春もややけしきととのふ月と梅 芭 蕉
画賛として発想された作と考えられるが、春のほのかな充実への推移が、たしかな観照の眼でとらえられている。冬の気分から、丹念に見据えられていた季節の呼吸が感じられ、悠揚せまらぬ位を備えて口調もまた優雅である。
しかし、このたおやかな調子は、観照の裏づけを欠いた場合には、月並のゆるみへ転落する危険を蔵していることも否定できない。
元禄六年一月中旬、許六亭における俳画の遊びの際の画賛であろう、といわれている。
「やや」は、時間的推移をふくめて、ようようというほどの意に解したい。
「けしきととのふ」とは、春らしい気色がととのってきた感じをいう。深い観照に裏づけられた把握である。
「春」・「梅」ともに春季をあらわすが、「梅」がよくはたらいている。
「冬の名残の著しかった春も、うるんだ月や咲き初めた梅によって、ようよう春らしい感じが
ととのってきたことだ」
おもひ出のやうに像あり花固し 季 己
画賛として発想された作と考えられるが、春のほのかな充実への推移が、たしかな観照の眼でとらえられている。冬の気分から、丹念に見据えられていた季節の呼吸が感じられ、悠揚せまらぬ位を備えて口調もまた優雅である。
しかし、このたおやかな調子は、観照の裏づけを欠いた場合には、月並のゆるみへ転落する危険を蔵していることも否定できない。
元禄六年一月中旬、許六亭における俳画の遊びの際の画賛であろう、といわれている。
「やや」は、時間的推移をふくめて、ようようというほどの意に解したい。
「けしきととのふ」とは、春らしい気色がととのってきた感じをいう。深い観照に裏づけられた把握である。
「春」・「梅」ともに春季をあらわすが、「梅」がよくはたらいている。
「冬の名残の著しかった春も、うるんだ月や咲き初めた梅によって、ようよう春らしい感じが
ととのってきたことだ」
おもひ出のやうに像あり花固し 季 己