる前より今の方が強く幸せを感じます。矛盾だらけです


上の言葉は、ここで時々ご紹介している僕の友人(ALSでの闘病中)から、僕のコメントに対する返事です。

将来に希望が無いと落胆していた友人ですが、ご長男の婚約という喜びの中で、生きる目的がおぼろげながら少しハッキリしてきた様に思えます。

友人は今まで、自分はALSと云う不治の病だしアルツハイマーの母親を抱えた家庭に、長男の伴侶となる女性は現れにくいと云う気持ちで自分の身をを呪っていた様に感じました。

しかし献身的なご家族の看護により、冒頭のコメントのコピーにもあるように【病気になる前よりも強い幸せ】を感じられるまでになれました。

けれども友人は、まだ安楽死から決別したのではありません。

冒頭の友人の言葉は、僕にもはっきりと説明できませんが、不自由な身の自分の命のタイムリミットがせまっている中で、家族や教え子達に励まされながら行き続ける事が出来る幸福感の複雑な心境を端的に表している文章だと思います。

人は誰でも限りある命です。

命の炎がいつ消えるかは、殆んどの人は意識しないで生活しています。

またその生活の中では多少の不満や不自由さはあっても、彼みたいに食事から排泄まで他人の世話になり、そして涙を拭うことすらも自分で出来ない様な制限された生活ではないと思います。

しかし友人は、殆んど全ての何気ない動作まで自分の意思では何も出来ない中で生活し、命の炎が消えて行く過程を自分で確実に感じているのです。

その様な過酷な生活の中でのご長男の婚約は、彼に生きる希望を与えてくれたのは事実な様です。


安楽死の議論の中で、健常者が自分の価値観を難病患者に押し付けたり命の尊さを説いたりするよりも、もっと根本的な人間の尊厳に対する考えを深める必要があると感じる今日この頃です。

僕は安楽死(尊厳死)を積極的に肯定もしませんし否定もしませんが、患者の意思を最も大切にしなくてはならないと思います。


最後に、僕の友人が命が消えるまで希望を持ちながら生きていられる事を強く祈ります。