壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

水の色

2010年03月11日 22時51分08秒 | Weblog
        白魚やさながらうごく水の色     来 山

 出典は『続今宮草』。この中で泉石は、
    「いふたりやいふたりやこの句についておもへば、白魚といふ名さへくちをし。
     煮て後なれば也。此の魚は只水いろにこそ」
 と、評している。
 元禄五年(1692)刊の『きさらぎ』に、下五を「水の魂(たま)」とするが、おそらくそれが初案であろう。

 「白魚」は、細長い、10センチほどの半透明の小魚。寿命はわずか一年。ふつう、秋から春の終わりまで食用とされるが、食べ頃は春である。
 白魚の名は、煮ると白くなるところから来ているが、水中にある時は、水と融け合ってしまうかに見える。こうした白魚の特色を、うまくとらえた句だと、泉石はいっているのだ。まことに適切な批評である。
 初案の「水の魂」だと、神秘性は感じさせるが、やや趣向の凝らしすぎの感がある。「水の色」とすれば、鋭い感覚でとらえられた素直な佳句ということができる。

 季語は「白魚」で春。

    「水面近く泳ぐ白魚は、水の色と融け合って、その動きはまるで
     水そのものが、動いているように見えることだ」


      白魚のこぼれて透きし畳の目     季 己