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壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

まことの花見

2010年03月17日 23時12分08秒 | Weblog
          路通(ろつう)が陸奥(みちのく)におもむくに
        草枕まことの花見しても来よ     芭 蕉

 弟子の路通へのはなむけの句であるから、路通の人柄を一応心におく必要があろう。
 路通は、乞食の境涯から芭蕉に拾われて、風雅の道に入るようになった。しかし、性格がわがままでしまりがないため、容易に真の風雅を体得できなかったもののようである。そういう路通に対してはなむけした「まことの花見」は何を意味したか、なかなかおもしろいところだ。「しても来よ」の「も」は、含みのある言い方である。
 
 元禄三年四月十日付、此筋・千川宛書簡に、「路通、正月三日立ち別れ、其の後逢ひ申さず候。頃日(けいじつ)は用事之有り、江戸へ下り候よしにて、定めて追つ付け帰り申すべく候」とあるが、『勧進牒』などによれば、路通はそのまま陸奥に下った。前書きは後に付されたものであろう。

 路通は蕉門俳人。斎部(いんべ)氏(忌部とも、また八十村ともいう)、露通・呂通とも書く。漂泊の僧として乞食生活をしていたが、貞享二年ごろ芭蕉に入門、『おくのほそ道』の旅で、芭蕉を敦賀に迎え、以後数ヶ月その身辺にあって親炙に浴した。奇行多く驕慢心があり、しだいに人々の非難を浴び、ついには芭蕉の勘気をも蒙った。『俳諧勧進牒』・『芭蕉行状記』の編著がある。

 「草枕」は、旅または旅寝の意。草を束ねて枕としたことから、もと「旅」の枕詞。
 季語は「花見」で春。やや具象性を欠いた用い方で印象が薄いが、芭蕉の思想をうかがうたよりにはなる。現実体験としての花見ではなく、風雅を象徴する観念的な使い方。

   「遠い陸奥での労苦の多い旅寝の間に、真の花見をして、風雅のまことをぜひ体得して来なさい」


      花冷えのべっ甲眼鏡の男かな     季 己