神垣やおもひもかけず涅槃像 芭 蕉
この句は、心・詞ともに『金葉集』に、
郁芳門院伊勢にましましける時、六条右大臣の北の方あからさまに
くだりて侍りける時、思ひかけず鐘の声のほのかに聞えければ詠める、
神垣の あたりと思ふに ゆふだすき
思ひもかけぬ 鐘の声かな
とあるのを踏まえている。
句の「おもひもかけず」の語が、踏まえた歌よりもずっと生動している。歌や和漢の詞句を利用しても、それが芭蕉によって異質のものに昇華されている好例であろう。和歌によって流されてしまわぬところが力である。和歌の中では、三十一音のゆるやかな抑揚の中で、「おもひもかけぬ」もゆるやかなながれをなしていたのである。だが、俳諧に入れると五音の下に小停止があり、下五がまた静かな調子になっているので、「おもひもかけず」が、ぐっと表に出てくるのである。
こうしてみると、短歌の調べは五音と七音の上を流れ去り、詠じ終わってもその流れはその方向のままに流れてゆくが、俳諧のそれは、ふたたび上へ反響してゆくものであることが感じられる。
「神垣(かみがき)」は、「神籬(かみがき)」で神域内の意。真蹟の前書きによると、ここは伊勢神宮の外宮である。当時は、両部神道の行なわれた後であるから、神仏混淆の余風が外宮の館にも見られたのであろう。
「涅槃像」は、釈迦の入滅の画像で、涅槃会(二月十五日)に拝する。野晒(のざらし)の旅の時は僧形であるからというので、神前に至ることを拒まれた経験があるくらいだから、神域内で涅槃像を見たのは、思いもかけないことだったのである。
季語は「涅槃像」で春。神域で涅槃像を拝した意外の感が、発想の契機になった詠み方。
「二月十五日、伊勢の外宮に詣でたところが、折しも涅槃会(ねはんえ)にあたって、神域にも
かかわらず、はからずも釈迦涅槃の像を拝することができて、思いもかけないことであった」
産み月のひとのひとこと涅槃像 季 己
この句は、心・詞ともに『金葉集』に、
郁芳門院伊勢にましましける時、六条右大臣の北の方あからさまに
くだりて侍りける時、思ひかけず鐘の声のほのかに聞えければ詠める、
神垣の あたりと思ふに ゆふだすき
思ひもかけぬ 鐘の声かな
とあるのを踏まえている。
句の「おもひもかけず」の語が、踏まえた歌よりもずっと生動している。歌や和漢の詞句を利用しても、それが芭蕉によって異質のものに昇華されている好例であろう。和歌によって流されてしまわぬところが力である。和歌の中では、三十一音のゆるやかな抑揚の中で、「おもひもかけぬ」もゆるやかなながれをなしていたのである。だが、俳諧に入れると五音の下に小停止があり、下五がまた静かな調子になっているので、「おもひもかけず」が、ぐっと表に出てくるのである。
こうしてみると、短歌の調べは五音と七音の上を流れ去り、詠じ終わってもその流れはその方向のままに流れてゆくが、俳諧のそれは、ふたたび上へ反響してゆくものであることが感じられる。
「神垣(かみがき)」は、「神籬(かみがき)」で神域内の意。真蹟の前書きによると、ここは伊勢神宮の外宮である。当時は、両部神道の行なわれた後であるから、神仏混淆の余風が外宮の館にも見られたのであろう。
「涅槃像」は、釈迦の入滅の画像で、涅槃会(二月十五日)に拝する。野晒(のざらし)の旅の時は僧形であるからというので、神前に至ることを拒まれた経験があるくらいだから、神域内で涅槃像を見たのは、思いもかけないことだったのである。
季語は「涅槃像」で春。神域で涅槃像を拝した意外の感が、発想の契機になった詠み方。
「二月十五日、伊勢の外宮に詣でたところが、折しも涅槃会(ねはんえ)にあたって、神域にも
かかわらず、はからずも釈迦涅槃の像を拝することができて、思いもかけないことであった」
産み月のひとのひとこと涅槃像 季 己