顔に似ぬ発句も出でよ初桜 芭 蕉
『蕉翁全伝』の伝えるところによると、『続猿蓑』撰集の際、「句の仕方、人の情」などについて、土芳と意見を交わした際に生まれた作という。
さらに、『三冊子』によれば、「顔に似ぬ発句も出でよ」という五七がまず発想され、それを承けて座五にすわる季語として、「初桜」が「位よろし」として決定されたものという。この五七は、後に述べるように、白楽天を意識においたものであろうが、そのことを超えて、いわゆる呼びかけをふくんだあたりに、俳諧特有の心のはずみを生かそうとしたものであったと思う。
「顔に似ぬ」も、ここにあるユーモアを感ずべきである。そうした五七の心のはなやぎに対して、「初の字の位よろし」ということがいわれているわけなのである。
「顔に似ぬ……」は、白楽天の「巫女廟ノ花ハ紅ニシテ粉(ほほ)ニ似タリ 昭君村ノ柳ハ眉ヨリモ翠ナリ 誠ニ知ンヌ老イモテ去(い)ンデ風情ノ少キコトヲ 此ヲ見テハ争(いかで)カ一句ノ詩無カラム」(和漢朗詠集)を踏まえる。
季語は「初桜」で春。その春はじめて咲く桜のことで、連歌以来の季語であるが、この句の「初」には、初めて咲く意のみでなく、初々しい感じをふくめて賞美の心がこもっている。
ちなみに、今日22日、東京に桜の開花宣言が出た。昨年より一日遅く、平年より六日早いという。
「初桜のういういしく咲き出でた、この景色に対していると、老いに向かっているこの
人々の、その顔に似ない、若々しい発句もひとつ生まれてほしいものだ」
父の顔はるかに遠し彼岸寺 季 己
『蕉翁全伝』の伝えるところによると、『続猿蓑』撰集の際、「句の仕方、人の情」などについて、土芳と意見を交わした際に生まれた作という。
さらに、『三冊子』によれば、「顔に似ぬ発句も出でよ」という五七がまず発想され、それを承けて座五にすわる季語として、「初桜」が「位よろし」として決定されたものという。この五七は、後に述べるように、白楽天を意識においたものであろうが、そのことを超えて、いわゆる呼びかけをふくんだあたりに、俳諧特有の心のはずみを生かそうとしたものであったと思う。
「顔に似ぬ」も、ここにあるユーモアを感ずべきである。そうした五七の心のはなやぎに対して、「初の字の位よろし」ということがいわれているわけなのである。
「顔に似ぬ……」は、白楽天の「巫女廟ノ花ハ紅ニシテ粉(ほほ)ニ似タリ 昭君村ノ柳ハ眉ヨリモ翠ナリ 誠ニ知ンヌ老イモテ去(い)ンデ風情ノ少キコトヲ 此ヲ見テハ争(いかで)カ一句ノ詩無カラム」(和漢朗詠集)を踏まえる。
季語は「初桜」で春。その春はじめて咲く桜のことで、連歌以来の季語であるが、この句の「初」には、初めて咲く意のみでなく、初々しい感じをふくめて賞美の心がこもっている。
ちなみに、今日22日、東京に桜の開花宣言が出た。昨年より一日遅く、平年より六日早いという。
「初桜のういういしく咲き出でた、この景色に対していると、老いに向かっているこの
人々の、その顔に似ない、若々しい発句もひとつ生まれてほしいものだ」
父の顔はるかに遠し彼岸寺 季 己